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地域 | 満洲国 |
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都市名 | 新京 |
解説 | 満洲国民生部は国務院に置かれ教育、礼教、社会などの事務やその他民生に関する事務を管轄した。民生部は、1937年7月1日の官制改革によって、廃止された旧文教部などの業務を引き継ぐ形で新設された 。設置当時の民生部には、教育行政を担当する教育司、思想教育や民生、労働、宗教など幅広い業務を担当した社会司、保険や防疫、公衆衛生を担った保健司などが置かれていた。1940年1月1日には、1939年12月8日の勅令374号によって社会司が廃止され、新たに厚生司と労務司が設置された。さらに1943年4月1日の機構改革によって教育司が廃止されて、教育行政は復活した文教部に移行された。その他、民生部には附属の局として、1940年1月に満洲国の「阿片断禁」政策を実行するための禁煙総局が、1942年10月には「国民勤労奉公制度」を実施するための勤労奉公局が置かれていた。民政部自体は1945年3月に廃止され、部内の国民勤労奉公局が国民勤労奉公部となった。 |
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参考資料 | 岡部牧夫『満洲国』(講談社学術文庫、2007年)/民生部の設置については、「国務院各部官制」勅令第120号、1937年6月5日(『満州国政府公報日譯』第954号、1937年6月5日)、詳しくはRef.A06031001700を参照/社会司の廃止、厚生司、労務司の設置については、郭卿友『中華民国時期軍政職官誌 下』蘭州、甘粛人民出版社、1990年、1793-1794頁を参照/教育司の廃止については、「国務院各部官制中改正ノ件」勅令第99号、1943年4月1日(『満州国政府公報日譯』第2651号、1943年4月1日)、詳しくは李茂杰『偽満洲国政府公報全編』北京、線装書局、2009年を参照/民生部の解体、国民勤労奉公部の設置については、「国務院官制中改正ノ件」勅令第37号、1945年3月12日(『満州国政府公報日譯』第3217号、1945年3月12日)及び「国務院各部官制中改正ノ件」勅令第38号、1945年3月12日(『満州国政府公報日譯』第3217号、1945年3月12日)、詳しくは李茂杰『偽満洲国政府公報全編』北京、線装書局、2009年を参照。 |
歴代長官 部局長等 |
宮沢惟重(満鉄) 1937年7月 |