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地域 | 中国 |
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都市名 | 上海 |
解説 | 上海では、日本と清国の間でいまだ条約が締結されていなかった明治3(1870)年10月において、日本人の往来ないしは日本人居留民が増加していたことから、当地の道台(清国地方官)と協議の上、仮領事館が設置された。仮の領事として品川忠道がその任に当たった。品川は当時大蔵省に出仕していて、1870年(明治3年6月)に通商権大佑として上海に派遣されており、仮領事館が開設されるに伴い、外務大録兼通商大佑に任じられた。在上海仮領事館は品川、斉藤麗正権少録、神代権少属の3名体制で開始したと言われている。1871年9月13日(明治4年7月29日)に「日清修好条規」が調印されると、1872年3月8日(明治5年1月29日)に正式に領事館が置かれ、在上海領事には引き続き品川忠道が駐在した。1872年11月15日(明治5年10月15日)には鎮江・漢口・九江・寧波も管轄することとされた。1891年6月総領事館に昇格。1894年8月11日に日清戦争開戦のため引揚げ、1896年6月に再開した。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 外務省記録局編『外務省沿革略誌』1889年、6・9・11頁。外務省百年史編纂委員会編『外務省の百年 上巻』原書房、1971年、96-97頁。戦前期官僚制研究会編・ 秦郁彦著『戦前期日本官僚制の制度・組織・人事』東京大学出版会、1981年、318~319頁。松本郁美「初代上海領事品川忠道に関する一考察」(『史窓』第58号、2001年2月)282-283頁。 |
歴代長官 部局長等 |
領事:品川忠道・代領事(明治5年2月10日着任)/神代延長・代任(明治5年6月12日着任)/品川忠道(明治5年9月13日着任)/蔡祐良・事務代理(1875年9月25日着任)/品川忠道・総領事(1875年11月16日着任)/加藤木甓・総領事代理(1876年5月14日着任)/品川忠道・総領事(1876年6月21日着任)/水野良知・事務代理(1877年9月26日着任)/品川忠道・総領事(1878年1月23日着任)/水野良知・事務代理(1881年7月26日着任)/品川忠道・総領事(1881年12月9日着任)/呉碩・事務代理(1882年9月3日着任)/品川忠道・総領事(1882年10月26日着任)/安藤太郎(1884年6月22日着任)/太田昇平・事務代理(1886年10月3日着任)/河上謹一(1886年11月6日着任)/太田昇平・事務代理(1887年9月3日着任)/高平小五郎・総領事代理(1887年12月13日着任)/高平小五郎(1887年12月20日着任)/二口美久・事務代理(1890年3月14日着任)/鶴原定吉(1890年8月15日着任) 総領事:鶴原定吉・総領事代理(1891年6月26日着任)/内田定槌・総領事代理(1892年3月3日着任)/林権助・総領事代理(1892年6月29日着任)/山座円次郎・事務代理(1893年12月9日着任)/大越成徳・総領事代理(1894年3月13日着任)/大越成徳(1894年3月30日着任)/珍田捨巳・総領事(1896年6月24日着任)/平井深造・事務代理(1896年5月15日着任)/珍田捨巳(1896年7月17日着任)/亀山松次郎・事務代理(1897年4月23日着任)/小田切万寿之助・総領事代理(1897年5月22日着任)/諸井六郎・事務代理(1898年8月6日着任)/小田切万寿之助・総領事代理(1898年10月20日着任)/松村貞雄・事務代理(1899年7月1日着任)/小田切万寿之助・総領事代理(1899年10月5日着任)/松村貞雄・事務代理(1900年12月6日着任)/小田切万寿之助・総領事代理(1901年1月6日着任)/岩崎三雄・事務代理(1901年10月13日着任)/小田切万寿之助(1902年4月16日着任)/松岡洋右・事務代理(1905年2月28日着任)/小田切万寿之助(1905年4月26日着任)/松岡洋右・事務代理(1905年6月30日着任)/永瀧久吉(1905年10月6日着任)/尾崎洵盛・事務代理(1907年7月13日着任)/永瀧久吉(1907年10月14日着任)/武者小路公共・事務代理(1908年1月30日着任)/永瀧久吉(1909年3月29日着任)/三穂五郎・事務代理(1909年9月14日着任)/松岡洋右・総領事代理(1909年9月26日着任)/有吉明(1909年12月9日着任)/浮田郷次・総領事代理(1911年6月6日着任)/有吉明(1911年9月13日着任) |