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地域 | 樺太 |
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都市名 | 大泊・豊原 |
解説 | 樺太庁は、1907(明治40)年3月に樺太庁官制が公布され、同年4月1日よりこれが施行されたことにより設置された。庁舎は当初大泊に設置されたが、1909(明治42)年8月10日より豊原に移転した。当初は長官(勅任)に加えて、事務官、警視、支庁長、技師、通訳官(奏任)、属、警部、技手、通訳(判任)の各職が置かれた。1910(明治43)年3月には警部補(判任)、1916(大正5)年4月には視学、税務吏(判任)、同10月には森林主事(判任)、1930(昭和5)年1月には視学官(奏任)、同10月には社会教育官(奏任)が置かれた。1943(昭和18)年3月には樺太の内地編入のために樺太庁官制が大きく改正され、樺太庁長官が道府県長官よりも広範な権限を得られるよう庁令が規律しうる範囲を庁府県令より拡大した他、職業官補、巡査(判任)、青年教育官(事務官が兼任)が設置された。戦後、樺太庁官制廃止の措置はとられていないが、国家行政組織法が施行された1949年6月1日をもって、樺太庁及び同長官が廃止されたと見なされている。 |
上位の階層 | 明治・大正・昭和(植民地・占領地) > 樺太 > 樺太庁 |
下位の階層 | |
参考資料 | 樺太庁官制については、A03020704800(1907年3月)を参照。その後の樺太庁における職員の新設と樺太庁官制改正については、A03020843400(1910年3月)、A03021065800(1916年3月)、A03021065900(1916年3月)、A01200122800(1916年10月)、A03021764000(1930年1月)、A03021783400(1930年10月)、A03022809000(1943年3月)を参照。樺太庁編『樺太庁施政三十年史』、1936年、155-162頁。樺太終戦史刊行会『樺太終戦史』全国樺太連盟、1973年、592-593頁。社団法人全国樺太連盟編『樺太沿革・行政史』、1978年、344-353頁、373-376頁。 |