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地域 | 満洲国 |
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都市名 | 新京 |
解説 | 国務院資政局は国務院の外局であり、主に建国当初の満洲国の対外宣伝業務を担当した。資政局の設置は、1932年3月9日教令第10号「資政局官制」による。資政局内部には、総務処と弘法処に2処が置かれた。資政局弘法処の具体的な業務は、建国精神の公布宣伝や地方自治の指導などであった。施政局の当初の重要な役割は、1932年(大同元年)5月2日のリットン調査団の来訪に備えて、満洲国の建国を正当化するための宣伝をおこなうことであった。資政局は、各省での建国記念大会の実施や、リットン調査団に提出する資料の編纂などの事業を行った。同時に、日本の世論に対して満洲国の正当性を訴え、日本の満洲国承認を促進させる役割も担った。しかし、協和会、民政部、総務庁などとの対立関係から、1932(大同元)年7月5日に資政局は解散となった 。満洲国の弘報業務は一時中断し、1932年2月に総務庁情報処の設置によって復活した。 |
上位の階層 | |
参考資料 | 岡部牧夫『満洲国』(講談社学術文庫、2007年)/ 資政局の設置については、「資政局官制」教令第10号、1932年3月9日(『満洲国政府公報日譯』第1号、1932年4月1日Ref.A06031008700を参照/資政局の廃止については、「国務院官制中ノ改正ノ件」教令第号、1932年3月9日(『満洲国政府公報日譯』第1号、1932年4月1日) Ref.A06031008800を参照/また、情報処の設置については/「国務院各部官制中ノ改正ノ件」教令第9号、1933年2月16日(『満洲国政府公報日譯』第95号、1933年2月18日、Ref. A06031009500を参照/満洲国史編纂刊行委員会『満洲国史 各論』満蒙同胞援護会、1971年、60-61頁。 |
歴代長官 部局長等 |
笠木良明(満鉄) 1932年3~7月1932年7月廃止 |