電信及び公信の見方
アジ歴で公開されている外務省記録の中で、外務本省と在外公館との間の通信記録があります。 これらの通信記録の読み方がよくわからないという方が少なからずいらっしゃるようです。 そこで、昭和戦前期の記録を例に、外務本省と在外公館との通信手段である電信と公信の見方について説明します。
外務本省と在外公館との通信手段のうち、電信は、符号の送受信による電気通信のことで、双方の間で比較的緊急性を要する情報のやりとりを行う通信手段です。 これに対して、公信は、公印を押された文書そのもの、及び附属となる資料をそのまま送るための通信手段です。
まず、電信について説明します。 【画像1】は、昭和13年11月19日午後に在張家口(中国東北部にある都市)領事館から発信された、外務本省宛電信(レファレンスコード:B08060824300)です。 この画像をみると、1行目に本省が受け取った電信の通番があり、その下に「略」と書いてあります。 この「略」は、略式の暗号をかけて送付されたことを意味します。 正式の暗号がかけられた場合は「暗」、暗号がかけられなかった場合には「平」と書かれます。 その下に発信日時(昭和13年11月19日午後)が書かれ、一番下には本省における主管局課が書かれています。ここでは、亜細亜局と通商局になります。 2行目には宛先(ここでは外務本省)と、着信日時(昭和13年11月19日夜)が書かれています。 3行目の上には、宛先が、下には送り主が誰かが書かれています。
電信のやりとりは、外務大臣と在外公館長とのやりとりの形をとります(【画像1】の場合は宛先が外務大臣、送り主が張家口の領事になります)。 4行目には、在張家口領事館からその年の何番目に送られた電信かが書かれています。 5行目に件名が書いてあり(「内蒙古自治政府の外国煙草課税の件」)、末尾に転電先(メールでいうところのCC)として、北京にある在中華民国大使館及び天津総領事館が書かれています。
在外公館長をはじめ在外公館職員は、外務大臣の監督に属していましたが、大使館付及び公使館付の陸軍武官、海軍武官は、大使館及び公使館の職員でありながら、外務大臣の監督下ではなく、それぞれ参謀本部、海軍軍令部長の監督下にありました。 このため、武官との電信のやりとりの相手は外務大臣ではありませんでした(例として、在ソビエト大使館付武官から参謀次長宛の電信(レファレンスコード:B02030780300)があります)。 そのほか、在外公館と大東亜省との電信のやりとり(例として、レファレンスコード:B08060393500の1画像目)、興亜院とその出先機関とのやりとり(例として、レファレンスコード:B08061208000の1画像目)があります。
次に、公信について説明します。 【画像2】は、在上海総領事館から外務本省宛で、「中支思想対策要領」という書類を送付する旨の公信(レファレンスコード:B02030535600)です。 1行目には、送付元である上海からその年の何番目に送られる公信であるのかを示す番号が書かれています。 2行目には公信送付日(昭和13年12月8日)が記されています。 3行目から4行目に「在上海 総領事 日高信六郎」とあり、在上海総領事館の総領事名で発信されたことがわかります。 公信の場合は、在外公館長名に、必ず公印が押されます。 5行目には宛先となる外務大臣の名が記されています。 次の行に件名として、「『中支思想対策要領』等の送付の件」と書かれており、送付する物があることがわかります。 末尾に「本信写送付先」とあり、送付先として「在北京大使館参事官、天津、香港、広東」とあります。 これは、北京にある大使館、天津、香港、広東にある総領事館に対して、情報共有のために公信の本文を送ったことを意味します。
公信は電信同様、外務大臣と在外公館長との間で公式にやりとりするものですが、人事問題など、公式のやりとりになじまない案件の場合は、公信とは別の形式の通信手段が必要となります。 これが「半公信」とよばれるものです。 【画像3】が半公信の例(レファレンスコード:B07080579000)です。 半公信は公信と同様、右から送付元からその年の何番目に送られるのかを示す番号、送付日、送付元公館名及び送付者、送付先(氏名、肩書き)となっています。 しかし、【画像3】を見ると、公信とは2点が異なります。
1点目は、送付元が在外公館長となっておらず、また、送付先が外務大臣になっていません。 半公信は、非公式な通信手段なので、担当者同士のやりとりとなります。 もう1点、本文の書式が異なります。 非公式なやりとりであり、書簡の性質を有するため、冒頭に「拝啓陳者」と書き出し、末尾には「此段得貴意候 敬具」の文言で締めます。 なお、公信、半公信は、外務本省と在外公館との間の通信のみならず、外務省と、国内各省庁や地方自治体との間、在外公館相互間、在外公館と外国政府とのやりとりにも用いられます。
【参考】
小池聖一『近代日本文書学研究序説』,現代史料出版,2008年9月.
小池聖一「外務省文書・外務省記録の生成過程―外務省文書の文書学的一試論―」,『日本歴史』第584号,1997年1月,1-15頁.
坂野正高『現代外交の分析』,東京大学出版会,1979年.
柳下宙子「戦前期外務省における電信書式の変遷」,『外交史料館報』第15号,2001年6月,105-122頁.
柳下宙子「外務省における戦前期の公信書式の変遷について」,『外交史料館報』第9号,1996年3月,40-50頁.
・国 外
2016年9月5日~9日
|
ICA(国際公文書館会議)総会(韓国、ソウル)でのセンター長講演「国立公文書館の二つのデジタルアーカイブの挑戦」(→国立公文書館によるICAソウル大会報告)
センター長講演 |
2016年9月12日~23日
|
EAJRS(日本資料専門家欧州協会)総会(ルーマニア、ブカレスト大学)でのプレゼンテーション、ワークショップ開催、ブース出展
/ルーマニア国立公文書館での意見交換・所蔵資料調査
/ベルリン自由大学文献学図書館での意見交換・所蔵資料調査
/ドイツ連邦外務省外交史料館での意見交換・所蔵資料調査
/ベルリン国立図書館での意見交換
EAJRS総会 |
・国 内
2016年7月27日~28日
|
全国歴史教育研究協議会第57回研究大会(浦和コミュニティセンター)でのブース出展
|
2016年10月16日
|
第102回全国図書館大会(青山学院大学)でのブース出展
アジ歴ブース |
2016年11月7日~8日
|
第5回東アジア史料研究編纂機関国際学術会議(東京大学史料編纂所)でのプレゼンテーション
|
2016年11月8日~10日
|
第18回図書館総合展(パシフィコ横浜)でのブース出展
第18回図書館総合展 |
2016年11月16日~17日
|
第64回全国博物館大会(群馬音楽センター)でのプレゼンテーション及びブース出展
/群馬県立文書館での意見交換・所蔵資料調査
第64回全国博物館大会でのアジ歴プレゼンテーション |
アメリカ合衆国における日本関係資料所蔵状況
2016年3月のアメリカ出張に際し、丸尾資料情報専門官と平野研究員が以下の2機関を訪問し、日本関係資料の所蔵状況および資料のデジタル化について聞き取り調査を行いました。以下はその報告です。
・ワシントン大学東アジア図書館、スザロ・アレン図書館(Suzzallo and Allen Library and East Asia Library, University of Washington)(→ウェブサイト)
シアトルに所在するワシントン大学(University of Washington, UW)は、ワシントン州の州立大学です。 この大学には、中央図書館として同大学内の図書館組織を束ねるスザロ・アレン図書館(Suzzallo and Allen Library)の他に、学部ごと等に設置された15の研究図書館(Research Library)が存在します。 東アジア図書館(East Asia Library)もその1つであり、その名のとおり東アジアに関する資料を所蔵しています。
東アジア図書館の外観
スザロ・アレン図書館の閲覧室
東アジア図書館の発端は、1937年に、中央図書館が中国の文学作品の小さなコレクションを購入したことでした。 このコレクションは、コロンビア大学からの2,000点の寄贈も加えながら1940年代には20,800点にまで増えましたが、コレクションとしての名前もなく、中央図書館の東洋研究室(Oriental Seminar Room)に置かれていました。 しかし、1946年に極東研究所(The Far Eastern Institute)が設立されると、このコレクションは独立して極東図書館(Far Eastern Library)となりました。 その後、ジョージ・カー(George Kerr)のコレクションや、第二次世界大戦中に米国陸軍の教育用に用意された韓国資料のわずかなコレクションが加わり、日本コレクションや韓国コレクションの基礎が出来上がりました。 1950年代初めには、中国に関する日本語資料の購入が進められると共に、ジョセフ・ロック(Joseph Rock)のコレクションやハーバート・H・ゴーウェン(Herbert H. Gowen)のコレクションも加わり、中国・アジア関係資料がさらに拡大されました。 1976年に極東図書館は東アジア図書館(East Asia Library)へと名前を変え、現在のゴーウェン・ホール(Gowen Hall)へと移転しました。 その後、1980年代には、コレクションの急速な拡大、オートメーション化の導入、そして1990年代には、東アジア関係の電子情報での収集が進められました。 この図書館は、中国国外で初めて二十五史データベースを持った機関であり、また、北米で初めて日本のNACSIS-IRと連携した学術図書館でもあります。 2015年6月の時点で、同図書館では、中国語、日本語、韓国語、チベット語、満洲語、モンゴル語、その他の言語による東アジア関係の資料683,000点以上を所蔵しています。
ワシントン大学の全図書館組織における職員・司書は約320名おり、うち、サブジェクト・ライブラリアン(Subject Librarian:特定の学部・学科のために、蔵書の構築・管理、資料購入の補助金申請・予算管理、レファレンスを担当する司書)と呼ばれる司書が約50名います。 東アジア図書館では、日本、中国、台湾、韓国・朝鮮それぞれの分野につきサブジェクト・ライブラリアンが1名ずつ、それ以外にカタロガー(目録作成作業担当者)、及び資料の購入アシスタントが各1名ずついます。
東アジア図書館は、研究図書館という位置づけにあるため、資料の収集にあたっては、サブジェクト・ライブラリアンが、教授へのインタビューなどを通じて、学内の研究者が必要とする資料を吟味して選定し購入しています。 サブジェクト・ライブラリアンはまた、「蔵書開発方針」(Collection Development Policy)と呼ばれるいわば収集基準を作成して大学に提出し、これに基づいて収集を行っています。 なお、この「蔵書開発方針」は、アメリカ国内の各研究図書館が互いのものを参考に作成しているものであり、内容は各館ほぼ共通しているとのことです。
資料の寄贈については、受け入れる体制は常にとられているものの、「蔵書開発方針」に従い、図書館に求められている本来の研究目的に沿っていること、重複がないことなどを受け入れの条件としています。 最近の例としては、とある研究者が収集した日本の漫画のコレクションが寄贈された際に、過去に別途寄贈されて重複していたものは全て除外したとのことです。 また、非学術的なもの(例えば不要となった子供の絵本等)、宗教性あるいは政治性の強いもの(宗教団体の作成・発行したもの等)については、原則として寄贈を受け付けないものの、それらを必要とする研究者が学内に存在する場合には、受け入れ対象となるということです。 すなわち、あくまで研究サポートを目的とした資料収集という方針が明確にあるということでした。
東アジア図書館所蔵資料(一部は中央図書館等複数の図書館に分かれて保管されています)に含まれる主要な日本資料は、言語、歴史、文学、社会、経済等の、日本研究分野の研究をサポートする本、雑誌、電子資料などですが、貴重書室には、江戸期の古地図や古典籍等もあります。
一方で、スザロ・アレン図書館の貴重書室には、シアトルの日系移民に関する資料が多数所蔵されています。 ワシントン大学のあるシアトルには、19世紀末以降多くの日本人が移住するようになり、市内の一角には日本人街も形成されました。 こうした日系移民のコミュニティー内で発行されていた新聞や、日本人会や日系のキリスト教会といった団体が残した書類によって構成された資料がここに所蔵されています。 以下はその一部です。 なお、これらの資料は組織的には「文書及び手稿資料課 Archives and Manuscripts Division」の管理下にあります。
・シアトル北米日本人会記録(Japanese Association of North America (Seattle, Washington), Records)(1918年~1939年):議事録簿及びスクラップブック(マイクロフィルム)、書簡及び会計記録、ほとんどが日本語資料
・日系人キリスト教会同盟記録(Japanese Christian Church Federation, Records)(1911年~1941年):書簡、議事録、会計記録、日系人キリスト教会同盟や聖ペテロ日本人宣教会、オリンピア主教区に関する報告書、多くが日本語資料
これらの資料は各団体から寄贈されたとのことですが、「日系人キリスト教会同盟記録」を実際に閲覧したところ、非常によく整理された状態で体系的に遺されており、団体の活動状況や構成員について詳細に追うことができるものでした。 こうしたところにも日系移民のコミュニティーのアイデンティティが強く表れていると感じられました。 なお、シアトルの日系移民の人々の間では、現在でも、2世代・3世代前の人々が遺した膨大な資料が発見されることがあるそうです。 こうした資料についての研究者の関心は非常に高いため、東アジア図書館としては、状態の悪い資料には燻蒸処理を行うなどして、一刻も早い対応をとり、目録整備や保存に取り掛かりたいものの、費用的な面から対処できずにいるケースがあるとのことでした。 こうした事例からも、同地域、そして同図書館が、日系人移民史という文脈において極めて重要な位置にあることが感じられました。
また、同じくスザロ・アレン図書館の地図室には、近年になって館内で所在が確認されたという多数の外邦図(戦前に旧日本陸軍参謀本部・陸地測量部によって作成された日本本土以外の地図)や、戦前から戦後にわたって作成されたものと思われる内国図(日本本土の地図)が体系的に保管されています。 しかし詳細についてはまだ不明な点も多く、中でも外邦図については、同様の資料を有している米国内の他の大学図書館や、日本の研究チームとも情報交換を進めているとの事です。
地図室で保管されている外邦図
地図室で保管されている内国図
資料のデジタル化については、基本的に、学内の研究者(教授)やサブジェクト・ライブラリアンなど、デジタル化プログラムを始めたい者が、スザロ・アレン図書館の情報テクノロジーとデジタル化プロジェクトの部署(Information Technology Services and Digital Strategies)に対し、プロジェクトの計画を提出するかたちとなっています。 同部署は、学内のデジタル化プロジェクトのマネージメント全般を担っていますが、全てのデジタル化自体をここで実施するわけではありません。 同部署が行うデジタル化は、基本的に学内リポジトリ用の作業のみですが、それでもかなりの分量を実施しているとのことです。 このため、部署内には数種類のスキャナーが置かれている他、技術者であるAnne Graham氏がオープンソースの技術を利用して自作したという撮影装置があります。
Anne Graham氏と自作による撮影装置
同部署においては、主に各学部で保持するいわゆるスペシャル・コレクションの類のデジタル化プロジェクトについては、担当しないことになっています。 その予算措置については、プロジェクトを実施する研究者(教授)やプロジェクトを持ち込んだライブラリアン自身が、合衆国からの補助金、大学の予算、デジタル・スカラーシップ、あるいは民間企業からの援助を獲得するなど様々であり、またデジタル化作業の実施形態についても、内部での実施(デジタル化の機材や環境を備える学部や研究室もあるとのこと)や、外部の団体との協力による実施など、様々なかたちがあります。
これまでのデジタル化の実績の中でも、東アジア図書館による古典籍等のデジタル化のプロジェクトは特に数が大きく、全体の実績の10パーセントほどを占めているのではないかとのことです。 資料のデジタル化については、これを実施する時点でオープンアクセスへの同意が成立していることが前提となるので、基本的に、デジタル化した上で内容(個人情報の存在等)に応じてマスキングなどの処理を行うことはありません。 ただし、公開した上で、例えば過激な表現を含むなどの問題が明らかになれば、該当資料の公開自体を取りやめるという方針だとのことです。
【参考】
Comprehensive Guide to the Manuscripts Collection and to the Personal Papers in the University Archives
(ワシントン大学図書館の「文書及び手稿資料課 Archives and Manuscripts Division」によって1980年に作成された、同大学所蔵の手稿資料コレクション及び個人書類の総合ガイド)
米国国立公文書館シアトル支部(National Archives at Seattle)は、国立公文書館により運営されている12の地域施設のうちの1つです。 米国北西部のアラスカ、アイダホ、オレゴン、ワシントンの各州の連邦政府機関により作成された54,000立方フィートの永久記録を保管しています。 日本に直接関係がある記録は、国務省保有の資料、様々な軍事資料群、立法記録センターにある資料の中に見いだすことができます。 これらの記録は、ワシントンDC、カレッジパーク、メーンランドに所在する本部にあります。
米国国立公文書館シアトル支部のエントランス
米国国立公文書館シアトル支部のストレージ内部
国立公文書館シアトル支部は、主に、インディアン局(Bureau of Indian Affairs)、土地管理局(Bureau of Land Management)、米国森林、国立公園局(US Forest Service and National Park Service) 並びに様々な海軍施設から移管された情報を含む太平洋北西部の歴史関連資料、及びこの地域の天然資源関連の様々な記録群を保管しています。 さらに、国立公文書館シアトル支部は、アジアを含む地域からの移民の動きに関する資料が多く含まれています。 中国排除法関連の事件ファイルには、写真のほか、中国系移民とその家族、目撃者とのインタビューが多く含まれています。 一部のファイルには地図が含まれているかもしれません。 これらの文書は、中国系移民の子孫が米国に住んでいた先祖をたどるのに利用することができます。 これらの記録作成に結びついた同法が、中国系の先祖にのみ適用されたため、これらの記録には日系移民に関する情報は含まれていません。 しかし、1790年から1940年まで、10年毎に行われた国勢調査の記録と、到着船の乗客のリストがオンラインとマイクロフィルムで閲覧することができます。 これらの記録の中には、太平洋北西部の日系移民に関する情報が多く存在します。
シアトルで保有しているこれらの記録は、記録コントロールスケジュール(Record Control Schedule)に従って移管され、保存されています。 移管された記録は、次の例外を除き、即時に公開されます。 その例外は、例えば、国家の安全に関わる機密情報、個人のプライバシーを侵害するおそれがある人事及び医療上の情報、正当な法執行手続を妨げるおそれがある情報、個人の生命及び安全を危険にさらすおそれがある情報です。 さらに、国立公文書館シアトル支部は、1970年以降に行われた退役軍務従事者に対するインタビューの記録は公開していません。 シアトル公文書館は、退役軍人に関する記録は一切保管していません。
資料は、国立公文書館における文書のデジタル化について定められた国立公文書館と国立公文書記録管理局のガイドラインに基づいてデジタル化されています。 国立公文書館シアトル支部は、アラスカで作成された関連の記録をデジタル化しています(http://www.archives.gov/seattle/anchorage-project参照)。 デジタル化されている資料は、例えば、アラスカの地下資源及び住民の家系に関する1900~1921年の資料です。 これらの文書のデジタルコピーは、https://www.archives.gov/research/catalogでアクセスできるナショナルアーカイブカタログで見ることができます。 公文書には、検索のため、National Archives identifier number(アジ歴のレファレンスコードに相当)が付けられています。
ボーイングアーカイブズは、ボーイング社が作成・入手した資料を保存し、社員がこれらの資料を利用するために、シアトル市郊外に作られた施設です。
ボーイングアーカイブズ
ボーイングアーカイブズのオフィス
所蔵している主要な文書は、1930年からの、社内向けの新聞及び雑誌、1916年の創業当時からボーイング社が生産してきている民間、軍用の航空機、宇宙ステーションなどの宇宙機に関する資料、飛行テスト、従業員に対する訓練、飛行デモンストレーションの記録、技術者に対するインタビュー記録、メンテナンスや操縦のマニュアル、顧客からの意見の記録などです。
特別コレクションとしては、William Allen Collectionがあります。 このコレクションは、1945年から1968年まで社長であったWilliam Allen氏が集めた業務資料、同氏が社員とやりとりをした書簡から構成されています。
日本関連の資料は、日本への航空機の販売に関する1930年代からの契約関連書類、ボーイング社が日本に製造ライセンスを与えた航空機、日本と共同で製造している航空機に関する資料などがあります。
また、ボーイング社が作成した資料以外には、ダグラス・エアクラフト社が製造していた航空機に関する資料が保存されています。 これらの資料は、同社が1997年にボーイング社によって吸収されたことに伴い、同社の所在地であったカリフォルニアから移されたものです。
所蔵している資料は大半が企業秘密であるため、公開を前提としたものではなく、まとまった資料の公開は行っていません。 しかし、ダグラス・エアクラフト社吸収の頃から、PRを積極的に行うようになり、そのPRに使用するために写真、動画の公開を行っています。 PRの具体的な方法としては、広報誌の発行(→この雑誌はインターネット上でも公開されています)、ボーイング社パンフレットの作成、ケーブルテレビを通じた広報(→この広報で使用された映像は、ボーイング社創業100周年記念ページで公開されています)を行っているほか、航空博物館(Museum of Flight)で原本及びコピーを展示しています。
デジタル化は、あくまで保存を前提としたものですが、膨大な予算を費やすため、資料のまとまりごとのデジタル化を行っておらず、必要に応じてデジタル化を行っています。 デジタル化の比率は全所蔵資料の5%程度です。
期 間
|
イベント名
|
備 考
|
リンク
|
2016年
10月29日~12月17日 |
平成28年度第3回企画展「書物を愛する人々」
|
書物を愛する人々(蔵書家)は、どのようにして書物を収集・保管し、そして活用したのでしょう。
仁正寺藩(にしょうじはん、現在の滋賀県蒲生郡)の藩主・市橋長昭(いちはしながあき、1773~1814)は、蔵書の中から選りすぐりの漢籍30点を湯島聖堂に献納し、学問の発展を願いました。
また大坂の豪商・木村蒹葭堂(きむらけんかどう、1736~1802)の蔵書は、その死後、幕府へと献上されました。
本展示では、国立公文書館のコレクション形成に大きく寄与した蔵書家を紹介するとともに、書物の奥深い世界を紹介します。
|
期 間
|
イベント名
|
備 考
|
リンク
|
2016年
10月11日~12月27日 |
特別展示「幕末へのいざない 第2部:西洋との出会い~幕末うぉーく~」
|
「通信全覧」と「続通信全覧」から、西洋文明との接触や幕末の外国公使館に関する史料を展示予定です。
|
【編集後記】
アジ歴ニューズレター第21号をお読みいただきありがとうございました。
今回は戦前の外交文書における電信や公信について解説した「今日の資料」をお届けしました。
次号以降も引き続き利用者の皆様に役立つ情報をお届けしていきたいと考えております。
どうか今後ともご愛読頂けますようよろしくお願いいたします。
※アジ歴利活用促進のためのアンケートにご協力ください。
アンケートは ≫ こちら ≪ から。
団体などが主催する行事・研究会、学校の授業等において、アジ歴の紹介や利用ガイダンスなどを行うことが出来ます。ご希望の方は下記の「お問い合わせ先」までお知らせください。
アジ歴のリーフレット(日本語版・英語版・中国語版・韓国語版)をご希望の方は下記の「お問い合わせ先」までお知らせください。
ニューズレターの発行をお知らせするメールは、アジ歴職員に名刺を頂戴した皆様及び配信のご希望をいただいた皆様にお送りしています。 配信を希望されない場合は、お手数ですが下記の「お問い合わせ先」までお知らせください。
【お問い合わせ先】 電話番号:03-5805-8801(代表) Email:jacar_enquire@archives.go.jp