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地域 | 満洲国 |
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都市名 | 新京 |
解説 | 1937年3月27日、総務庁は「極秘・満洲国政治行政機構改革大綱案」を作成し、同年6月の第2回組織法改正に反映された。これを受け、同年7月1日に外務局が新設される。それまでの満洲国の外交は、1932年3月9日に設置された外交部が掌っていたが、この時、外交部は廃され、外交を国務総理大臣の直宰とすることが定められた。国務総理大臣直轄のもとに外務局が置かれたのである。同局には官房、政務処、調査処が置かれ、駐外使節および領事等の監督、国際交渉、在外居留者の指導保護ならびに各国国政情調査に関する事項を所掌した。外務局長官は国務総理大臣の直属ではあったが、実質的には国務総理大臣の幕僚である総務長官に統制された。1941年になると、外務機構は縮小され、総務処と政務処の2処による構成となる。しかし、翌42年4月20日、外務機構は再び拡充され、外交部大臣を長として官房、政務司、調査司から成る外交部に改編された。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 満洲国史編纂刊行会編『満洲国史 各論』(満蒙同胞援護会、1971年)340‐370、岡部牧夫『満洲国』(講談社学術文庫、2007年)、増田知子「日本と「満洲国」の立憲制:1934~1937年、『名古屋大学法政論集』217号(名古屋大学、2007年)、171‐222。外務局の設置については、「組織法中改正ノ件」1937年6月5日(『満洲国政府公報日譯』第954号、1937年6月5日)、「国務院各部官制」勅令第120号、1937年6月5日(『満洲国政府公報日譯』第954号、1937年6月5日、69頁)及び「外務局官制」勅令第122号、1937年6月5日(『満洲国政府公報日譯』第954号、1937年6月5日、74頁)、A06031001700(1937年6月)を参照。外務局の外交部への改編については、「国務院官制中改正ノ件」1942年4月20日勅令114号(『満州国政府公報日譯』第259号、1942年4月20日、A06031007400を参照。 |
歴代長官 部局長等 |
長官・大橋忠一(外務省) 1937年7月 |