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アジ歴ニューズレター
【アジ歴ニューズレター 第28号 2019年3月28日発行】
目次
※署名記事の内容は、執筆者個人の見解に基づくものであり、当センターの公式見解ではありません。
新規公開資料のお知らせ
【2019年2月22日公開資料】
・防衛省防衛研究所>陸軍一般史料>陸空>濠北方面
 陸軍の航空作戦に関する資料群のうち、主に濠北方面の作戦記録や、飛行場大隊及び野戦飛行場設定隊の作成した陣中日誌などが含まれます。
  防衛省防衛研究所>陸軍一般史料>陸空>濠北方面

・防衛省防衛研究所>海軍一般史料>③大東亜戦争>南東
 太平洋戦争における海軍の南東方面作戦に関する資料群です。ビスマルク諸島、ソロモン諸島及びニューギニアなどにおける作戦記録が含まれます。
  防衛省防衛研究所>海軍一般史料>③大東亜戦争>南東

【2019年2月26日公開資料】
・防衛省防衛研究所>陸軍一般史料>中央>作戦指導>戦訓
 大本営陸軍部などの作成した戦訓を中心とする資料群であり、主に戦訓報、戦訓特報及び戦訓速報が含まれます。また、教育総監部による小戦例集などもあります。
  防衛省防衛研究所>陸軍一般史料>中央>作戦指導>戦訓

・防衛省防衛研究所>海軍一般史料>④艦船・陸上部隊>電報
 海軍の艦船・陸上部隊の送受信した電報を中心とする資料群であり、主に南西方面作戦をはじめとする各作戦の電報綴などが含まれます。また、軍令部による特定地点略語表や海軍省による海軍通信略語表などもあります。
  防衛省防衛研究所>海軍一般史料>④艦船・陸上部隊>電報


アジ歴活用の現場から

『相模原市史 近代資料編』での利用例について

<相模原市立博物館市史編さん班 井上泰>

相模原市史続編編さん事業は、平成30年2月の『相模原市史 別編』の刊行を以て、平成16年11月の『相模原市史 現代図録編』からの全10巻の刊行を終了しました。ここでは、アジア歴史資料センター(以下、「アジ歴」と省略)資料の利用例として『相模原市史 近代資料編』(以下「近代資料編」と記す)を取り上げて報告します。

『相模原市史 近代資料編』平成29年5月刊行『相模原市史 近代資料編』平成29年5月刊行

 相模原市史続編は、平成18・19年の津久井四町との合併以前の、旧相模原市域を対象とする自治体史編さん事業であり、地域史とか地方史と呼ばれるジャンルに属する歴史編さん事業になります。従って、第一義的には地域の資料、その地域にどれだけの、どんな資料があるか、もしくは眠っているかを発掘していく作業で、あくまでも地元等に残された資料で地域の歴史を再構成する取り組みです。
 しかし、近代資料編においては、全体を見通すための参考資料として必要とされる場合と、相模原市の持つ特殊事情から必要になる場合の二つの側面からアジ歴の扱う資料が必要となり利用させていただきました。

 まず、全体を見通すために必要となる資料についてですが、地域に残る資料はどうしても断片的なものが多く、制度や事件などの全体を見通すためには不十分な場合が多くなります。近代資料編では、第6章「産業と交通の進展」の中に、第4節「鉄道の計画と敷設」という項目を設け、相模原市内を走る鉄道及び鉄道未成線の資料を、「翻刻」(ほんこく)という活字化し掲載する作業を行いました。具体的には、横浜鉄道・横浜線(現JR横浜線)、小田原急行鉄道(現小田急電鉄)、相模鉄道(現JR相模線)、未成線としての相武電気鉄道、南津電気鉄道などの資料です。相模鉄道や相武電気鉄道の資料は市内関係者の子孫のお宅に資料が残されているため、地元資料を活用することができました。横浜鉄道の開通当日の様子などは、『相澤日記』を部分引用して掲載していますが、制度の根幹に関わる部分、例えば、横浜鉄道を国が借り受け、国有化の端緒となった閣議決定の資料などは「鉄道省文書」(国立公文書館蔵)を翻刻しています。この第4節の多くの資料は「鉄道省文書」からの翻刻資料になります。自治体史の基本として地元に残る資料を大切にしつつ、制度や経過を明らかにするために「鉄道省文書」を利用するという形になっています。

 次に相模原市の特殊事情から必要になった資料の部分ですが、これは戦前における軍都の建設関係の資料になります。昭和12年に行われた陸軍士官学校本科の相模原移転を嚆矢とする陸軍諸施設の相模原への移転で、「軍都計画」という言葉でも語られるとおり、相模原には、陸軍士官学校、臨時東京第三陸軍病院、相模兵器製造所(後、相模陸軍造兵廠)、陸軍工科学校(後、陸軍兵器学校)、電信第一連隊、陸軍通信学校、原町田陸軍病院(後、相模原陸軍病院)、陸軍機甲整備学校の8つの陸軍施設が昭和18年までに移転しており、造兵廠に関連する各種の軍需工場なども建設されています。こういった陸軍の動きに対応するため、相模原地域は新興工業都市として都市計画法の対象となり、神奈川県を中心として土地区画整理事業が昭和14年から実施され、昭和16年には8か町村合併による相模原町が誕生しています。余談ですが、相模原市の現代の都市計画の礎は、この土地区画整理事業に多くを負っています。

 陸軍士官学校移転に関する文書資料は、比較的豊富に地元旧町村役場資料に残っていますが、他の陸軍施設についてはほとんど地元には保存されていません。軍需工場なども軍事機密扱いとなり、ほとんど残されていません。近代資料編では、第9章「軍都計画と相模原」という章を設け資料を翻刻していますが、「横浜貿易新報」などの新聞資料や「相澤日記」などからの翻刻に努めるとともに、「御署名原本」から「陸軍工科学校令の改正について」、「公文雑纂」から「神奈川県上溝都市計画相模原土地区画整理決定ノ件」など(いずれも、国立公文書館蔵)、防衛省防衛研究所資料から「陸軍技術研究所之部」、「工場監督概況書」などを翻刻しています。特に今回、陸軍諸施設の設置等の経過に関するまとまった資料として、敗戦後、連合軍司令部の質問に対する回答文という形で作成された「状況説明書」(陸軍士官学校・陸軍通信学校・陸軍機甲整備学校)を掲載することができました(「連合軍司令部の質問に対する回答文書綴(教育)」防衛省防衛研究所蔵)。戦中には軍事機密として秘匿された事項を明らかにする資料として注目されます。

 最後に、自治体史編集の事務局という視点から述べますと、「近代資料編」はあくまで資料編であり、資料を翻刻する作業の繰り返しで、1134頁の資料編に657点の文書資料を掲載しています。これは、原本確認、原本校正の連鎖を意味します。このような中で、原本をパソコンから直接確認でき、二次利用(翻刻)については特別の許可を必要としないということは、当然、自らの刊行者・発行者という責任は付いてきますが、編集作業に非常な恩恵をもたらしています。

 平成26年刊行の『相模原市史 現代テーマ編』の準備段階においては、故金原左門先生が自ら筆写されてきた『密大日記』(陸軍省大日記の内の密大日記、防衛省防衛研究所蔵)の文字を入力し、さらに複写資料を取り寄せ、確認する作業の日々でした。数年の違いではありますが、基本作業は変わらないものの、原本確認の利便性は、アジ歴のお蔭で、隔世の感があります。今後とも拡充を期待しております。

相模原市立博物館におけるミニ展示相模原市立博物館におけるミニ展示

 『軍都計画』と相模原 ―相模原市立公文書館第11回企画展―

<相模原市立公文書館職員・元相模原市立博物館長 菊地原恒市>

「相模原」といえば、何を思い浮かべますか。幅40mの国道16号。碁盤の目の市街地。行幸道路。東京オリンピックのカヌー競技が行われた「相模湖」。小惑星探査機「はやぶさ」「はやぶさ2」で有名なJAXA(宇宙航空研究開発機構)相模原キャンパス。そして在日米陸軍相模総合補給廠など。

かつて相模原が「軍都」であったことを知らない市民がたくさんいます。特に20代30代の方はそんなことは知ることもなく生活をしています。 今でこそ、72万人の人口を抱える、政令指定都市「相模原市」ですが、昭和初期には、広大な原野の相模原台地に3万人余りが住む閑村でした。

その相模原に何があったのか、それがどのように今に繋がっているのか。私たちが暮らし、働いている「相模原」と『軍都計画』がどのように関わっているのか、そこには、複雑な時代背景と幾多の問題や犠牲もあったことだろうと思います。 その事実を歴史的公文書で現したかったのが今回の企画展です。

そこで、2018(平成30)年2月15日~4月8日まで、「陸軍施設の移転」「相模原軍都計画」「相模川河水統制事業」の3部構成で企画展「『軍都計画』と相模原」を開催しました。 第ニ次世界大戦の前から終戦のころまでの約10年のことであり、旧村の歴史的公文書を当たるも、断片的なもののみで、頼みとなったのが国立公文書館アジア歴史センター(以下「アジ歴」という。)のデジタルアーカイブでした。

アジ歴のデジタルアーカイブから、国立公文書館、外務省外交史料館、防衛省防衛研究所の公開データを当たり、実際に、それぞれに足を運び、実物を写真に収めてきました。特に、防衛省防衛研究所にある、 1936(昭和11)年の「陸軍士官学校新設位置に関する件」の簿冊の中の、「第二議題 陸軍士官学校本科設置位置に就いて」には、「極秘」の赤いスタンプが押され、「二、原町田西方地区」(相模原のこと)に赤鉛筆で線が引かれた原本を見つけたときは持つ手が震えました。 翌1937(昭和12)年の陸軍士官学校本科の東京市ヶ谷からの転営をはじめ、1938(昭和13)年には臨時東京第三陸軍病院、陸軍造兵廠東京工廠相模兵器製造所(のち相模陸軍造兵廠)、そして1942(昭和17)年の陸軍機甲整備学校まで、相模原台地一帯には8つの陸軍施設が建設され、軍需工場など多くの軍事関連施設が続々と東京から移転してきました。

これに対応するため、1939(昭和14)年9月には、市域北部では相模陸軍造兵廠を中心に、「近キ将来ニ於テ人口十万以上ノ都市ノ出現ヲ見ルハ必至ノ情勢」という、「相模原都市建設区画整理事業」の事業説明が神奈川県議会で行われています。都市計画法を適用し、道路、交通、住宅、商業などを整備し、合わせて、町村の合併協議が進められ、1941(昭和16)年4月29日、2町6か村が合併し「相模原町」が生まれました。現在の市役所周辺の整然とした区画や公園、国道16号の40m道路などは、この当時の区画整理事業によるものです。

また、一方、水の問題では、明治時代から開田開発計画など様々な検討がなされましたが頓挫。1933(昭和8)年の農林省による調査結果から、電力開発、洪水調整、灌漑用水、そして給水事業なども行う、「相模川河水統制事業」が1938(昭和13)年1月に神奈川県臨時議会に上程され、相模ダム(相模湖)の建設がはじまります。そして、1942(昭和17)年8月、相模陸軍造兵廠への給水が開始されました。

第二次世界大戦終戦後、多くの陸軍施設が米軍に接収されたものの、一部は返還され、陸軍機甲整備学校(キャンプ淵野辺)跡地には、市立博物館やJAXA相模原キャンパスが建設されました。また、相模陸軍造兵廠は在日米陸軍相模総合補給廠となり現在に至っています。

陸軍士官学校の移転には、富士山を仰ぎ見れること、天皇の行幸ができることなどのいくつかの条件がありましたが、なぜ「原町田西方地区」(相模原のこと)が選ばれたのか、また、このわずかな期間に多くの陸軍施設の用地買収から移転までができたのか。歴史的公文書でその理由を追いましたが追いきれませんでした。

「大河は一滴の雫から」のように、今は大都市の仲間入りを果たした「相模原市」ですが、様々な時代背景や犠牲の上で、いわゆる『軍都計画』、特に「陸軍士官学校の転営」をきっかけに今の発展が動き始めたという事実があると思います。 陸軍士官学校の転営がなかったら、40mの直線道路がなかったら(国道16号)、水がなかったら(相模湖の建設)などと考えたとき、これだけの発展があったであろうか。 リニア中央新幹線の神奈川県駅(仮称)の建設が進められているほか、様々なプロジェクトがある相模原市ですが、その礎を振り返る、見つめ直す機会となりました。


陸軍用地買収に関する件「陸軍練兵場関係書類」
1931年6月27日 陸軍士官学校用地買収に関し陸軍からの突然の電話連絡(麻溝村文書、相模原市立博物館所蔵)

陸軍士官学校正門
(『相模原市史』現代図録編、相模原市立博物館所蔵)

《参考資料》

新しいコンテンツのご紹介

明治150年インターネット 英語版 “The Iwakura Mission : Tracking 150 People Who Crossed the Oceans” 

 昨年11月に公開しましたインターネット特別展「岩倉使節団 -海を越えた150人の軌跡-」の英語版を公開いたします。英語版では、日本語版の内容のうち、「人名を見る」「岩倉使節団の記録」「解説コラム」について、主要部分を抜粋してご紹介します。

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対外活動報告


・海 外

3月22日~24日
AAS年次大会(デンバー)でのブース出展
関連機関イベント情報
開催期間
イベント名
内 容
リンク
2019年4月6日(土)~5月12日(日)
平成31年春の特別展 江戸時代の天皇

→リーフレット(PDF:2.2MB)
 平成31年(2019)は天皇陛下の御退位と皇太子殿下の御即位が行われます。本展では、この御退位・御即位を記念し、江戸時代の天皇について取り上げます。 織田信長・豊臣秀吉・徳川家康ら天下人が登場し、それに続く江戸幕府による支配の中で、天皇・朝廷はどのように渡り合い、関係を構築していったのか。光格天皇による朝廷儀式の再興、江戸時代の元号の選定と改元などについて、当館所蔵の絵巻物や公家日記などを中心にご紹介します。
ご寄贈いただいた文献のご紹介

 本年度中に皆様からご寄贈いただいた、アジ歴やアジ歴公開資料が言及・引用されている文献のご紹介です。

編著者名
書 名
出版元
出版年
科学技術振興機構中国総合研究交流センター・編
中国の日本研究
科学技術振興機構中国総合研究交流センター
2016
土浦市立博物館・編
花火と土浦 祈る心・競う技
土浦市
2018
磯崎典世・監修、宮本正明ほか・編
未公開資料朝鮮総督府関係者録音記録 総索引・人名編
学習院大学東洋文化研究所
2018
三浦徹
Comparative Study of the Waqf from the East
東洋文庫
2018
横浜市ふるさと歴史財団近現代歴史資料課市史資料室担当・編
豊かな海と暮らし 金沢区柴の漁業史
横浜市史資料室
2018
東京大学史料編纂所・編
アジア歴史資料の編纂と研究資源化
東京大学史料編纂所
2018
川勝平太・著、Jean Connell Hoff・訳
The Lancashire Cotton Industry and lts Rivals
国際文化会館
2018
小熊英二・著、David Noble・訳
Return from Siberia
国際文化会館
2018
防衛省防衛研究所・編
非正規戦争の歴史的考察
防衛省防衛研究所
2018
小沼孝博・David Brophy・新免康・編
Xinjiang in the Context of Central Eurasian Transformations
東洋文庫
2018
外務省・編
日本外交文書 占領期第3巻 邦人の引揚げ問題
白峰社
2018
东洋文库超域亚洲研究部门现代中国研究班・編
展望当代中国研究
東洋文庫
2018
筒井清忠・編
昭和史講義 軍人篇
筑摩書房
2018
黄自進・潘光哲
中日戰爭和東亞變局 上下冊
稻郷出版社
2018
Sugihara House
Casablanca of the North
Sugihara Diplomats
for Life Foundation
2017
海軍教育訓練暨準則發展指揮部
海軍教準部七十周年記念輯
海軍教育訓練暨準則發展指揮部
2018
波多野澄雄・中村元哉・編
日中戦争はなぜ起きたのか 近代化をめぐる共鳴と衝突
中央公論新社
2018
河原地英武・平野達志・訳著、家近亮子ほか・監修
日中戦争と中ソ関係
東京大学出版会
2018
梅村卓・大野太幹・泉谷陽子・編
満洲の戦後 継承・再生・新生の地域史
勉誠出版
2018
波多野澄雄・戸部良一・松元崇・庄司潤一郎・川島真
決定版 日中戦争
新潮社
2018
National Library
Board, Singapore
The Rare Materials Collection
National Library
Board, Singapore
2017
国立歴史民俗博物館・編
旧侯爵木戸家資料目録
歴史民俗博物館振興会
2011
大川史織・編
マーシャル、父の戦場
みずき書林
2018
楊海英・編
モンゴル人ジェノサイドに関する基礎資料(11) 加害者に対する精算
風響社
2019
National Archives of Thailand
Celebrating the National Glass Plate Negatives Registered as UNESCO Memory of the World
National Archives of Thailand
2018

団体などが主催する行事・研究会、学校の授業等において、アジ歴の紹介や利用ガイダンスなどを行うことが出来ます。ご希望の方は下記の「お問い合わせ先」までお知らせください。

アジ歴のリーフレット(日本語版・英語版・中国語版・韓国語版)をご希望の方は下記の「お問い合わせ先」までお知らせください。

ニューズレターの発行をお知らせするメールは、名刺を頂戴した皆様及び配信のご希望をいただいた皆様にお送りしています。 配信を希望されない場合は、お手数ですが下記の「お問い合わせ先」までお知らせください。

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