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地域 | 樺太 |
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都市名 | 大泊・豊原 |
解説 | 樺太庁長官は、1907(明治40)年4月1日、樺太庁官制に基づき設置された。勅任とされ、当初は樺太守備隊司令官である陸軍将官がこれに充てられた。内務大臣(時期により内閣総理大臣)、または部分的にその他の大臣の指揮監督の下で、法律命令を執行し行政事務を管理した。罰則を伴う庁令を発する権限、出兵を要請する権限、判任官以下の進退懲戒を行う権限、支庁出張所を置く権限を持っていた。拓務省の設置に伴い、1929(昭和4)年6月8日、拓務大臣の指揮監督下に移行した。しかし、戦時下の内外治行政一元化に伴い、1942(昭和17)年11月1日、再び内務大臣の指揮監督下に移行した。1946年1月30日の勅令第55号により内務省官制が改正され、樺太は旧外地とともに外務省の管理となった。その後樺太庁官制廃止の措置はとられていないが、国家行政組織法が施行された1949年6月1日をもって、樺太庁及び同長官が廃止されたと見なされている。 |
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参考資料 | 樺太庁官制については、A03020704800(1907年3月)を参照。その後の樺太庁官制の改正については、A03021735100(1929年6月)、A03022763100(1942年11月)を参照。樺太庁編『樺太庁施政三十年史』、1936年、155-162頁。樺太終戦史刊行会『樺太終戦史』全国樺太連盟、1973年、592-593頁。社団法人全国樺太連盟編『樺太沿革・行政史』、1978年、344-353頁。 |
歴代長官 部局長等 |
楠瀬幸彦(1907年4月~1908年4月)/床次竹二郎・兼任(1908年4月~1908年6月)/平岡定太郎(1908年6月~1914年6月)/岡田文次(1914年6月~1916年10月)/昌谷彰(1916年10月~1919年4月)/永井金次郎(1919年~1924年6月)/昌谷彰(1924年6月~1926年8月)/豊田勝蔵(1926年8月~1927年7月)/喜多孝治(1927年7月~1929年7月)/縣忍(1929年7月~1931年12月)/岸本正雄(1931年12月~1932年7月)/今村武志(1932年7月~1938年5月)/棟居俊一(1938年5月~1940年4月)/小川正儀(1940年4月~1943年7月)/大津敏男(1943年7月~1947年11月) |