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地域 | 満洲国 |
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都市名 | 新京 |
解説 | 満洲国文教部は国務院に置かれ、教育、宗教、国民思想などを管轄した。文教部の設置は、1932年7月5日の教令第50号による 。設立当初、文教部には筆頭部局としての総務司の他、学校教育行政を主管する学務司、国民思想、社会教育、宗教などに関する事項を主管する礼務司の3司が置かれていた。建国直後、満洲国では、三民主義教育を廃止し、民族協和、王道主義を喧伝するため儒教に基づく教育が目指された。しかし建国初期には、文教関係の予算を捻出する余裕がなく、文教を担当する部局としては、わずかに民政部文教司が置かれたのみであった。『満洲国史 各論』によれば、かような財政状況の中、文教司が文教部に昇格した背景には国務院総理の鄭孝胥の意向があったという。その後、文教部は1937年7月の官制改革によって廃止され、その業務は民生部に引き継がれた。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 岡部牧夫『満洲国』(講談社学術文庫、2007年)/ 満洲国史編纂刊行委員会『満洲国史 各論』満蒙同胞援護会、1971年、1084頁/文教部の設置については、「国務院各部官制改訂ノ件」勅令第50号、1932年7月5日(『満州国政府公報日譯』第21号、1932年7月5日)、詳しくはRef. A06031008800を参照/文教部の廃止については、「国務院官制」勅令第119号、1937年6月5日(『満州国政府公報日譯』第954号、1937年6月5日)、詳しくはRef.A06031001700を参照/民生部の設置については、「国務院各部官制」勅令第120号、1937年6月5日(『満州国政府公報日譯』第954号、1937年6月5日)、詳しくはRef.A06031001700を参照。 |
歴代長官 部局長等 |
上村哲弥・次長(1932年8月8日現在)/西山政猪・次長(1932年9月30~1935年)/久米成夫・次長(1935年2月28日現在)/皆川豊治・次長(1937年3月16日~1937年6月30日)/田中義男・次長(1943年4月1日~1945年8月15日) |