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地域 | 満洲国 |
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都市名 | 新京 |
解説 | 満洲国国務院は、司法・立法・行政に監察を加えた四権分立体制をとる満洲国において、中央行政機関であった。その中心は、国務総理が議長となり各部の総長(大臣)と総務長官、法制局長が出席する国務院会議である 。国務院会議の審議を要する事項は、①法律、勅令、軍令及び予算、②対外条約及び重要渉外事項、③各部間の主管権限の争議、④予算外支出その他重要なる国務などである。国務院の設置は、1932(大同元)年3月9日の「政府組織法」の第4章及び「国務院官制」「国務院各部官制」による 。建国当初の1932年3月、国務院には、総務庁と7部(民政部・外交部・軍政部・財政部・実業部・交通部・司法部)の他、3局(資政局、法制局、興安局)が置かれた。国務院では、人事、主計、需要などについての各部に対する統括事務について総務庁に処理させる総務庁中心主義がとられ、総務庁は国務院内で最も重要な役割をになった。その後も何度かの改編を重ねながら、満洲国解散時には9部(軍事、厚生部、文教、外交、司法、興農、経済、交通、国民勤労)であった 。 |
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参考資料 | 満洲国史編纂刊行委員会『満洲国史 各論』満蒙同胞援護会、1971年、7頁/ 「国務院」(浜口裕子)貴志俊彦・松重充浩・松村史紀『20世紀満洲歴史辞典』吉川弘文館、2012年、282-285頁/国務院の設置については、 「政府組織法」教令第1号、1932年3月9日(『満洲国政府公報日譯』第1号、1932年4月1日)及び「国務院各部官制」教令第6号、1932年3月9日(『満洲国政府公報日譯』第1号、1932年4月1日、詳しくはRef.A06031008700を参照、組織改編については 「国務院各部官制中改正ノ件」勅令第162号、1934年11月29日(『満洲国政府公報日譯』第225号、1934年11月29日、詳しくはRef. A06031011600を参照。 |
歴代長官 部局長等 |
国務総理 鄭孝胥(1932.3.9~1934.2.28) /国務総理大臣 鄭孝胥(1934.3.1) 張景恵(1935.5.21~1945.8.15)/国務顧問 宇佐美勝夫(1933.1.19~1934.11.1)/国務院秘書官 鄭禹(1932.12.27~1933.11.14) 白井康(1933.1.14~1934.2.28) |