絵筆が記録した日本軍捕虜収容所 <山梨学院大学 教授 小菅信子>
私は大学で日本近現代史の講義をしています。生涯学習・社会教育の場でも、日本近現代史について話をします。 世界中から留学生や社会人が、私の講義を聴きにきてくれます。あくまでも実証的に、原史料にもとづいてお話をすることを、私はとても大切にしています。 ですから、国立公文書館のデジタルサイト・アジア歴史資料センターを、学生や聴講者のみなさんとともに利用します。 地方で学ぶひとたちでも、無料で、常時、原史料を閲覧、コピーすることができますし、史料へのアクセスがとても簡単で、多数国語で構築されているので利用しやすいです。
終戦から70年、私は、アジア歴史資料センターのデジタル史料のなかに、「戦陣訓」を見つけました(レファレンスコード:C01005234000)。 「戦陣訓」は、日本が英国と米国に宣戦布告した1941年の初めに公布され、「生きて虜囚の辱を受けず」で有名です。 日本兵に捕虜となることを戒めた「戦陣訓」は、降伏した連合国捕虜の処遇を過酷なものにしました。
21世紀構想懇談会編『戦後70年談話の論点』(日本経済新聞出版社)に、慶應義塾大学法学部の細谷雄一教授が「20世紀の回顧と和解の軌跡―イギリスの視点を中心として」という論稿を寄稿しておられます。 細谷教授が指摘されているように、太平洋戦争期の日本軍による英国をはじめとする連合国の捕虜処遇は、戦後日本と関係諸国の間で苦い記憶として疼き続けました。
英国は、連合国のなかでもっとも多い5万人余の将兵を日本軍に捕獲されました。 そのうちの三分の二は、タイとビルマ(当時・現在のミャンマー)のあいだ、全長415キロの鉄道建設の現場で過酷な労働を強いられました。 険しい山岳地帯、熱帯病の巣窟、日本軍の指揮のもと、アジア人労務者と捕虜が鉄道建設に従事しました。 多くの犠牲者のうえにこの鉄道「泰緬鉄道」は完成しました。 泰緬鉄道は、今日もなお、タイ側では走行し続けています。 そこは遺族や友人たちにとっては巡礼地であり、また若い人々の歴史学習の地であり、かつ観光地でもあります。
件名:戦陣訓に関する件 通牒(25画像目)
ジャック・チョーカーさんの記録画より
泰緬鉄道の建設に従事した英国人捕虜のうち、過酷な労働条件下でおよそ5人に1人が病気や負傷で死にました。 戦後、東京裁判や対日戦争犯罪裁判(BC級戦争犯罪裁判)で、泰緬鉄道建設に関連した日本人(日本の植民地出身者を含む)の一部は裁かれました。 その後、一四か国二〇数万人が従事した泰緬鉄道の記憶は、世界的に共有されました。 何度か映画化され、ドキュメンタリーや手記も多数公開されてきました。
靖国神社の遊就館にいくと、当時、泰緬鉄道を走っていた蒸気機関車を見学することができます。 私は泰緬鉄道の線路を歩いたこともあります。歩くだけでも大変でした。 建設するのはどれほど困難だったでしょうか。
ジャック・チョーカーさんの記録画より
ジャック・チョーカーさんの記録画より
実は、ひとりの若い英国人画家が、泰緬鉄道の建設中に、日本軍の目を盗んで、極秘裏に、見つかったらスパイ行為として死刑になりかねないのに、命がけで描いた絵と手記があります。 その画家の名前はジャック・チョーカーさんです。 日本軍の元捕虜だったジャックさんは、「私たちの友情は戦争という糞から咲いた桜の花のようですね」と、私に書き送ってくれました。 一緒に本を何冊も出しました。
ジャックさんは、こんなふうに自分の戦争体験や収容所体験について述べています。
「私を含め、何十万もの数多くの若者たちが、大いなる希望を抱いて自分の将来の計画をねっている時、突然、国際的な軍国的狂気と熱狂をはらんだ残虐性に対して、それを支持したり、あるいは対抗したりするための殺戮に巻き込まれていきました。 お互いに滅亡させあういわれなど微塵もなかった私たちのような若い男女が、こうした立場に置かれたのでした。」
「ポピーと桜」ジャック・チョーカー作、2008年。
「家族が興味を持っていたことから、私は少年の頃、精妙で美しい日本の芸術を知る機会に恵まれました。
父は日本の風景画と庭園に強い関心を抱き、姉はとても美しい日本の伝統的な着物と織物に興味を持っていました。
日本への興味は、以前の私たち一家にとって重要な関心事のひとつであり、私は、芸術分野での日本人の業績に、大いなる喜びと称賛の念とを抱き続け、生涯を通じて、その思いを育んできました。
それは、戦争においてでさえ妨げられはしませんでしたし、さまざまな意味でむしろ強化されたのでした。
戦争に投げ込まれ、やがて日本軍の捕虜になると、日本人の残虐性を目撃し、自分も残虐な行為を受けるようになり、不具にされ殺害される友人や仲間の兵士を見ることは、日本の芸術性を愛好する自分にとって、恐るべき矛盾となっていきました。
当時若者であった自分にとって、さらに心をかき乱されたのは、私たちが助けることの出来なかった一般市民が、ひどい残虐行為にさらされている事実を目撃しながら、それを防ぐことが出来ない無力さを感じたことでした。
私たちの多くにとって、このことはきわめて辛く、恐ろしい出来事で、日本のひときわすぐれた精妙な美しさや文化、日本が遂げた偉大な業績に裏切られた思いがしました。」
「捕虜であった3年半の間、絶望的な状況に置かれていたにもかかわらず……あたたかな感謝の念をもって思いだすことのできる日本人や朝鮮人監視員も何人かはいました。 私たち捕虜からみて、朝鮮人の兵士は、兵士としても人間としても、日本人の兵士よりも低い役割しか与えられていないようで、なんとなく不可解で不公平に思えました。 朝鮮兵の側に憤懣のようなものがあることは理解できましたが、彼らがそうした憤懣のいくばくかのはけ口を、私たち捕虜に向けがちだったことには納得がいきませんでした。 しかし、いくつかの例外もありましたし、ときには、私たちは心から彼らの身を案じました。」
「こうした人間的な交流についてお話ししてきたのは、たとえ小さな出来事に見えたとしても、希望と生き残りのためには重要であったからです。 当時は憎悪や憤懣の感情を抱くことは避けられませんでしたが、彼らのような人びとが、私たちみなが狂気の状況下にあるのだということを心に留めさせてくれたのでした。 ……日本と英国の何万人もの兵士たちと同じように、私も、これでもう残虐行為と破壊に関わらなくすむのだという、心底からの安堵の気持ちを抱いて戦争から帰還しました。」
現在の泰緬鉄道(タイ側)を歩く
私は、第二次世界大戦の終結から70年を経たいま、ジャックさんが述べたように、「目で見ることの出来る戦争の記録という遺産によって、万人共通のあわれみの気持ちが湧き起こり、若者たちが自分たちも次の世代に何を残せるか責任を持つ」ことを願い、ジャックさん自身が若い頃に命をかけて残した記録画をアジア歴史資料センターを通じて紹介したいと思います。
おもな参考文献
小菅信子『ポピーと桜』、岩波書店、2008年。
ジャック・チョーカー「経験・記憶・和解」小菅信子編著『原典でよむ 20世紀の平和思想』、岩波書店、2015年。
小菅信子「英軍俘虜・抑留者」東郷和彦、波多野澄雄編著『歴史問題ハンドブック』、岩波書店、2015年。
小菅信子「泰緬鉄道の捕虜収容における捕虜軍医の医療活動」『軍事史学』第49巻第4号、2014年3月。
小菅信子「泰緬鉄道の日本軍捕虜収容所における腐敗、即興、再生」、小菅隼人編著『腐敗と再生』、慶應義塾出版会、2004年。
黒沢文貴、イアン・ニッシュ編著『歴史と和解』、東京大学出版会、2011年。
小菅信子、ヒューゴ・ドブソン編著『戦争と和解の日英関係史』、法政大学出版会、2011年。
木畑洋一、小菅信子、フィリップ・トウル編著『戦争の記憶と捕虜問題』、東京大学出版会、2003年。
Dobson, Hugo and Nobuko Kosuge (co-eds), Japan and Britain at War and Peace, Routledge, London and New York, 2009.
Towle, Philip and Yoichi Kibata and Margaret Kosuge (co-eds), Japanese Prisoners of War, Hambledon and London, London and New York, 2000.
インターネット特別展「公文書に見る終戦 ―復員・引揚の記録―」
「アジ歴で資料を検索する時にどんなキーワードで探すのかわからない」といった声にお応えし、歴史資料検索ナビ「アジ歴グロッサリー」を公開しました。 特に今年は終戦から70年ということで「復員・引揚」をテーマにしています。 これによりアジ歴で公開している終戦時の復員・引揚の記録を、地図・組織変遷表・年表を辿りながら体系的に検索できます。 ぜひご活用ください。
期 間
|
イベント名
|
備 考
|
リンク
|
10月24日~12月19日
|
平成27年度 第3回企画展「ようこそ歴史資料の宝庫へⅡ ―未知なる場所への道しるべ―」
|
中国の景勝地である廬山の観光案内書、間宮林蔵の樺太・東韃地方の探査記録、明治政府の公文書など、当館所蔵の重要文化財から選りすぐりの3点を中心に展示します。
本展示は、「東京文化財ウィーク2015」参加企画です。
|
期 間
|
イベント名
|
備 考
|
リンク
|
2015年10月13日
~2016年3月31日 |
特別展示「日本とブラジルの120年」
|
日本とブラジルは1895(明治28)年11月5日、「日伯修好通商航海条約」の調印により外交関係を樹立しました。
本年は120周年にあたります。
外交史料館が主催する今回の特別展示では、明治期の日本人移民の送出経緯、大正・昭和期にかけての移民社会の発展などを示す外交史料を通して、両国の交流の歴史を紹介します。
|
|
10月10日~11月23日
|
外務省外交史料館・茨城県立歴史館共催「日本外交のあゆみ」
|
外務省外交史料館は茨城県立歴史館と共催で「日本外交のあゆみ」展を開催します。
外交史料館が所蔵する条約調印書、批准書、ナポレオン三世やリンカーン、ヴィクトリア女王からの国書・親書など、幕末から昭和時代の100年以上におよぶ日本外交の足跡をたどる外交史料館所蔵史料を100点以上展示し、日本外交のあゆみを紹介します。
会場は茨城県立歴史館です。
有料です(大人600円)。
|
【編集後記】
アジ歴ニューズレター第18号をお読みいただきありがとうございました。
今回は、小菅信子先生よりのご寄稿を中心にお届けいたしました。
次号以降も引き続き利用者の皆様に役立つ情報をお届けしていきたいと考えております。
どうか今後ともご愛読頂けますようよろしくお願いいたします。
※アジ歴利活用促進のためのアンケートにご協力ください。
アンケートは ≫ こちら ≪ から。
団体などが主催する行事・研究会、学校の授業等におけるアジ歴の紹介や利用ガイダンスなどを実施します。ご希望の方は下記の「お問い合わせ先」までお知らせください。
アジ歴のリーフレット(日本語版・英語版・中国語版・韓国語版)をご希望の方は下記の「お問い合わせ先」までお知らせください。
ニューズレターの発行をお知らせするメールは、アジ歴職員に名刺を頂戴した皆様及び配信のご希望をいただいた皆様にお送りしています。 配信を希望されない場合は、お手数ですが下記の「お問い合わせ先」までお知らせください。
【お問い合わせ先】 電話番号:03-5805-8801(代表) Email:jacar_enquire@archives.go.jp