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地域 | 日本 |
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都市名 | 舞鶴 |
解説 | 1889年5月23日に公布された「鎮守府条例」に基づき、舞鶴鎮守府の設置が正式に決定され、1901年10月1日に開庁した。初代司令長官は東郷平八郎であった。しかし、東郷平八郎赴任当時、まだすべての建物が完成しておらず、水雷団兵舎付属建物、水雷団水雷庫・装填場、水雷団攻撃用艇庫、経理部庁舎、海兵団兵舎などが竣工しているのみであった。舞鶴鎮守府は1922年2月のワシントン海軍軍縮条約締結により、要港部に格下げとなった。それに伴い、舞鶴海軍工廠も海軍工作部へと縮小された。しかし、1930年台に入り、1934年12月のワシントン軍縮条約廃棄通告、1936年1月のロンドン軍縮会議脱退により、同年7月1日に海軍工作部が再び海軍工廠へと格上げされ、1939年12月1日には舞鶴鎮守府が復活した。以後、日本敗戦まで舞鶴は海軍の一大拠点となったのである。 |
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参考資料 | 飯塚一幸「軍拡・軍縮と舞鶴鎮守府―三舞鶴町の盛衰」(原田敬一編『地域のなかの軍隊4 近畿 古都・商都の軍隊』吉川弘文館、2015年)114-115・121・129-130頁。 |
歴代長官 部局長等 |
司令長官:東郷平八郎 |