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地域 | 樺太 |
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都市名 | 大泊・豊原 |
解説 | 樺太庁長官官房文書課は、1907(明治40)年4月、樺太庁官制制定により設置された。1909(明治42)年5月の樺太庁官制改正においては名称が文書係と改められたが、1918(大正7)年6月には文書係も廃止となった。その後1921(大正10)年10月に文書係が復活し、1927(昭和2)年6月には樺太庁事務分掌規程改正により再び課に改められた。この改正では、文書の接受及発送、文書記録の編纂及保存、図書及印刷物、公布式、官報及庁報、外国文書の起草及翻訳、宿直、部長以下の官印の管守、他の主管に属さない事項という、計9つの事項が文書課の所管として明記された。1936(昭和11)年に長官官房調査課が企画課に改められてから、『樺太庁統計書』や『樺太廳報』、『樺太時報』の編集を担っていた(『樺太時報』の編集は後に官房企画課を経て内務部時局課に移管)。1943(昭和18)年3月の樺太の内地編入に伴う樺太庁官制改正と続く翌月の樺太庁事務分掌規程改正により、官房は秘書課のみとなり、それまで文書課が所管していた事項は秘書課に引き継がれた。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 樺太庁官制については、A03020704800(1907年3月)を参照。その後の樺太庁官制の改正については、A03020801300(1909年5月)を参照。「樺太庁事務分掌規程中左ノ通改正ス」(昭和2年6月29日樺太庁訓令第315号)、『官報』第229号、昭和2年10月13日。社団法人全国樺太連盟編『樺太沿革・行政史』1978年、344-353頁。樺太庁編『樺太庁施政三十年史』1936年、155-162頁。 |
歴代長官 部局長等 |
山田健之助・文書課長心得(1907年5月1日現在)/矢木小三郎・秘書課長兼任(1909年5月1日現在)/河井智茂(1927年7月1日現在)/酒井斌・秘書課長兼務(1928年7月1日現在)/河井智茂(1930年1月1日現在)/田中熊太(1930年7月1日現在)/肥後龍夫(1936年7月1日現在)/田口稔(1937年7月1日現在)/野口俊一・秘書課長兼務(1938年7月1日現在)/杉野健男(1940年2月1日現在)/黒石勝(1941年8月15日現在) |