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地域 | 日本 |
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都市名 | 東京 |
解説 | 司法行政を担当した中央官庁。明治4年(1871)7月、刑部省と弾正台の廃止に伴い、設置。その省務は執法・申律・折獄・断訟・捕亡と定められたが、大蔵省や東京府の聴訟事務を吸収する一方、捕亡・囚獄事務を地方官に移譲するなど、その職掌はたびたび変遷があった。岩倉使節団派遣に際しては、最大規模の省員を随行させ、司法卿江藤新平の理事官派遣も計画される(後に中止)など、洋行に積極的であった。刑部省・民部省廃止に伴って、両省よりそれぞれ刑事・民事裁判権を引き継いだ。その後、長官である司法卿が司法省裁判所長を兼任する時期もあったが、明治8年(1875)4月の大審院設置に伴い、裁判には関与しない司法行政専管機関となった。明治18年(1885)12月の内閣制度においては内閣の構成官庁として位置づけられた。昭和22年(1947)2月、法務庁に改組されるかたちで廃局。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 参考資料: |
歴代長官 部局長等 |
司法卿:江藤新平(明治5年4月25日-1873年4月19日)/大木喬任(1873年10月25日-1880年2月28日)/田中不二麿(1880年3月12日-1881年10月21日)/大木喬任(1881年10月21日-1883年12月12日)/山田顕義(1883年12月12日-1885年12月22日) 司法大輔:佐佐木高行(明治4年7月9日-1873年4月17日)/宍戸璣(明治4年11月4日-明治5年5月22日)/福岡孝弟(明治5年8月13日-1873年11月10日)/佐佐木高行(1874年1月15日-1874年7月5日)/山田顕義(1874年7月5日-1879年9月10日)/玉乃世履(1879年10月25日-1881年7月27日)/細川潤次郎(1881年7月27日-1883年6月5日)/河瀬真孝(1883年6月5日-1884年5月7日)/岩村通俊(1884年5月7日-1885年12月22日) 司法少輔:宍戸璣(明治4年7月9日-明治4年11月4日)/伊丹重賢(明治4年11月7日-明治5年5月22日)/岸良兼養(1881年7月27日-1883年7月7日)/三好退蔵(1885年7月13日-1886年3月4日) |