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地域 | 日本 |
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都市名 | 小笠原諸島 |
解説 | 小笠原諸島は元来無住の地であり、江戸時代においても1675年に巡視が行われて以降、幕末期まではその支配は放置されていた。しかし、19世紀に入り欧米系移民の入植が進んだため、安政条約による開講後、幕府は同地掌握をすすめ1862(文久2)年に条約各国に同島再興の通告をおこなった。その間、小笠原島の地名を公称とすることを対外的に通知した。しかし、幕府崩壊にともない小笠原の直接支配も放擲されたが、1875(明治8)年に至って、外務・内務・大蔵・海軍四省協同事業として決定され、島民に再回収が宣言された。翌年に内務省所管とされ、寺島宗則外務卿から各国に統治が正式に通告された。その結果、1877年に父島扇浦に小笠原島内務省出張所が設置され、開拓事業が再開された。初代所長は内務省の小花作助。1880年には内務省の所管を離れ、東京府へと編入された。それと同時に内務省出張所は廃止され、かわりに東京府出張所が設置された。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 「小笠原諸島帰属問題」(執筆者安岡昭男)『国史大辞典』2巻、吉川弘文館、1980、734頁。「小笠原諸島帰属問題」(執筆者小野将)宮地正人、佐藤能丸、櫻井良樹編『明治時代史大辞典第1巻』(吉川弘文館、2011年)381~382頁。 |
歴代長官 部局長等 |
小花作助(初代所長) |