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地域 | 日本 |
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都市名 | 呉 |
解説 | 呉鎮守府造船部は、艦艇の製造修理などを掌った部局。1889年7月の呉鎮守府の開設とともに設置された。1889年5月28日公布の鎮守府条例によれば、造船部は、艦船を製造、修理し船具及び船体機関に属する需用物品を準備供給する所で、計画科、製造科を置きその事業を分掌させることと定められていた。1890年3月には、海軍省艦政局に属していた小野浜造船所を移管し、呉鎮守府造船部小野浜分工場となった。1897年9月3日公布の海軍造船廠条例により、呉鎮守府造船部は廃止され、呉海軍造船廠が設置された。呉海軍造船廠には、造船科、造機科、会計課、材料庫が置かれた。造船科は船体に関すること、造機科は機関に関することを掌った。1903年11月6日、海軍工廠条例が制定され、横須賀鎮守府・呉鎮守府・佐世保鎮守府・舞鶴鎮守府に、造船廠・兵器廠(造兵廠)を統合して海軍工廠が設置された。海軍工廠には、造兵部、造船部、造機部、製鋼部、会計部、需品庫が置かれた。造兵部は兵器に関する事業、造船部は船体に関する事業、造機部は機関に関する事業、製鋼部は製鋼に関する事業、会計部は会計給与及び工業に要する材料物品の購買売却貯蔵供給ならび艦営需品の購買売却に関する事、需品庫は艦営需品の準備保管供給の事を掌った。呉海軍工廠では、航空母艦「赤城」、戦艦「長門」「大和」などが建造された。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 千田武志『呉海軍工廠の形成』錦正社、1918年、21、194-196、543頁。「御署名原本・明治三十六年・勅令第百七十一号・海軍工廠条例制定海軍造船廠条例、海軍兵器廠条例、海軍需品庫条例廃止」(アジ歴:A03020572400)4-5画像目。「恩給 1(3)」(アジ歴:C06091165400)6画像目。 |
歴代長官 部局長等 |
部長:赤峰伍作 |