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地域 | 関東州 |
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都市名 | 大連 |
解説 | 日露戦争に勝利した結果、日本は日露講和条約(1905年9月5日調印)に基づき、ロシアが経営していた中東鉄道の南部線(長春―旅順間)を引き継ぐこととなった。その経営主体に関し、1906年6月7日には「南満洲鉄道株式会社ニ関スル件」(勅令第142号)が公布された。同年8月1日には逓信大臣・大蔵大臣・外務大臣の連名による「南満洲鉄道株式会社設立命令書」が下付され、同年11月26日に南満洲鉄道株式会社(満鉄)が設立されて、その経営に当たることとなった。初代社長には台湾総督府民政長官であった後藤新平が就任し、1907年4月より営業が開始された。満鉄は中東鉄道南部線に加え、日露戦争中に軍事輸送用に敷設した安奉線(安東―奉天間)、撫順炭鉱および煙台炭鉱も併せて経営した。また、満鉄の特徴として、各鉄道駅前に設定された鉄道附属地(満鉄附属地)において都市経営と一般行政(土木・教育・衛生)を担ったことが挙げられる。満鉄は鉄道経営のみでなく、日本が満洲において植民地経営を行うための多角的な国策会社であった。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 「満鉄」(加藤聖文執筆)貴志俊彦・松重充浩・松村史紀編『二〇世紀満洲歴史事典』吉川弘文館、2012年、200-202頁。加藤聖文『満鉄全史 「国策会社」の全貌』講談社選書メチエ、2006年。「満鉄付属地」(大野太幹執筆)前掲『二〇世紀満洲歴史事典』203-205頁。「南満洲鉄道株式会社ニ関スル件」(アジ歴Ref:A03020674400)。「南満洲鉄道株式会社ニ設立命令書ヲ下付ス」(アジ歴Ref:A01200007900)。 |
歴代長官 部局長等 |
総裁:後藤新平(1906年11月13日-1908年7月14日)/中村是公(1908年12月19日-1913年12月18日)/野村龍太郎(1913年12月19日-1914年7月15日)/中村雄次郎(1914年7月15日-1917年7月31日) 理事長:国沢新兵衛(1917年7月31日-1919年4月12日) 社長:野村龍太郎(1919年4月12日-1921年5月31日)/早川千吉郎(1921年5月31日-1922年10月14日)/川村竹治(1922年10月24日-1924年6月22日)/安広伴一郎(1924年6月22日-1927年7月19日)/山本条太郎(1927年7月19日-1929年8月14日・1929年6月21日より総裁) 総裁:仙石貢(1929年8月14日-1931年6月13日)/内田康哉(1931年6月13日-1932年7月6日)/林博太郎(1932年7月26日-1935年8月2日)/松岡洋右(1935年8月2日-1939年3月24日)/大村卓一(1939年3月24日-1943年7月14日)/小日山直登(1943年7月14日-1945年4月13日)/山﨑元幹(1945年5月5日~) |