トップページ > テーマ別検索「公文書にみる明治日本のアジア関与」 > 表から検索(年表:内政・外政・工業)
調べたいキーワードをクリックすると、基本語ページやアジ歴データベース検索結果が開きます。
年表を印刷したい場合はこちら → PDF Excel(zipファイル)
西暦(和暦) | 内政 | 外政 | 工業 |
---|---|---|---|
1853年7月8日 (嘉永6年6月3日) |
ペリー率いるアメリカ艦隊が浦賀に来航 |
||
1853年8月22日 (嘉永6年7月18日) |
プチャーチン率いるロシア艦隊が長崎に来航 |
||
1853年10月17日 (嘉永6年9月15日) |
大船建造禁止令が解禁 |
||
1854年2月1日 (嘉永7年1月4日) |
水戸藩が石川島にて造船起工 |
||
1854年2月11日 (嘉永7年1月14日) |
ペリー再度浦賀に来航 |
||
1854年3月31日 (嘉永7年3月3日) |
日米和親条約(神奈川条約)調印 |
||
1854年6月5日 (嘉永7年5月10日) |
西洋形船・鳳凰丸完成 |
||
1855年2月7日 (安政元年12月21日) |
日露和親条約調印 |
||
1856年3月17日 (安政3年2月11日) |
蕃書調所が設置 |
||
1857年6月26日 (安政4年閏5月5日) |
日米約定(下田条約)調印 |
||
1857年10月10日 (安政4年8月23日) |
長崎製鉄所起工 |
||
1858年7月29日 (安政5年6月19日) |
日米修好通商条約調印(後に蘭・露・英・仏とも通商条約調印) |
||
1858年8月 (安政5年7月) |
安政大獄が行われる |
||
1858年8月16日 (安政5年7月8日) |
外国奉行が設置 |
||
1859年6月28日 (安政6年5月28日) |
箱館・神奈川・長崎での自由貿易が布達 |
||
1860年2月4日 (安政7年1月13日) |
万延遣米使節が品川を出港(6月24日品川帰港) |
||
1860年3月24日 (安政7年3月3日) |
桜田門外の変が起こる |
||
1861年3月13日 (万延2年2月3日) |
対馬事件が起こる |
||
1861年5月2日 (文久元年3月23日) |
各国に開港・開市延期が通達される |
||
1861年5月4日 (文久元年3月25日) |
長崎製鉄所落成 |
||
1862年1月22日 (文久元年12月23日) |
竹内遣欧使節が品川を出港(1863年1月30日品川帰港) |
||
1862年5月14日 (文久2年4月16日) |
薩摩藩が率兵上京 |
||
1862年5月23日 (文久2年4月25日) |
松平康正・岡部長常・服部常純・立田正明を製鉄所掛に任命 |
||
1862年9月14日 (文久2年8月21日) |
生麦事件が起こる |
||
1862年11月2日 (文久2年9月11日) |
幕府オランダ留学生が長崎を出港 |
||
1863年6月6日 (文久3年4月20日) |
攘夷期日が6月25日と定められる |
||
1863年6月25日 (文久3年5月10日) |
下関事件が起こる |
||
1863年8月15日 (文久3年7月2日) |
薩英戦争が起こる |
||
1863年9月30日 (文久3年8月18日) |
八・一八政変が起こる |
||
1864年2月6日 (文久3年12月29日) |
池田遣欧使節が横浜を出港(8月23日横浜帰港) |
||
1864年3月10日 (元治元年2月3日) |
|||
1864年8月19日 (元治元年7月18日) |
禁門の変が起こる |
||
1864年8月24日 (元治元年7月23日) |
長州藩追討の命が下される(第1次幕長戦争) |
||
1864年9月 (元治元年8月) |
横浜製鉄所起工、肥田浜五郎をオランダへ派遣 |
||
1864年9月5日 (元治元年8月5日) |
米英仏蘭艦隊が下関を占領 |
||
1864年12月8日 (元治元年11月10日) |
幕府がロッシュに製鉄所設立の斡旋を依頼 |
||
1865年2月 (慶応元年1月) |
ヴェルニー来日、横須賀製鉄所設立の約定書をロッシュに手交 |
||
1865年5月19日 (慶応元年4月25日) |
柴田遣仏使節が横浜を出港(1866年3月12日横浜帰港) |
柴田剛中、製鉄所設立談判のため渡欧 |
|
1865年9月17日 (慶応元年7月28日) |
幕府ロシア留学生が箱館を出港 |
||
1865年9月18日 (慶応元年7月29日) |
幕府とフランス政府がヴェルニーの雇用契約を締結 |
||
1865年10月13日 (慶応元年8月24日) |
横浜製鉄所竣工 |
||
1865年11月15日 (慶応元年9月27日) |
横須賀製鉄所の起工式挙行 |
||
1865年11月22日 (慶応元年10月5日) |
条約勅許・兵庫開港不可の勅書が下される |
||
1866年5月21日 (慶応2年4月7日) |
日本人の海外渡航が解禁 |
||
1866年6月25日 (慶応2年5月13日) |
改税約書調印 |
||
1866年7月18日 (慶応2年6月7日) |
幕府が長州藩領に侵攻(第2次幕長戦争) |
||
1866年11月9日 (慶応2年10月3日) |
フランス人技師52名来日 |
||
1866年11月24日 (慶応2年10月18日) |
ゴートランが横浜製鉄所首長に就任 |
||
1866年12月2日 (慶応2年10月26日) |
幕府イギリス留学生が横浜を出港 |
||
1867年1月30日 (慶応2年12月25日) |
孝明天皇崩御 |
||
1867年2月3日 (慶応2年12月29日) |
一色直温を製鉄所奉行、古賀謹一郎を奉行並に任命 |
||
1867年2月13日 (慶応3年1月9日) |
睦仁親王践祚(1868年10月12日即位) |
||
1867年2月15日 (慶応3年1月11日) |
パリ万博参加のため、徳川昭武一行が横浜を出港(1868年12月6日神奈川帰港) |
||
1867年4月7日 (慶応3年3月3日) |
横須賀製鉄所第一号船渠(ドック)着工 |
||
1867年6月15日 (慶応3年5月13日) |
ルッサンが横浜製鉄所首長に就任 |
||
1867年11月9日 (慶応3年10月14日) |
|||
1868年1月3日 (慶応3年12月9日) |
王政復古政変(幕府の廃止、総裁・議定・参与の設置) |
||
1868年1月27日 (慶応4年1月3日) |
鳥羽伏見の戦いが起こる(戊辰戦争の勃発) |
||
1868年2月10日 (慶応4年1月17日) |
三職七科制が定められる(外国事務科など7科の設置) |
||
1868年2月25日 (慶応4年2月3日) |
三職八局制が定められる(外国事務局など8局の設置) |
||
1868年4月6日 (慶応4年3月14日) |
五箇条の御誓文 |
||
1868年5月22日 (慶応4年閏4月1日) |
|||
1868年6月11日 (慶応4年閏4月21日) |
政体書が布告される(太政官制の確立、外国官など8官の設置) |
||
1868年9月3日 (慶応4年7月17日) |
江戸が東京に改称 |
||
1868年10月23日 (明治元年9月8日) |
明治と改元 |
||
1869年4月18日 (明治2年3月7日) |
明治天皇が東京に行幸(~5月9日) |
||
1869年5月19日 (明治2年4月8日) |
民部官が設置 |
||
1869年6月 (明治2年5月) |
浜殿石室(後の延遼館)が落成 |
||
1869年6月22日 (明治2年5月13日) |
議政官が廃止 |
||
1869年6月27日 (明治2年5月18日) |
箱館五稜郭が開城(戊辰戦争の終結) |
||
1869年7月1日 (明治2年5月22日) |
弾正台が設置 |
||
1869年7月25日 (明治2年6月17日) |
|||
1869年8月15日 (明治2年7月8日) |
開拓使設置 |
||
1869年9月16日 (明治2年8月11日) |
|||
1869年9月20日 (明治2年8月15日) |
蝦夷地が北海道に改称 |
||
1869年11月30日 (明治2年10月27日) |
|||
1870年2月3日 (明治3年1月3日) |
大教宣布の詔が発せられる |
||
1870年3月14日 (明治3年2月13日) |
樺太開拓使設置 |
||
1870年4月28日 (明治3年3月29日) |
|||
1870年5月7日 (明治3年4月7日) |
伝習生制度再開 |
||
1870年5月18日 (明治3年4月18日) |
民部権大丞・山尾庸三を製鉄所の事務総括に任命 |
||
1870年8月6日 (明治3年7月10日) |
|||
1870年8月9日 (明治3年7月13日) |
製鉄所が民部省の管轄となる |
||
1870年 (明治3年10月) |
上海に仮領事館開設 |
||
1870年11月24日 (明治3年閏10月2日) |
外務省に弁務使が設置 |
||
1870年12月12日 (明治3年閏10月20日) |
工部省が設置 |
||
1870年12月15日 (明治3年閏10月23日) |
|||
1871年 (明治3年11月) |
工部少丞・肥田浜五郎を製鉄所事務総括に任命 |
||
1871年2月11日 (明治3年12月22日) |
海外留学生規則が定められる |
||
1871年3月28日 (明治4年2月8日) |
横須賀製鉄所に第一号船渠(ドック)竣工 |
||
1871年5月25日 (明治4年4月7日) |
|||
1871年6月27日 (明治4年5月10日) |
新貨条例が布告される |
||
1871年8月24日 (明治4年7月9日) |
|||
1871年8月29日 (明治4年7月14日) |
|||
1871年9月2日 (明治4年7月18日) |
文部省が設置 |
||
1871年9月11日 (明治4年7月27日) |
民部省が廃止 |
||
1871年9月12日 (明治4年7月28日) |
兵部省に陸軍部・海軍部・参謀局が設置 |
||
1871年9月13日 (明治4年7月29日) |
日清修好条規調印 |
||
1871年9月21日 (明治4年8月7日) |
|||
1871年9月22日 (明治4年8月8日) |
神祇官が神祇省に改組 |
||
1871年9月29日 (明治4年8月15日) |
肥田為良(旧名浜五郎)が造船製作頭に就任 |
||
1871年11月19日 (明治4年10月7日) |
平岡通義が造船権頭に就任 |
||
1871年12月16日 (明治4年11月5日) |
外務省に領事職(総領事ほか)が設置 |
||
1871年12月23日 (明治4年11月12日) |
岩倉使節団が横浜を出港 |
||
1872年4月5日 (明治5年2月28日) |
兵部省の廃止に伴い、陸軍省・海軍省が設置 |
||
1872年4月21日 (明治5年3月14日) |
神祇省の廃止に伴い、教部省が設置 |
||
1872年 (明治5年6月) |
草梁倭館(釜山)の日本人が東莱に侵入、朝鮮政府が倭館を撤廃し日本との国交を一時中断 |
横須賀造船所最初の軍艦・清輝竣工 |
|
1872年9月5日 (明治5年8月3日) |
学制が布告される |
||
1872年10月15日 (明治5年9月13日) |
新橋―横浜間鉄道開業 |
||
1872年10月16日 (明治5年9月14日) |
琉球国王尚泰が琉球藩王に任命(琉球藩の設置)、太政官により琉球藩の外交権接収、外務省琉球藩出張所開設 |
||
1872年11月14日 (明治5年10月14日) |
弁務使の廃止に伴い、公使(特命全権公使ほか)が設置 |
||
1872年11月16日 (明治5年10月16日) |
在福州領事館開設 |
横須賀造船所と横浜製作所が海軍省主船寮の管轄となり、横浜製作所は横浜製造所に改称 |
|
1872年12月28日 (明治5年11月28日) |
徴兵告諭が布告される |
||
1872年 (明治5年) |
南千島諸島を千島国として開拓使根室支庁の管轄とする |
||
1873年1月1日 (明治6年1月1日) |
太陽暦が開始 |
||
1873年2月5日 (明治6年2月5日) |
黌舎新築落成 |
||
1873年4月 (明治6年4月) |
在香港領事館開設 |
||
1873年5月2日 (明治6年5月2日) |
太政官制潤飾の実施(正院の権限強化など) |
||
1873年7月28日 (明治6年7月28日) |
地租改正条例が布告される |
||
1873年9月13日 (明治6年9月13日) |
岩倉使節団が横浜に帰港 |
||
1873年10月 (明治6年10月) |
征韓論政変が起こる |
||
1873年11月10日 (明治6年11月10日) |
内務省が設置 |
||
1873年12月5日 (明治6年12月5日) |
横浜製造所が海軍省から大蔵省に移管される |
||
1874年1月9日 (明治7年1月9日) |
横浜製造所が大蔵省から内務省に移管される |
||
1874年1月17日 (明治7年1月17日) |
民撰議院設立建白書が提出される |
||
1874年2月6日 (明治7年2月6日) |
台湾出兵が閣議決定 |
||
1874年2月 (明治7年2月) |
佐賀の乱が起こる |
||
1874年4月5日 (明治7年4月5日) |
陸軍省内に蕃地事務局設置 |
||
1874年4月 (明治7年4月) |
在厦門領事館開設 |
||
1874年5月22日 (明治7年5月22日) |
台湾に征討軍上陸 |
||
1874年6月18日 (明治7年6月18日) |
陸軍省に参謀局が設置 |
||
1874年7月4日 (明治7年7月4日) |
造船所取締規則制定 |
||
1874年10月27日 (明治7年10月27日) |
遠藤秀行が造船所長官に就任 |
||
1874年10月31日 (明治7年10月31日) |
日清両国互換条款調印 |
||
1874年12月 (明治7年12月) |
清朝と和議を結び台湾より撤兵 |
||
1874年 (明治7年) |
琉球藩の管轄が外務省から内務省に移管され、内務省の在琉球藩出張所が設置される |
||
1874年 (明治7年) |
釜山に管理官を置く |
||
1875年1月10日 (明治8年1月10日) |
蕃地事務局廃止 |
||
1875年2月11日 (明治8年2月11日) |
大阪会議が開催(地方官会議設置を決定) |
||
1875年3月 (明治8年3月) |
開拓使庁内に屯田事務局設置 |
||
1875年4月14日 (明治8年4月14日) |
|||
1875年5月7日 (明治8年5月7日) |
樺太千島交換条約調印、北千島諸島が日本領となる |
||
1875年6月28日 (明治8年6月28日) |
|||
1875年8月21日 (明治8年8月21日) |
日本軍艦・雲揚号が江華島付近で武力示威行動を行い、永宗島に上陸して住民を殺害(雲揚号事件) |
||
1875年9月 (明治8年9月) |
在天津総領事館開設 |
||
1875年9月20日 (明治8年9月20日) |
江華島事件が起こる |
||
1875年10月 (明治8年10月) |
日本の軍艦が釜山に来航し武力示威行動を行う |
||
1875年12月31日 (明治8年12月31日) |
横須賀造船所首長ヴェルニー解雇 |
||
1876年2月26日 (明治9年2月26日) |
ヴェルニーが創業以来の報告書を提出 |
||
1876年2月27日 (明治9年2月27日) |
日朝修好条規調印 |
||
1876年3月13日 (明治9年3月13日) |
ヴェルニー帰国 |
||
1876年3月28日 (明治9年3月28日) |
廃刀令が布告される |
主船大師・稲垣喜多造が海軍省へ『造船事務要略』を献上 |
|
1876年3月 (明治9年3月) |
在牛荘領事館開設 |
||
1876年4月1日 (明治9年4月1日) |
|||
1876年5月 (明治9年5月) |
在芝罘領事館開設 |
||
1876年6月12日 (明治9年6月12日) |
|||
1876年8月5日 (明治9年8月5日) |
金禄公債証書発行条例が布告される |
||
1876年8月24日 (明治9年8月24日) |
日朝修好条規付録款調印 |
||
1876年9月 (明治9年9月) |
平野富二が海軍省から石川島造船所の払い下げを受け最初の民営造船所である石川島平野造船所設立 |
||
1876年10月 (明治9年10月) |
|||
1877年1月11日 (明治10年1月11日) |
教部省が廃止 |
||
1877年1月18日 (明治10年1月18日) |
正院が廃止 |
||
1877年1月30日 (明治10年1月30日) |
西南戦争が起こる(~9月24日) |
||
1877年1月 (明治10年1月) |
長崎造船所を長崎工作分局に改称(工部省) |
||
1877年10月 (明治10年10月) |
日本代理公使・花房義質が朝鮮赴任 |
||
1877年 (明治10年) |
|||
1878年11月 (明治11年11月) |
日本代理公使・花房義質が軍艦を率いて釜山に来航し税関撤廃を要求 |
||
1878年12月5日 (明治11年12月5日) |
陸軍省参謀局の廃止に伴い、参謀本部が設置 |
||
1878年12月19日 (明治11年12月19日) |
朝鮮政府が日本の圧力に屈して収税を中止 |
||
1879年4月4日 (明治12年4月4日) |
琉球藩の廃止に伴い、沖縄県が設置(琉球処分) |
||
1879年8月30日 (明治12年8月30日) |
清朝北洋大臣・李鴻章が朝鮮政府に西欧列強との通商を勧告、元山開港を約する七ヵ条協定調印 |
||
1879年9月29日 (明治12年9月29日) |
教育令が布告される |
||
1879年12月30日 (明治12年12月30日) |
横浜製造所を10年間平野富二(石川島平野造船所経営)に貸与することを決定 |
||
1880年2月 (明治13年2月) |
|||
1880年3月5日 (明治13年3月5日) |
会計検査院が設置 |
||
1880年3月17日 (明治13年3月17日) |
国会期成同盟が結成 |
||
1880年4月5日 (明治13年4月5日) |
集会条例が布告される |
||
1880年4月 (明治13年4月) |
在京城公使館開設 |
イギリス人ハンターにより大阪鉄工所設立 |
|
1880年7月 (明治13年7月) |
在厦門領事館廃止 |
||
1880年11月5日 (明治13年11月5日) |
工場払下概則公布 |
||
1881年4月7日 (明治14年4月7日) |
農商務省が設置 |
||
1881年7月21日 (明治14年7月21日) |
開拓使官有物払下が閣議決定 |
||
1881年10月11日 (明治14年10月11日) |
明治14年の政変が起こる |
||
1881年10月12日 (明治14年10月12日) |
国会開設之勅諭 |
||
1881年10月18日 (明治14年10月18日) |
自由党が結党 |
||
1881年10月21日 (明治14年10月21日) |
参事院が設置 |
||
1882年1月4日 (明治15年1月4日) |
軍人勅諭が発せられる |
||
1882年2月8日 (明治15年2月8日) |
|||
1882年3月18日 (明治15年3月18日) |
立憲帝政党が結党 |
||
1882年4月16日 (明治15年4月16日) |
立憲改進党が結党 |
||
1882年4月19日 (明治15年4月19日) |
在仁川領事館(仮庁舎)開設 |
||
1882年7月23日 (明治15年7月23日) |
朝鮮武衛営の軍兵が暴動を起こし日本公使館を襲撃、日本人教官を殺害(壬午軍乱) |
||
1882年8月30日 (明治15年8月30日) |
壬午軍乱の損害賠償を含む済物浦条約調印 |
||
1882年11月28日 (明治15年11月28日) |
福島事件が起こる(~12月1日) |
||
1883年1月12日 (明治16年1月12日) |
仁川港開港 |
||
1883年1月29日 (明治16年1月29日) |
農商務省に北海道事業管理局が設置される |
||
1883年3月20日 (明治16年3月20日) |
高田事件が起こる |
||
1883年7月7日 (明治16年7月7日) |
鹿鳴館が落成 |
||
1883年7月24日 (明治16年7月24日) |
横浜製造所の設備一切を石川島平野造船所に移転 |
||
1883年9月 (明治16年9月) |
長崎工作分局を長崎造船局に改称(工部省) |
||
1884年5月13日 (明治17年5月13日) |
群馬事件が起こる |
||
1884年5月24日 (明治17年5月24日) |
横須賀造船所官制公布 |
||
1884年6月10日 (明治17年6月10日) |
工部卿から太政官へ長崎造船局の民間依託を建議 |
||
1884年6月12日 (明治17年6月12日) |
三菱の岩崎弥太郎が「長崎造船局拝借願」を工部卿へ提出(同年6月23日認許) |
||
1884年6月24日 (明治17年6月24日) |
三菱へ長崎造船局の「貸渡条約書」を下付 |
||
1884年6月 (明治17年6月) |
横須賀造船所の第二船渠が完成 |
||
1884年7月7日 (明治17年7月7日) |
華族令が制定される |
民営の長崎造船所発足 |
|
1884年7月21日 (明治17年7月21日) |
横須賀造船所第二船渠(ドック)開業式挙行 |
||
1884年9月23日 (明治17年9月23日) |
加波山事件が起こる |
||
1884年10月29日 (明治17年10月29日) |
自由党が解党 |
||
1884年10月31日 (明治17年10月31日) |
秩父事件が起こる |
||
1884年12月4日 (明治17年12月4日) |
朝鮮で甲申事変勃発、日本と清朝による派兵 |
||
1884年12月15日 (明治17年12月15日) |
横須賀鎮守府設置。横須賀造船所が横須賀鎮守府の管轄となり、「海軍造船所条例」(1884年12月15日制定)に基づき、海軍専用の造船所となる |
||
1885年1月9日 (明治18年1月9日) |
漢城条約調印 |
||
1885年4月18日 (明治18年4月18日) |
天津条約調印 |
||
1885年5月18日 (明治18年5月18日) |
在漢口領事館開設 |
||
1885年5月 (明治18年5月) |
|||
1885年11月23日 (明治18年11月23日) |
大阪事件が起こる |
||
1885年12月22日 (明治18年12月22日) |
|||
1885年12月23日 (明治18年12月23日) |
内閣法制局設置 |
||
1886年1月26日 (明治19年1月26日) |
北海道庁が設置 |
||
1886年2月2日 (明治19年2月2日) |
海軍省が技術指導者としてベルタンを雇入 |
||
1886年3月18日 (明治19年3月18日) |
参謀本部に陸軍部・海軍部が設置 |
||
1886年5月 (明治19年5月) |
官有の兵庫造船局を川崎正蔵に貸し下げ、川崎造船所開設 |
||
1886年6月12日 (明治19年6月12日) |
静岡事件が起こる |
||
1887年6月2日 (明治20年6月2日) |
監軍が設置 |
||
1887年6月7日 (明治20年6月7日) |
長崎造船所を三菱へ払下、三菱長崎造船所設立 |
||
1887年10月 (明治20年10月) |
大同団結・三大事件建白運動 |
||
1887年12月26日 (明治20年12月26日) |
保安条例が制定される |
||
1888年4月30日 (明治21年4月30日) |
黒田清隆内閣が成立。枢密院設置 |
||
1888年12月6日 (明治21年12月6日) |
在広東領事館開設 |
||
1889年1月25日 (明治22年1月25日) |
在マニラ領事館開設 |
||
1889年2月10日 (明治22年2月10日) |
|||
1889年2月11日 (明治22年2月11日) |
大日本帝国憲法発布 皇室典範が制定される |
||
1889年3月9日 (明治22年3月9日) |
海軍省に海軍参謀部が設置 |
||
1889年5月22日 (明治22年5月22日) |
|||
1889年11月 (明治22年11月) |
石川島平野造船所を株式組織に改め有限責任石川島造船所と改称 |
||
1889年12月24日 (明治22年12月24日) |
第1次山県有朋内閣が成立 |
||
1890年2月1日 (明治23年2月1日) |
ベルタン解雇 |
||
1890年7月1日 (明治23年7月1日) |
第1回衆議院選挙 |
||
1890年10月20日 (明治23年10月20日) |
元老院が廃止 |
||
1890年10月30日 (明治23年10月30日) |
教育勅語が発せられる |
||
1890年11月25日 (明治23年11月25日) |
第1回帝国議会開催 |
||
1891年3月27日 (明治24年3月27日) |
海軍造兵廠条例公布 |
||
1891年5月6日 (明治24年5月6日) |
第1次松方正義内閣が成立 |
||
1891年5月11日 (明治24年5月11日) |
大津事件が起こる |
||
1891年5月 (明治24年5月) |
渋沢栄一らを発起人として横浜船渠会社設立、船舶修繕業務に従事 |
||
1891年5月 (明治24年5月) |
呉鎮守府造船部が操業開始 |
||
1891年8月28日 (明治24年8月28日) |
在漢口領事館廃止 |
||
1891年9月 (明治24年9月) |
在福州領事館廃止 |
||
1892年2月15日 (明治25年2月15日) |
第2回衆議院選挙(政府による選挙干渉) |
||
1892年5月 (明治25年5月) |
貴族院・衆議院にて選挙干渉をめぐる問責決議 |
||
1892年8月8日 (明治25年8月8日) |
第2次伊藤内閣が成立 |
||
1893年5月20日 (明治26年5月20日) |
海軍軍令部が設置 |
||
1893年11月29日 (明治26年11月29日) |
海軍造船工学校廃校 |
||
1894年3月29日 (明治27年3月29日) |
甲午農民戦争が起こる |
||
1894年6月2日 (明治27年6月2日) |
朝鮮派兵が閣議決定 |
||
1894年6月5日 (明治27年6月5日) |
大本営設置 |
||
1894年6月 (明治27年6月) |
石川島造船所浦賀分工場設置 |
||
1894年6月 (明治27年6月) |
佐世保鎮守府造船部が操業開始 |
||
1894年7月16日 (明治27年7月16日) |
日英通商航海条約調印(領事裁判権の廃止) |
||
1894年7月23日 (明治27年7月23日) |
日本軍による朝鮮王宮攻撃 |
||
1894年7月25日 (明治27年7月25日) |
豊島沖海戦により公式に日清戦争開戦 |
||
1894年8月1日 (明治27年8月1日) |
日本が清国に宣戦布告 |
||
1895年4月17日 (明治28年4月17日) |
日清講和条約(下関条約)調印 |
||
1895年4月23日 (明治28年4月23日) |
三国干渉が起こる |
||
1895年5月8日 (明治28年5月8日) |
日清講和条約批准 |
||
1895年6月13日 (明治28年6月13日) |
内閣に台湾事務局設置 |
||
1895年6月17日 (明治28年6月17日) |
台湾総督府が始政 |
||
1895年11月8日 (明治28年11月8日) |
露・仏・独による三国干渉の結果、遼東半島還付条約調印 |
||
1895年11月18日 (明治28年11月18日) |
日本軍による台湾鎮定宣言 |
||
1895年 (明治28年) |
榎本武揚・安田善次郎・大蔵喜八郎らを発起人として浦賀船渠会社設立(1900年開業) |
||
1896年3月23日 (明治29年3月23日) |
在沙市領事館開設 |
造船奨励法公布(1896年10月1日施行) |
|
1896年3月31日 (明治29年3月31日) |
拓殖務省設置 |
||
1896年3月31日 (明治29年3月31日) |
在杭州領事館開設 |
||
1896年3月 (明治29年3月) |
在厦門領事館再設置 |
||
1896年4月1日 (明治29年4月1日) |
大本営復員 |
||
1896年4月1日 (明治29年4月1日) |
在蘇州領事館開設 |
||
1896年5月22日 (明治29年5月22日) |
在重慶領事館開設 |
||
1896年7月21日 (明治29年7月21日) |
日清通商航海条約調印 |
||
1896年9月18日 (明治29年9月18日) |
第2次松方内閣が成立 |
||
1896年9月27日 (明治29年9月27日) |
杭州居留地取極書締結 |
||
1896年10月 (明治29年10月) |
株式会社川崎造船所成立 |
||
1896年11月 (明治29年11月) |
渋沢栄一らを発起人として函館船渠会社設立 |
||
1896年 (明治29年) |
呉海軍造兵廠設置 |
||
1897年3月4日 (明治30年3月4日) |
蘇州居留地取極書締結 |
||
1897年3月31日 (明治30年3月31日) |
在シャム公使館開設 |
||
1897年5月21日 (明治30年5月21日) |
海軍造兵廠条例公布、これにより1897年3月27日公布の同条例は廃止。 |
||
1897年9月1日 (明治30年9月1日) |
|||
1897年9月2日 (明治30年9月2日) |
内務省に北海道局設置 |
||
1897年9月3日 (明治30年9月3日) |
海軍造船廠条例公布(1897年10月8日施行)。横須賀鎮守府造船部は横須賀海軍造船廠に改称され、造船科・造機科・兵器部が置かれる |
||
1897年10月 (明治30年10月) |
|||
1898年1月12日 (明治31年1月12日) |
第3次伊藤内閣が成立 |
||
1898年1月22日 (明治31年1月22日) |
陸軍に教育総監部設置 |
||
1898年2月20日 (明治31年2月20日) |
台湾事務局が内閣から内務省に移管される |
||
1898年4月 (明治31年4月) |
長崎三菱造船所により日本最大の汽船・常陸丸建造 |
||
1898年6月30日 (明治31年6月30日) |
大隈重信内閣が成立 |
||
1898年8月 (明治31年8月) |
在福州分館開設 |
||
1898年10月11日 (明治31年10月11日) |
在漢口領事館再設置 |
||
1898年10月22日 (明治31年10月22日) |
|||
1898年11月1日 (明治31年11月1日) |
|||
1898年11月8日 (明治31年11月8日) |
第2次山県内閣が成立 |
||
1899年4月28日 (明治32年4月28日) |
福州居留地取極書締結 |
||
1899年5月18日 (明治32年5月18日) |
第1回万国平和会議が開催 |
||
1899年5月 (明治32年5月) |
在群山分館開設 |
||
1899年8月10日 (明治32年8月10日) |
在平壌分館開設 |
||
1899年8月 (明治32年8月) |
在城津分館開設 |
||
1899年10月25日 (明治32年10月25日) |
厦門居留地取極書締結 |
||
1900年3月10日 (明治33年3月10日) |
治安警察法が公布 |
||
1900年5月20日 (明治33年5月20日) |
海軍兵器廠条例施行。横須賀・佐世保・舞鶴の造船廠兵器部が兵器廠として独立 |
||
1900年10月19日 (明治33年) |
第4次伊藤内閣が成立 |
||
1901年2月 (明治34年2月) |
在南京分館開設 |
||
1901年6月2日 (明治34年6月2日) |
第1次桂太郎内閣が成立 |
||
1901年9月7日 (明治34年9月7日) |
北京議定書(義和団事件最終議定書)調印 |
||
1901年9月24日 (明治34年9月24日) |
重慶居留地取極書締結 |
||
1901年10月1日 (明治29年) |
|||
1901年 (明治34年) |
備後船渠会社設立 |
||
1902年1月30日 (明治35年1月30日) |
第一回日英同盟協約調印 |
||
1902年5月1日 (明治35年5月1日) |
浦賀船渠会社が石川島造船所浦賀分工場を買収 |
||
1902年5月17日 (明治35年5月17日) |
馬山居留地取極書締結 |
||
1903年11月6日 (明治36年11月6日) |
|||
1904年1月8日 (明治37年1月8日) |
日本の連合艦隊が旅順港外でロシア艦隊を攻撃 |
||
1904年1月9日 (明治37年1月9日) |
日本の連合艦隊が仁川沖でロシア軍艦2隻を撃破 |
||
1904年2月10日 (明治37年2月10日) |
日本とロシアが相互に宣戦布告(日露戦争の開戦) |
||
1904年2月23日 (明治37年2月23日) |
日韓議定書調印 |
||
1904年8月22日 (明治37年8月22日) |
第一次日韓協約調印 |
||
1904年9月17日 (明治37年9月17日) |
在汕頭分館開設 |
||
1904年9月 (明治37年9月) |
屯田兵条例廃止 |
||
1904年 (明治37年) |
在長沙分館開設 |
||
1905年4月1日 (明治38年4月1日) |
在長沙分館を在長沙領事館に改編 |
||
1905年7月29日 (明治38年7月29日) |
桂・タフト協定成立 |
||
1905年7月 (明治38年7月) |
三菱神戸造船所設立(1906年6月開業) |
||
1905年8月12日 (明治38年8月12日) |
第二回日英同盟協約調印 |
||
1905年9月5日 (明治38年9月5日) |
日比谷焼き打ち事件が起こる |
日露講和条約(ポーツマス条約)調印 |
|
1905年10月5日 (明治38年10月5日) |
日露講和条約批准 |
||
1905年11月17日 (明治38年11月17日) |
第二次日韓協約調印 |
||
1905年12月2日 (明治38年12月2日) |
外交官・領事館官制改正(大使・大使館の設置) |
||
1905年12月21日 (明治38年12月21日) |
|||
1905年12月22日 (明治38年12月22日) |
|||
1906年1月7日 (明治39年1月7日) |
第1次西園寺公望内閣が成立 |
||
1906年5月1日 (明治39年5月1日) |
在安東領事館開設 |
||
1906年6月1日 (明治39年6月1日) |
在奉天総領事館開設 |
||
1906年8月1日 (明治39年8月1日) |
関東都督府が設置 |
||
1906年9月20日 (明治39年9月20日) |
在鉄嶺分館開設 |
||
1906年11月15日 (明治39年11月15日) |
|||
1906年11月26日 (明治39年11月26日) |
|||
1907年3月3日 (明治40年3月3日) |
|||
1907年3月10日 (明治40年3月10日) |
在吉林領事館開設 |
||
1907年3月15日 (明治40年3月15日) |
樺太庁が設置 |
||
1907年4月1日 (明治40年4月1日) |
|||
1907年6月24日 (明治40年6月24日) |
内務省の管轄下に港湾調査会再設置 |
||
1907年7月24日 (明治40年7月24日) |
第三次日韓協約調印 |
||
1907年7月30日 (明治40年7月30日) |
第一回日露協約調印 |
||
1907年9月28日 (明治40年9月28日) |
在南京分館を在南京領事館に改編 |
||
1907年10月30日 (明治40年10月30日) |
在汕頭分館を在汕頭領事館に改編 |
||
1907年11月10日 (明治40年11月10日) |
在長春分館を在長春領事館に改編 |
||
1908年7月14日 (明治41年7月14日) |
第2次桂内閣が成立 |
||
1908年9月10日 (明治41年9月10日) |
|||
1908年12月5日 (明治41年12月5日) |
内閣に鉄道院設置 |
||
1908年12月18日 (明治41年12月18日) |
東洋拓殖会社が設立 |
||
1909年3月1日 (明治42年7月6日) |
在バタビヤ領事館開設 |
||
1909年7月6日 (明治42年7月6日) |
対韓施設大綱が閣議決定 |
||
1909年9月4日 (明治42年9月4日) |
|||
1909年10月1日 (明治42年10月1日) |
在漢口領事館を在漢口総領事館に改編 |
||
1909年10月1日 (明治42年10月1日) |
|||
1909年11月2日 (明治42年10月1日) |
|||
1909年11月9日 (明治42年10月1日) |
在頭道溝分館を開設 |
||
1909年11月9日 (明治42年10月1日) |
在琿春分館を開設 |
||
1910年6月22日 (明治43年6月22日) |
内閣拓殖局設置 |
||
1910年7月4日 (明治43年7月4日) |
第二回日露協約調印 |
||
1910年8月22日 (明治43年8月22日) |
韓国併合条約調印 |
||
1910年10月1日 (明治43年10月1日) |
朝鮮総督府設置 |
||
1911年2月21日 (明治44年2月21日) |
日米新通商航海条約調印(関税自主権の回復) |
||
1911年7月13日 (明治44年7月13日) |
第三回日英同盟協約調印 |
||
1911年8月30日 (明治44年8月30日) |
第2次西園寺内閣が成立 |
||
1912年7月8日 (明治45年7月8日) |
第三回日露協約調印 |
||
1912年7月30日 (大正元年7月30日) |
明治天皇崩御により嘉仁親王践祚(1915年11月10日即位)、大正と改元 |
||
1912年12月21日 (大正元年12月21日) |
第3次桂内閣が成立 |