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地域 | 樺太 |
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都市名 | 大泊・豊原 |
解説 | 樺太庁第一部は、1907(明治40)年4月1日、樺太庁官制に基づき設置された。当初の第一部は、教育、商工業、水産漁猟、警察、衛生、気象測候に関する事項のほか、他部の主掌に属さない事項も所管としており、警務、水産、交通、庶務、臨時建築の五課が置かれた。また、第一部長は第一部所管の業務のほかにも、長官の補佐や庁務の整理、各部の事務の監督を担っており、長官が遭難した際に長官の代理を務める権限を持っていた。1909(明治42)年5月の樺太庁官制改正により、水産漁猟に関する事項が第二部に移管され、警察、衛生に関する事項が新設された第三部に移管された一方、会計に関する事項が長官官房から、土木に関する事項が第一部から移管され、鉄道、郵便、電信、電話に関する事項が所管に加わり、庶務課、通信課、土木課、建築課、会計課の五課体制となった。1910(明治43)年11月に建築課が廃止され、1911(明治44)年6月には新たに主計課が設けられた。1913(大正2)年12月23日の樺太庁官制改正により、その名称は第一部から内務部に改められた。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 樺太庁官制については、A03020704800(1907年3月)を参照。その後の樺太庁官制の改正については、A03020801300(1909年5月)、A03020984900(1913年12月23日)を参照。社団法人全国樺太連盟編『樺太沿革・行政史』1978年。344-348頁。 |
歴代長官 部局長等 |
熊谷喜一郎(1907年5月1日現在)/中川小十郎(1909年5月1日現在)/尾崎勇次郎(1913年7月1日現在) |