陸海軍の『警備救護』活動と桜島大正噴火
戦前の陸海軍が、東日本大震災時の自衛隊と同様に、災害救助活動を行っていたという事実を、みなさんご存じでしょうか。 当時の陸海軍には、現在の自衛隊のような、災害時に国民の生命・財産を守るという法律上の規定がありませんでした。 しかし、本務である「警備」活動の一環として、事実上の災害救助活動にあたる「救護」活動を併せて行っていたのです。 そこで、陸海軍による災害救助活動を、ここでは「警備救護」活動と呼び、紹介することにいたしましょう(※注1)。
当初、「救護」はあくまでも非公式の活動に過ぎませんでした。 例えば、2万人以上が亡くなった明治29(1896)年6月15日の明治三陸地震に関して、次のような歴史資料が残されています(レファレンスコード:C07071033600)(【画像1】参照)。
被災地の仙台に駐屯していた第2師団長乃木希典は、宮城県知事からの要請を受け、陸軍省に軍医及び看護長の派遣許可を求めました。 ところが、陸軍次官児玉源太郎は「救護」活動に対して消極的でした。 「全ク一時救護ノ為メ徳義上」認めるが、本来「救護ノ事柄ハ内務省ノ所管」であり、「救護上ノ為メニ生ズル費用、即、軍医差遣ノ旅費等、総テ陸軍省ニ於テ支弁之儀ハ不穏当」と返答しています。 このように、明治中期の段階で、「救護」活動は陸海軍の任務として見做されていませんでした。 しかし、「救護」活動の効果が認められるにつれ、次第に「警備」と「救護」が不可分の関係になっていったと考えられます。
今回、「警備救護」の具体例としてご紹介するのは、20世紀の日本で最大の噴火といわれる、大正3(1914)年の桜島大噴火(桜島大正噴火)です。 アジ歴で資料を検索する方法を簡単に示しながら、桜島大正噴火における海軍、そして陸軍の活動内容について、それぞれ解説を加えたいと思います。
まず、試みに、桜島の噴火している模様を撮影した写真画像を検索してみましょう(レファレンスコード:C08020510900)(【画像2】参照)。 キーワード検索で「桜島」と入力し検索すると、434件もヒットしますが、これでは全部調べるのが大変です。 そこで、「桜島(空白)噴火」と入力し検索してください。 すると、全てのキーワードに一致する資料のみを抽出することができ、9件まで絞り込むことができます。
さらに、アジ歴独自の検索機能である「写真資料の絞込み検索」を活用してみましょう。 検索結果一覧の右上(赤字太枠内)にある「詳細検索ページ」を押し、種別で「写真を含む」にチェックをして、再度検索してください。 そうすれば、写真画像を含む件名のみを抽出することができ、目的の写真画像まで容易に辿りつくことができます。
こうした手順を経て検出できた「桜島噴火一件」(レファレンスコード:C08020510900)(【画像4】参照)という資料は、アジ歴で閲覧できる関連資料の中でも、最も詳細な記録です。 画像点数が多いため、全部で6件に分割されています。 海軍内部の通信・連絡や報告書のほか、県知事や内務書記官の状況報告等を含み、災害現場の実情や関係各所とのやり取りを把握することができます。 それでは、実際に資料の内容を見ていきましょう。
海軍は、救護班を乗せた防護巡洋艦「利根」(※注2)及び駆逐艦等を佐世保鎮守府から派遣し、情報収集に努めながら、「警備救護」活動を展開しました。 漂流船の救助、救護班の施療、衛兵の巡邏等を行いましたが、幸いにも住民への被害が少なかったこともあり、この時の活動は小規模にとどまりました。 しかし、報告書に「人心ニ及シタル無形上ノ影響ニ至リテハ、一言ニシテ尽シ得ベキニアラズ」と記されているように、災害現場における軍隊は、被災者にとって何よりも心強い存在として受け止められたようです。
一方、陸軍は歩兵第45連隊が鹿児島に駐屯していたため、災害の初期段階から鹿児島県知事管轄下の警察官・消防組と連携し、より積極的な「警備救護」活動を展開しました(レファレンスコード:C02031780800)(【画像5】参照)。 後日、侍従武官長に提出した報告書の控えによれば、市民の避難が始まるや市内には流言が百出し、秩序が乱れて盗賊も出没するという有様でした。 しかし、陸軍の「警備」活動により、七昼夜で4名の窃盗を逮捕、窃盗嫌疑者約130名が駆逐されたといわれます。 この他、避難民への炊出しや、傷病者の収容、資材の運搬等を行ったことが、アジ歴の資料から確認することができます。
このように、災害時の陸海軍は本務である「警備」活動を専らとしながらも、「救護」活動にも力を入れていたことが分かります。 それには様々な理由が考えられますが、一つは海軍の事例が示すように、災害地に陸海軍が駆けつけたこと自体に住民が安心感を抱き、国民との絆を深めることができたからです。 もう一つは陸軍の事例が示すように、警察・消防・赤十字といった組織だけでは対応しきれない非常時の局面を、陸海軍の動員力でカバーできたからです。 自衛隊の「災害派遣」の歴史的背景には、こうした陸海軍の「警備救護」の実績があるのかもしれません。
【注1】「災害出動」と呼ぶこともありますが、「災害出動」ではアジ歴のキーワード検索でヒットしません。「警備」、「救護」、あるいは「警備救護」、「救護警備」が当時の通用語です。[↑]
【注2】当時の「利根」は防護巡洋艦であり、太平洋戦争時の重巡洋艦とは別の艦船です。[↑]
【参考】
『桜島大正噴火100周年記念誌』(鹿児島県、平成26年)
『1914 桜島噴火報告書』(内閣府中央防災会議、平成23年)
『桜島大正噴火誌』(鹿児島県、昭和2年)
石原和弘「桜島の噴火の歴史 第1回 20世紀最大の桜島大正噴火とその教訓」(「NHKそなえる防災」平成25年8月9日更新)
吉田律人「軍隊の『災害出動』制度の確立」(『史学雑誌』第117編10号、平成20年10月、所収)
防衛省防衛研究所
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陸軍一般史料
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中央
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作戦指導
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戦闘序列
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日中戦争から終戦直前までの大本営陸軍部の扱った奉勅命令(大陸命)等に基づく、軍事作戦時の戦闘序列(編組)をまとめた資料群です。
[陸軍一般史料>中央>部隊歴史>全般]の資料と併せて見ることで、外地部隊の動向をより詳細に把握することができます。
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防衛省防衛研究所
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陸軍一般史料
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中央
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作戦指導
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兵站
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兵站に関する調査資料をまとめた史料群です。
陸軍の糧食(兵員の食糧)に関する研究資料などが含まれています。
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防衛省防衛研究所
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陸軍一般史料
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中央
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部隊歴史
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聯隊
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各連隊等が作成したそれぞれの連隊の経緯沿革からなる史料群です。
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防衛省防衛研究所
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陸軍一般史料
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南西
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マレー・ジャワ
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1941年12月8日に開始されたマレー(馬来)作戦やそれに続くシンガポール攻略作戦の戦闘詳報、同じ時期に行われたインドネシアのジャワ(ジャバ・爪哇)作戦の行動詳報、スマトラ作戦におけるパレンバン防衛司令部に関係する史料などから構成されています。
また、上記の地域における戦後の復員に関する史料も含まれています。
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防衛省防衛研究所
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海軍一般史料
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②戦史
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日清戦争
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日清戦争における連合艦隊の出征記録が含まれています。
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防衛省防衛研究所
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海軍一般史料
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②戦史
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日露戦争
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日露戦争における海戦の記録や連合艦隊関係史料、およびロシア・バルチック艦隊の航跡図などが含まれています。
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防衛省防衛研究所
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海軍一般史料
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②戦史
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1次大戦
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第一次世界大戦時の青島や膠州湾におけるドイツとの戦争の記録が含まれています。
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防衛省防衛研究所
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海軍一般史料
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②戦史
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満洲(上海)事変
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1932年1月~3月の上海事変における海軍陸戦隊の行動記録・戦時日誌、および前年9月に発生した満洲事変後の松花江における海軍派遣隊の行動などが含まれています。
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防衛省防衛研究所
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海軍一般史料
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②戦史
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仏印進駐
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1940年6月の北部仏印進駐に関する記録や、サイゴン(現在のホーチミン市)近辺での第五水雷戦隊や軍艦「長良」の任務報告、軍艦「飛龍」の進駐記録などが含まれています。
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防衛省防衛研究所
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海軍一般史料
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②戦史
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支那事変
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日中戦争期における海軍航空本部の事変日誌や各航空隊の戦闘詳報、および各地における海軍陸戦隊の戦闘記録などが含まれています。
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防衛省防衛研究所
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海軍一般史料
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③大東亜戦争
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中国
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中国戦線において海軍が漢口、上海、南京、広東、海南島等の地域でとった行動に関連して、海軍軍需部・経理部の出先機関、警備隊・警備府等が作成した史料があります。
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防衛省防衛研究所
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海軍一般史料
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③大東亜戦争
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北東
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1942年のアリューシャン作戦の記録や、北太平洋方面における航空戦の記録があります。
また満洲、朝鮮、千島、樺太における終戦処理についての史料も含まれています。
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防衛省防衛研究所
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海軍一般史料
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⑨その他
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霞ヶ関
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海軍軍令部関係の史料群です。
大正後期から太平洋戦争中までの陸海軍の国防方針や作戦計画等が含まれています。
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防衛省防衛研究所
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陸軍一般史料
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中央
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終戦処理
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日本軍が保有していた兵器の引渡に関する記録、外地からの復員に関係する史料などにより構成されています。
また、連合国軍総司令部の質問に関する戦史関係書類および回答文書類、同総司令部との折衝に当たっていた終戦連絡中央事務局による報告、終戦事務連絡委員会による連絡事項の記録や、連合軍進駐に対応するため参謀本部第二部長であった有末精三中将の下に組織された連絡委員会(有末機関)による記録なども含まれています。
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外務省外交史料館
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外務省記録
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M門 官制、官職
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1類 官制
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1項 帝国一般官制
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2項 外務省官制及内規
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3項 在外帝国公館
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4項 外国官制
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5項 外国公館
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「1類 官制」を公開しました。
「1項 帝国一般官制」には、朝鮮や台湾などの植民地の官制や、拓務省・大東亜省など新設の官庁の官制に関する文書が含まれています。
「2項 外務省官制及内規」は、外務省に関わる官制や省内の部局設置関係、および省令・訓令など省内の内規に関する文書から構成されています。
「3項 在外帝国公館」は、在外公館の設置や移転、閉鎖などに関係する文書が含まれています。
「4項 外国官制」には各国の官制に関する文書、「5項 外国公館」には中国やソ連などに設置されていた諸外国の在外公館に関する文書が含まれています。
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外務省外交史料館
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外務省記録
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M門 官制、官職
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2類 官職
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0項
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1項 任免、賞罰、恩給其他
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2項 出張、巡廻
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「2類 官職」の前半部分を公開しました。
「0項」には在外の他官庁からの出向者に関する文書が所収されています。
「1項 任免、賞罰、恩給其他」には、各国に駐在する大使や公使の任免、在外領事の任免、在外公館の館員の任免など、主に人事に関する文書が含まれています。
「2項 出張、巡廻」には、国内外に出張する職員等に対する辞令や事務手続き、出張者からの報告などの文書が含まれています。
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企画展「「基地県」かながわと人々」開催 <神奈川県立公文書館 中村崇高>
神奈川県は沖縄県につぐ「第2の基地県」と呼ばれています。 基地などの軍事施設の存在は人々の生活に大きな影響を与えてきました。 たとえば横須賀には、明治期に海軍の鎮守府がおかれたことにより、新たな都市が形成されました。 これに対して都市化がすすみ人口が密集する神奈川県では、厚木基地周辺で航空機による騒音問題が発生しており、県民生活に深刻な障害を与えています。 神奈川県立公文書館の第2回企画展示「「基地県」かながわと人々」では、明治から現代までを対象に、基地などの軍事施設と人々がどのように関係しあいながら存在してきたのかを紹介しました(写真1)。
【写真1】展示室全景
本展示では軍事的機能をもった都市(軍都)の形成過程と、そこで暮らす人々の姿に特に注目しました。 神奈川県下の代表的な軍都として挙げられるのは、鎮守府がおかれた横須賀、および陸軍士官学校などがおかれた相模原です。 今回アジア歴史資料センターからは、軍都相模原の形成過程をみる上で重要な資料をご提供いただきました。 現在の相模原は、昭和12年(1937)の陸軍士官学校の移転を契機に軍都として発展していきました。 もともと陸軍士官学校は東京市市ヶ谷にありましたが、都市化の進展により演習地の確保が難しくなってきました。 そこで陸軍は、昭和11年に移転候補地の選定に着手します。 この選定過程を示したのが、「陸軍士官学校新設位置ニ関スル件」(『昭和11年密大日記』所収。原本・防衛省防衛研究所所蔵)です。 この史料によれば、陸軍は富士山麓・八王子などの候補地のなかから諸条件を考慮したうえで、演習場の確保が容易であることなどの理由から「原町田西方」(現在の相模原市域)を決定地としました。 当館ではこの資料をパネル展示しました(写真2)。
【写真2】パネル展示風景
【写真3】同コーナーの前に集まる人々
本展示は昨年10月から本年3月末まで開催され、多くの方にご来場いただきました。 特に、軍都相模原のコーナーは人気を博しました(写真3)。 このほかにも、軍港横須賀の形成過程、厚木基地と人々、神奈川県基地対策課の仕事などについて、当館が収蔵する歴史的公文書、古文書・私文書、行政刊行物から紹介しました。
・EAJRS第25回総会(ベルギー・ルーヴェン)への参加(9月17日~20日)
EAJRS(European Association of Japanese Resource Specialists:日本資料専門家欧州協会)は、主にヨーロッパ各国(北米やその他の地域からの参加もあります)の大学図書館や公共図書館、研究機関等における各種の日本関係資料の担当者や、これらの資料を対象に研究を行う専門家を中心に構成される学会です。 また、日本関係資料に関する文献やデータベース等を提供する機関や業者も参加しています。 毎年9月にヨーロッパ内のいずれかの都市で開催される総会では、参加者による発表と情報交換が盛んに行われており、アジ歴もこれまでに発表等を通じて広報活動を行ってきましたが、特にこの数年間はワークショップの開催とブースの出展を実施し、活動内容を強化しています。 今回の総会はベルギーのルーヴェン市にある、ルーヴェン・カトリック大学(Katholieke Universiteit Leuven)を会場として、9月17日から20日までの4日間にわたって開催されました。 参加者は全部で78名でした。
今回は、大英図書館(The British Library、以下BL)との共同インターネット特別展「描かれた日清戦争 錦絵・年画と公文書」(2014年5月に日本語版と英語版同時公開)について、平野研究員がBL日本部の大塚靖代氏と共にプレゼンテーションを行いました。 このプレゼンテーションでは、EAJRSでの交流をきっかけに、BLとアジ歴の間で国と機関の枠を超えた共同企画が実現した経緯を説明すると共に、今回のプロジェクトにおいて最も重要なポイントとなった、中立性を維持するということと、錦絵や年画といった版画類上の日本語や中国語の書誌情報を英訳する(もしくは英語で表記する)という2つの課題に対する両機関の試みを紹介しました(→プレゼンテーションの内容はEAJRSのウェブサイト上で公開されています)。
アジ歴とBLによるプレゼンテーションの様子
多くの参加者が、紹介された日清両国の版画類の持つプロパガンダ性に衝撃を受けた様子でしたが、同時に、こうした資料を中立的に扱おうというBLとアジ歴のスタンスに対する強い関心が感じられ、同様の課題に向き合っている他機関の方からの意見交換の申し出も寄せられました。 なお、このプレゼンテーションの議論を再構成したものを、国立国会図書館の「カレントアウェアネス-E」に掲載していただいています(→「カレントアウェアネス-E」No.271_E1630)。
アジ歴のワークショップの様子
また、例年と同様に、3時間の枠を設定して開催したワークショップもかなり盛況なものとなりました。 参加者からはやはり「描かれた日清戦争」の全容を紹介してほしいとの声があったため、コンテンツの内容についてより詳細な紹介を行いました。 その他、会場となったルーヴェン・カトリック大学の中央図書館が第一次世界大戦中にドイツ軍の空爆によって破壊された後、日本の主要大学の学長が連名でその復興支援を行った際に交わされた外交文書などの紹介も行いました。
今回のEAJRSでは、プレゼンテーションを通じて、機関間連携による情報発信力強化の可能性をアピールしたこともあり、参加者からは、アジ歴との連携のかたちを探りたいというコメントもいくつかいただくことができました。
・国 外
3月19日~21日
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トルコ首相府国家アーカイブ総局主催の国際フォーラムでの講演
/トルコ首相府オスマン文書館(イスタンブール)の施設見学
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3月26日~31日
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全米日本語教育学会(AATJ)レセプション参加(在シカゴ総領事館広報センター)
/AAS(アジア研究学会)2015年次大会でのブース出展
/シカゴ大学レーゲンスタイン図書館での意見交換・所蔵資料調査
/ノースウェスタン大学アーカイブでの意見交換・所蔵資料調査
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・国 内
2月26日
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秋田県博物館等連絡協議会(秋田県博物館)でのプレゼンテーション
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3月16日
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公益財団法人渋沢栄一記念財団実業史研究情報センター長 小出いずみ氏
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3月26日
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人民日報社主管『人民論壇』雑誌社編集員 袁静氏
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4月1日
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韓国国立外交院 外交安保研究所 曺良鉉外交史研究センター長ほか1名
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イギリスにおける日本関係資料所蔵状況
2014年9月、松尾資料情報専門官と平野研究員は、イギリス所在の帝国戦争博物館(Imperial War Museumロンドン館及びダックスフォード館)、及び英国国立公文書館(The National Archives, TNA)を訪問し、担当者と面談して日本関係資料の所蔵状況及び資料のデジタル化について調査を行いました。 以下は、その報告です。
・帝国戦争博物館(The Imperial War Museum, IWM)(→ウェブサイト)
<帝国戦争博物館 (The Imperial War Museum, IWM)の概要、ロンドン館とダックスフォード館の特色>
帝国戦争博物館は、イギリス文化・メディア・スポーツ省傘下の国立博物館で、第一次世界大戦中の1917年に設立され、20世紀初頭から現代に至るまでの主にイギリス及び英連邦が関わった紛争に関わるあらゆる記録を収集し公開している機関です。 1970年代以降、ロンドン館に新たに4つの分館が加わり、現在では5つの博物館、即ち、ロンドン館(IWM London)、ダックスフォード館(IWM Duxford)、北館(IWM North、マンチェスター所在)、チャーチル内閣戦時執務室(Churchill War Rooms、ロンドン所在)、HMSベルファスト(元イギリス海軍巡洋艦、ロンドン・テムズ川に係留)より構成されています。 政府補助金の他、民間からの寄付等により運営されています。
ロンドン館外観
ロンドン館は、紙媒体の資料、出版物、写真、フィルム・ビデオ、サウンド・アーカイブ、デジタル資料、戦争絵画、戦車や戦闘機など幅広く収集しており、常設展や企画展などを通じて、幅広い層に戦争の実態を伝えています。 2014年(第一次世界大戦100周年)には新しいギャラリー「第一次世界大戦展示室」(First World War Galleries)が開設されました。 ロンドン館には年間100万人以上の人々が訪れています。
ダックスフォード館は、第一次大戦中、イギリス空軍の基地として建設され、1977年に帝国戦争博物館のひとつに加わりました。 戦闘機や戦闘車両、大砲などが展示され、航空ショーも開かれています。
ロンドン館の展示
<帝国戦争博物館(IWM)が保有する第二次世界大戦頃の日本関係資料>
帝国戦争博物館が保有する第二次世界大戦関係資料は主に2つのカテゴリーに分類されます。 ひとつは、個人に帰属する資料“British Private Papers”で、もう一つは、所謂、外国文書“Foreign Documents”です。
“British Private Papers”には、1939年~45年頃に日本の捕虜となり日本の占領下で過ごした元POW(戦争捕虜)や民間人捕虜などに関する資料が含まれています。 これには個人の日記や手紙、メモなどの個人的に作成された記録類が含まれます。 これら資料の多くは個人が寄贈したもので、寄贈者が原本の所持を希望すれば、博物館側はコピーを保有することとなります。 たいていの場合、個人が著作権を有しており、寄贈者の同意が得られなければ博物館の利用は制限されます。 これら資料は主にロンドン館に保管され、一般の閲覧も可能です。
“Foreign Documents”は、主にダックスフォード館で保管されています。 一般の人々も閲覧することが出来、ダックスフォード館の資料をロンドン館で請求して見ることもできます。 資料には、①英国政府が独自に編纂した極東軍事裁判(1946年~48年、於:東京)に関する記録、②“Japanese AL collection”、③大戦中の日本の戦争経済に関する英米諜報関係資料が含まれます。 ②と③の詳しい内容は以下の通りです。
②の“Japanese AL collection”とは、大部分が、戦後、米軍の指示の下、日本の元軍人(復員局資料整理部、第一・第二復員局)によって書き起こされたもので、内容は第二次大戦中の日本軍のアジア各地における軍事作戦(Japanese Monographs)です。 これらの資料は、作成後、一部が英訳されて連合軍構成国に配布されて情報共有されました。 ダックスフォード館に保有されている資料は、英国政府機関(内閣府歴史資料部、外務省ほか)から移管されてきており、英国公文書(British public records)に分類されています。 英国政府内で利用された後、アーカイブスに移管されて、現在は一般の閲覧に供されています。
③の英米諜報関係資料とは、英米のインテリジェンスにより情報収集・作成された資料で、日本の社会経済・軍事技術等の様々な側面に関する調査報告書等です。(例:日本の航空部隊における化学戦訓練、岐阜の上水道、古河鉱業株式会社、日本の食糧配給、欧州における日本の軍事インテリジェンス等に関する調査報告書)
“Japanese AL Collection”
“Japanese AL Collection”
<帝国戦争博物館(IWM)における資料のデジタル化>
ロンドン館ではデジタル部門も擁しており、自前でデジタル化を行っています。 デジタル化に関しては予算の制限もあり、プライオリティ付けがされています。 現在は第一次世界大戦に焦点が当てられていることから、同大戦関係資料にプライオリティが置かれています。 研究者などが希望する場合には、有料でデジタル化する仕組みとなっています。 デジタル化に際しては、遺族等に著作権が残っていればクリアーする要があります。 デジタル化後の資料については博物館側の所有となり、一般の要望があれば閲覧に供しています(遺族に著作権が残っていても閲覧に供することはできるとのことです)。
・英国国立公文書館(The National Archives, TNA)(→ウェブサイト)
国立公文書館外観
国立公文書館の閲覧室
<英国国立公文書館(The National Archives, TNA)の概要>
国立公文書館は司法省傘下の政府機関で、2003年~2006年にかけて4つの政府機関 (The Public Record Office, The Royal Commission on Historical Manuscripts, Her Majesty’s Stationery Office, The Office of Public Sector Information)が吸収・統合されました。 2011年に、英国内に所在する公文書の管理に関して助言や指導を行う権限が国立公文書館に付与されました。 11百万にのぼる歴史公文書や公記録を保管しており、世界最大級の規模を誇っています。 所蔵資料は、“Domesday Book”(1085年にウィリアム一世が行った検地をもとに作成された土地台帳)から現代の公文書・デジタル文書に至るまで、紙媒体や羊皮紙の文書、電子記録、ウェブサイト、写真、ポスター、地図、絵画等を含みます。書架の長さにして延べ200KMの長さに及び、毎年、1KMずつ増え続けています。 国立公文書館には年間10万から15万人の訪問者があり、ウェブサイトには毎月1.5百万件のアクセスがあります。 また、約600人の職員が働いています。
一般的なルールとして、政府の公記録は30年を経過すれば恒久保存すべき資料が選抜されて国立公文書館に移管されていました。 しかし、政府は20年を経過した文書については公開を進める方針であり、“Freedom of Information Act”の下に多くの公記録が早めに移管されています。
<国立公文書館(TNA)における資料のデジタル化>
国立公文書館は、以前は保存のためにマイクロフィルム化を行っていましたが、最近の10年間はデジタル化を進めています。 公文書館内にデジタル化のための広い作業場を有しており、専門のスタッフが働いています。 これまで約1億ページをデジタル化しましたが、それでも公文書館所蔵資料全体の5%にすぎないそうです。 デジタル化予算が限られていることから、デジタル化にはプライオリティが付けられ、人々の関心が高いもの、劣化が進んでいるもの、コマーシャル的に価値のあるものを優先しています。 公文書館は、民間企業との間で公文書館所蔵文書のデジタル化・オンライン出版のための契約を結んでいます(ただし、著作権は公文書館に帰属します)。 企業はデジタル化に資金を提供し、オンライン上の成果物へのアクセスを有料化することによって初期投資を回収しています。 公文書保護の観点から、第三者たる企業のデジタル化作業は、公文書館の監督の下で公文書館内で行われています。
デジタル化作業
<国立公文書館(TNA)が保有する第二次世界大戦関係資料>
国立公文書館には、第二次世界大戦関係の資料として、①日本軍が作成した約45,000人分のPOW(戦争捕虜)の個人情報に関するカードを保管しています。 カード上の一部の情報、例えばPOWが捕虜となった日付や場所などは英訳されていますが、これらの捕虜のその後の処遇などは日本語のみで記入されています。 これらのカードは、言語の制約もあって十分な調査や目録作成等が行われておらず、一般にはあまり知られていません。 この他に、②戦後、イギリス本国に帰還したPOWが英国当局に提出した資料(戦後、補償金請求のための証拠書類として活用された由)、③イギリス軍を含む連合国軍がアジア各地で行った軍事裁判記録などが保管されています。
期 間
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イベント名
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備 考
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リンク
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3月6日~5月10日
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JFK-その生涯と遺産
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1961年1月、43歳で第35代アメリカ合衆国大統領に就任し、颯爽とした雄姿と卓越したスピーチで人々を魅了したジョン・F・ケネディ(1917-1963)は、没後50年を経てなお人々に愛され続け、長女のキャロライン・ケネディ氏の駐日米国大使就任を契機に、改めて日本でもその生涯に関心が高まっています。
本展では、アメリカ・ボストンにあるジョン・F・ケネディ大統領図書館・博物館に残された膨大な文書、写真、遺品などを中心に、日本の国立公文書館及び国内関係機関が所蔵する公文書その他の記録を含む貴重な資料と映像により、ケネディの生涯と遺産をたどります。
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【編集後記】
アジ歴ニューズレター第17号をお読みいただきありがとうございました。
今回のアジ歴ニューズレターはいかがでしたでしょうか。神奈川県公文書館における展示でのアジ歴の活用事例やイギリスにおける関連資料の所在情報をご紹介いたしました。
次号以降も引き続き利用者の皆様に役立つ情報をお届けしていきたいと考えております。
どうか今後ともご愛読頂けますようよろしくお願いいたします。
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