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地域 | 日本 |
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都市名 | 東京 |
解説 | 拓殖局は最初、1910年6月21日公布の「拓殖局官制」(勅令第279号)により、外地行政機関を監督するための中央機関として内閣総理大臣の管理下に設置された。拓殖局の設置には、朝鮮半島の完全な植民地化が既定路線となり、新たな植民地行政機関の設置が考慮されている段階で実施された。朝鮮半島の植民地化は、後の1910年8月に調印される「韓国併合ニ関スル条約」で現実となる。日露戦争終結後から拓殖局の設置までは、台湾総督と樺太庁長官に対する監督業務は内務省の内務大臣官房台湾課および樺太課が担当しており、関東都督に対する監督業務のみ外務省が担うこととなっていた。それは、関東州租借地および南満洲鉄道附属地の性質上、清国との外交交渉が生じる可能性があることが理由としてあった。拓殖局の設置により、後の朝鮮総督府を含め植民地行政機関に対する監督業務は内閣に一元化された。但し、関東都督に対してのみ、外交に関する部分は引き続き外務省が分掌することとされた。この時の拓殖局は、第一次山本権兵衛内閣の行政整理により、1913年6月13日の「拓殖局官制廃止」(勅令第112号)をもって廃止された。その後、1917年7月28日に「拓殖局官制改正」(勅令第73号)により再度設置された。この時の拓殖局は内閣総理大臣の管理下に属し、勅任の長官が統括し、朝鮮・台湾・樺太・関東州・南満洲鉄道株式会社に関する事務を管掌した。1922年10月30日には勅令第476号により拓殖事務局が設置されることとなり、拓殖局は再度廃止となった。1924年12月20日に拓殖事務局の廃止により、内閣の所属局として再設置された。その業務は、拓殖事務局の事務を引き継いでおり、朝鮮・台湾・樺太・関東州・南洋に関する事務を管掌し、局長は勅任官とされた。1929年6月8日、「拓務省官制」(勅令第152号)によって拓務省が設置され、拓殖局は三度廃止となった。 |
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参考資料 | 「拓殖局」(馬場明執筆)国史大辞典編集委員会編『国史大辞典 第9巻』吉川弘文館、1988年、105頁。「拓殖局官制・勅令第279号」(アジ歴Ref:A03020859200)。「拓殖局官制廃止・勅令第112号」(アジ歴Ref:A03020965200)。「拓殖局官制改正・勅令第73号」(アジ歴Ref:A03021100400)。「拓殖事務局官制制定拓殖局官制廃止・勅令第476号」(アジ歴Ref:A03021414400)。「拓殖事務局官制廃止・勅令第307号」(アジ歴Ref:A03021520000)。「拓務省官制制定明治四十一年勅令第百七十九号(南満洲鉄道株式会社ニ関スル事務主管ノ件)及大正九年勅令第百五十号(南満洲鉄道株式会社ノ鉄道及航路ニ関スル業務ノ監督ニ関スル件)廃止・勅令第152号」(アジ歴Ref:A03021734200)。山崎丹照『外地統治機構の研究』高山書院、1943年、18-20頁。 |