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地域 | 樺太 |
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都市名 | 豊原 |
解説 | 警察部は樺太庁管内における警察及び衛生の管理・取締を担った部局。警察機能は1907年4月より、官制にもとづき第一部の警務課が担ったが、1909年5月に第三部として分離され、1913年12月に警察部と改められた。以降、警察部長(奏任)を部長とし、警部(判任)、警部補(判任)、巡査(判任待遇)の指揮系統で事務を分掌した。警察部は、1907年3月時点は警務課のみだったが、1909年6月に保安課、巡査練習所(26年5月、警察官練習所に改称)、26年5月に高等警察課、30年に特別高等警察課、刑事課が設けられ、41年8月の事務分掌規程で、警務課、警防課、保安課、経済保安課、刑事課、高等警察課、衛生課、警察官練習所の7課1所となる。内地編入に伴う官制、事務分掌規程の改正により43年4月には、上記の課、所に加え、勤労課(労政課)、警察部長書記室が置かれた。上記の警察業務に加え、1913年の樺太守護隊の廃止後は、守護隊に代わり国境警備を担い、戦時下には、警備船による海上警備や、沿岸、国境警備を担当した。 |
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参考資料 | 官制については、A03020704800(1907年3月)、A03020801300(1909年5月)、A03020984900(1913年12月)を参照。1941年8月の事務分掌規程については、B14090063300(1941年8月)を参照。「樺太庁事務分掌規程左ノ通定ム」樺太庁訓令第21号、1918年6月6日(『官報』1768号、1918年6月25日)。「樺太庁事務分掌規程中左ノ通改正ス」樺太庁訓令第117号、1926年5月8日(『官報』4134号、1926年6月5日)。「樺太庁事務分掌規程中左ノ通改正ス」樺太庁訓令第3号、1930年1月21日(『官報』981号、1930年4月10日)。「樺太事務分掌規程中左ノ通改正ス」樺太庁訓令第395号、1930年10月23日(『官報』1185号、1930年12月9日)。樺太終戦史刊行会編『樺太終戦史』社団法人全国樺太連盟、1973年、70頁、208~209頁。社団法人全国樺太連盟編『樺太沿革・行政史』1978年、350~351頁。 |
歴代長官 部局長等 |
片岡文理(1914年5月1日現在)/井本満助(1914年5月1日現在)/城間恒人(1919年5月1日現在)/東忠蔵(1925年1月1日現在)/小山知一(1927年7月1日現在)/岩本俊郷(1929年1月1日現在)/小山三郎(1930年1月1日現在)/山崎隆義(1932年7月1日現在)/中村鷹祐(1937年1月1日現在)/白井八州雄(1938年7月1日現在)/薄木乕二郎(1941年8月15日現在)/大貫元(1943年7月1日現在) |