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地域 | 日本 |
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都市名 | 東京 |
解説 | 地方官会議の前身は1873年4~5月にかけて開かれた地方官会同である。毎年の開催が予告されており、翌年の会議は延期されたものの1874年5月に議院憲法が定められた。議院憲法では人民に代わって地方官により構成される議会設置までの代替機関という位置づけがなされ、毎年開催とされた。1875年1~2月に大久保利通と下野した木戸孝允、板垣退助の間で開かれた大阪会議で立憲制の導入が合意されると、同年4月の漸次立憲政体樹立の詔で立憲政体導入の道程として元老院・大審院の創設とともにその開催が言及された。1875年6月に第一回地方官会議(木戸孝允議長)が開かれ、第二回(伊藤博文議長)は1878年4月に、第三回(河野敏鎌議長)は1880年2月に開催された。第二回では地方三新法、第三回では区町村会法案や備荒貯蓄法案の審議を行った。以後も地方官諮問会や地方長官会議は開催されたが、議院憲法には基づかず政策決定にも関わらなかった。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 「大阪会議」(大日方純夫執筆)宮地正人・佐藤能丸・櫻井良樹編『明治時代史大辞典 第1巻』吉川弘文館、2011年、332~333頁。「地方官会議」(松沢裕作執筆)宮地正人・佐藤能丸・櫻井良樹編『明治時代史大辞典 第2巻』2012年、655~656頁。 |
歴代長官 部局長等 |
木戸孝允(議長:第一回地方官会議、1875年6月)が開かれ、伊藤博文(議長:第二回地方官会議、1874年)、河野敏鎌(議長:第三回地方官会議、1880年2月 |