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地域 | 日本 |
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都市名 | 舞鶴 |
解説 | 1901年10月1日の舞鶴鎮守府開庁当時、すでに各鎮守府の造船部は1897年9月3日公布の「海軍造船廠条例」に基づき造船廠に改編されていたため、舞鶴の場合も舞鶴海軍造船廠が置かれたが、舞鶴鎮守府造船部の呼称も使われていたと思われる。舞鶴海軍造船廠の主要目的は艦船修理であったが、職工の作業維持および訓練のため、三等駆逐艦「追風」・「夕凪」・「浦波」・「磯波」・「綾波」、二等駆逐艦「桜」・「橘」、一等駆逐艦「海風」が建造された。舞鶴海軍造船廠は1903年11月6日の「海軍工廠条例」により、兵器廠(造兵廠)と統合され舞鶴海軍工廠に改編された。1922年2月に舞鶴鎮守府が要港部に格下げとなったことに伴い、舞鶴海軍工廠も海軍工作部へと格下げされた。しかし、1930年台に入り、1934年12月のワシントン軍縮条約廃棄通告、1936年1月のロンドン軍縮会議脱退により、同年7月1日に海軍工作部が再び海軍工廠へと格上げされた。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 飯塚一幸「軍拡・軍縮と舞鶴鎮守府―三舞鶴町の盛衰」(原田敬一編『地域のなかの軍隊4 近畿 古都・商都の軍隊』吉川弘文館、2015年)121・129頁。工学会編『明治工業史 造船篇』工学会、1925-1926年、293頁。 |
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