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地域 | 樺太 |
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都市名 | 大泊・豊原 |
解説 | 樺太庁長官官房は、1907(明治40)年4月1日、樺太庁官制に基づき設置された。当初の長官官房は、官吏の進退及び身分、文書の往復及び記録編纂、官印庁印の管守、褒賞、会計、外国人に関する事項を所管し、秘書課、文書課、会計課の三課が置かれた。1909(明治42)年5月、会計に関する事項が第一部に移管された後、官房は秘書係と文書係による構成となった。その後1918(大正7)年6月に樺太庁事務分掌規程が定められた際は、前期の事項に加え、御影、機密、叙位叙勲、恩給及扶助料、退官賜金及死亡賜金、文書の編纂及保存、法令編纂、成案審査、公布式、宿直といった事項が所管とされるとともに、官房内に主事が置かれた。1927(昭和2)年6月には秘書、文書の両係が課に改められるとともに、調査課が設けられた。1936(昭和11)年12月には調査課が内務部に移管されるとともに、企画課が設置された。1943(昭和18)年4月、官房は秘書課のみとなり、1944(昭和19)年7月以降は総務課のみとなった。終戦後樺太庁官制廃止の措置はとられていないが、国家行政組織法が施行された1949年6月1日をもって樺太庁が廃止されたと見なされており、それに従い同長官官房も廃止されたと見なされる。 |
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参考資料 | 樺太庁官制については、A03020704800(1907年3月)を参照。その後の樺太庁官制の改正については、A03020801300(1909年5月)を参照。樺太庁編『樺太庁施政三十年史』、1936年、155-162頁。樺太終戦史刊行会『樺太終戦史』全国樺太連盟、1973年、592-593頁。社団法人全国樺太連盟編『樺太沿革・行政史』、1978年、344-353頁。 |