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地域 | 樺太 |
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都市名 | 豊原 |
解説 | 樺太庁内務部は、1913(大正2)年12月の樺太庁官制改正で、第一部が改称されることにより成立した。1914(大正3)年11月に一時的に拓殖部の所管を引き継いだが、1918(大正7)年6月に再び拓殖部が設けられた後、同月に樺太庁事務分掌規程が公布され、内務部に地方課、財務課、土木課、通信課の四課体制が示された。1924(大正13)年12月に内務部が再び拓殖部の所管を引き継いだ後、1927(昭和2)年6月に農林部が新設されると、同年10月に、地方課、学務課、財務課、会計課、土木課、逓信課、鉱務課、水産課、水産物検査所、度量衡所の8課2所体制となった。1932(昭和7)年4月には、鉱務課、水産課、水産物検査所が農林部の所管となり、6課1所体制となった。1936(昭和11)年12月以降は、調査課、地方課、学務課、財務課、税務課、会計課、営繕課、厚生課、度量衡検定所の8課1所体制となった(厚生課は1939年10月に再設)。調査課は後に調整課、さらに物資調整課と改められた。1943(昭和18)年3月、樺太の内地編入のための組織改革に伴い、内務部は内政部に改められた。 |
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参考資料 | 樺太庁官制改正については、A03020984900(1913年12月)、A03021020200(1914年11月)、A03021144300(1918年6月)、A03021657100(1927年6月)、A02030118100(1939年10月)、A03022809000(1943年3月)を参照。「樺太庁事務分掌規程」(大正7年6月6日樺太庁訓令第21号)、『官報』第1768号、大正7年6月25日。「樺太庁事務分掌規程中左ノ通改正ス」(昭和2年6月29日樺太庁訓令第315号)、『官報』第229号、昭和2年10月13日。「樺太庁事務分掌規程中左ノ通改正ス」(昭和7年2月11日樺太庁訓令第31号)、『官報』第1575号、昭和7年4月2日。社団法人全国樺太連盟編『樺太沿革・行政史』1978年、344-353頁。 |
歴代長官 部局長等 |
尾崎勇次郎(1914年5月1日現在)/堀信次(1915年5月1日現在)/相良歩(1917年5月1日現在)/酒井隆吉(1922年7月1日現在)/黒崎真也(1925年1月1日現在)/小西善次郎(1927年1月1日現在)/辻本正一(1931年1月1日現在)/高鳥久次郎(1932年7月1日現在)/武藤公平(1935年7月1日現在)/中村鷹祐・部長事務取扱(1940年2月1日現在)/小林長彦(1940年8月15日現在)/江口親憲(1942年7月1日現在) |