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地域 | 樺太 |
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都市名 | 豊原 |
解説 | 樺太庁内務部学務課は、1927(昭和2)年6月の樺太庁事務分掌規程改正により、内務部地方課の事務の一部を分掌する形で新設された。同規程改正により、学務課は、教育学芸、小学校教員の身分進退、小学校教員の恩給及び給与、小学校教員の検定、学事視察、土人教育、社会事業、兵事、社寺及び宗教という、9項目の事項を所管することとなった。1930(昭和5)年には視学官官制が公布され、学務課長の下に視学官、社会教育官、属、視学が置かれた。後に社会事業、兵事、宗教に関する事項は地方課に移管された。1941(昭和16)年3月に樺太青少年団が結成された際は、内務部長が事務局長、学務課長が事務局次長、社会教育官が幹事長を務めた。1942(昭和17)年11月の樺太内地編入に伴う改革で学務課の業務は学務兵事課に引き継がれ、教学事務については1944(昭和19)年7月に新設された内政部教学課に引き継がれた。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 「樺太庁事務分掌規程改正」(昭和2年6月29日樺太庁訓令第315号)、『官報』第229号、昭和2年10月13日1941年8月の樺太庁事務分掌規程改正について、Ref. B14090063300「樺太庁事務分掌規程改正」1942年11月1日樺太庁訓令第94号、内務省文書(地方行政関係)「樺太庁内地編入関係」(昭48自治00093100)、国立公文書館社団法人全国樺太連盟編『樺太沿革・行政史』1978年、344-353頁、999-1002頁。樺太庁編『樺太庁施政三十年史』1936年、155-162頁、1469-1471頁。 |
歴代長官 部局長等 |
辛島勝一・官房秘書課長兼務(1927年7月1日現在)/高島久次郎(1928年7月1日現在)/北村得三(1930年1月1日現在)/上野武雄(1932年7月1日現在)/小野久七(1933年1月1日現在)/白井八州雄(1934年8月1日現在)/豊村靖彦(1938年1月1日現在)/中西弘成・学務課長代理(1939年7月1日現在)/薄木乕二郎(1940年2月1日現在)/田中熊太(1940年8月15日現在)/伏見民雄(1941年8月15日現在) |