アジ歴は何をめざすか <アジア歴史資料センター センター長 波多野澄雄>
波多野澄雄 新センター長
この4月からアジ歴のセンター長を務めています。 初代の石井米雄先生、二代目の平野健一郎先生を継いで三代目ということになります。 アジ歴との関係では、10年ほど諮問委員を務めてきましたが、外務省の歴史事業により長くかかわってきました。 「日本外交文書」編纂委員、外交記録公開に関する有識者諮問会議委員、日中歴史共同研究日本側委員、いわゆる「密約」問題調査に関する有識者委員などです。 これらの仕事を通じて歴史公文書の管理、公開、編纂といった問題には比較的高い関心をもってきました。
アジ歴の設立は、1994年8月末、村山富市首相が、「平和友好交流計画」に関する談話のなかで、アジア歴史資料センターの設立に言及されたことに発端があります。 これを受け具体的なセンター構想が15名の有識者会議に託されました。 その発足にあたっての五十嵐広三官房長官談話は、日本は近現代史について「影」の部分も「光」の部分も冷静にこれを見つめる余裕を得つつあるとし、本事業を通じて「誠実に歴史に対峙しようとする我が国の姿勢」を内外に示そう、という意欲的なものでした。
その後、村山内閣の退陣などの政治環境の変化のなかでも、センター構想は揺るがず、99年11月に「アジア歴史資料整備事業」の一環として国の諸機関が保存・公開している近現代の歴史資料をインターネットを通じて広く提供する方針が閣議決定となり、2年後の2001年に開設されました。 私もこの間の準備会合の末席におりましたが、設立準備の中心であった石井先生は、「歴史認識の共有は不可能であるとしても、歴史資料の共有は可能」という趣旨の発言を繰り返しておられたことが強く印象に残っています。 のちの日中歴史共同研究では、石井先生のこの言葉が思い出され、実現は先送りされましたが、歴史解釈の基礎となった両国の主要資料の共有のための仕組みを作ることが重要と訴えたこともあります。
アジ歴は、今日までに国立公文書館など3館が所蔵する明治期から1945年までの歴史公文書のデジタル化をほぼ完了させ、日本が世界に誇り得るデジタル・アーカイヴとして進化しています。 アジ歴の活動は、「誠実に歴史に対峙しようとする我が国の姿勢」を具体的な形で示しているともいえましょう。
日本でもようやく公文書管理法が施行され、政府の営みを検証し、説明責任を果たす仕組みが整ってきましたが、日本という国の過去の営みについて理解を深め、説明責任を果たす効果的なツールとして、アジ歴はその重みを増していると言えましょう。 保存する限りの過去の公的記録を、可能な限り、ありのままに公開し、国際的にも共有を保証することが、歴史理解にかかわる様々な誤解や偏見を解消し、国際社会における信頼を高める最も着実で、有効な方法と思われます。
その一方、アジ歴の充実と発展のためには、いくつかの課題があります。まず、アジ歴システムの安定性と信頼性の確保という基本的な課題があります。
「余震が続くなかでは灯油ストーブもつけられず、炬燵に入ったまま、震災後初めて本書の推敲に取りかかろうと思い立った。 ・・・手元に史料もないなか、白い息を吐きながらマウスをクリックした指の先で、まるで何事もなかったかのように開かれた、アジア歴史資料センターのホームページの画面を見たときの感覚は、忘れがたいものがある。」 (河西晃祐『帝国日本の拡張と崩壊』315頁)
この文章は、仙台のある大学の若手教員による浩翰な学術書の「あとがき」に記された感慨です。 手前みそながら、アジ歴システムの強みの一つは、かなりの天変地異にも耐えられる安定性にあります。 こうした安定性に加え、歴史資料を扱うシステムとしての信頼性の維持・向上という課題は、運用する側に課せられた責務と受け止めています。 例えば、歴史文書の管理や公開には、原秩序(original order)の維持とともに背景(context)を残すことが重要とされていますが、そうした観点からの点検も必要でしょう。
次は、ユーザーの利便性と使いやすさを考慮した、よりユーザー・フレンドリーなシステムに改善して行くことです。 ユーザーが研究者から学校教育や市民学習へ、さらに海外へと多様化するなかで、どのような検索機能やサーヴィスが望ましいか、といった課題です。
さらに、オープン・ガバンメントやオープン・データが情報管理の国際的課題として浮上しているなかで、個人情報の保護と公開という相矛盾する立場のバランスをいかにとるかといった差し迫った課題があります。 アジ歴システムが、「いつでも、だれでも、どこでも」をうたっているだけに難題です。
以上のような課題について、率直なご意見をお寄せいただければ幸いです。
最後に、「デジタル・アーカイヴ・ネットワーク」の先導役という、見果てぬ「夢」を書いておきます。 これは、平野前センター長も『アーカイブズ』(40号)に寄せられた記事のなかでも書いておられますが、東アジアや欧米でアジ歴と同様のデジタル・アーカイヴズが運用され、相互に連携が進めば、国際的な相互理解を深める有力な知的基盤となり得ましょう。 それはまた、日本の近現代史を、「東アジア史」といった枠組や他国の歴史との関連においてとらえる、という視点を育むことにもなるでしょう。
アジ歴が、こうしたネットワークの先導役を果たすまでに成長するためには、利用者の皆さんの一層のご理解とご協力が不可欠です。絶大なご支援を願ってやみません。
アジア歴史資料センター長退任挨拶 <アジア歴史資料センター 前センター長 平野健一郎>
平野健一郎 前センター長
去る3月31日をもちましてアジア歴史資料センター長を退任いたしました。 平成22年4月から2期4年間、2代目のセンター長を勤めまして、このたび、波多野澄雄新センター長にバトンをお渡ししました。 故石井米雄初代センター長のご急逝のあとをうけて、不慣れでしたが、創立9年目から12年目のアジ歴の発展に私なりに努力し、第3代センター長に引き継ぐことができました。
この4年間のアジ歴を振り返ってみますと、まず、創立10周年を迎え、それを記念する国際シンポジウムを開くことができました。 シンポジウムでは、アジ歴が近現代の日本とアジア近隣諸国との関係の歴史を研究するのになくてはならないデジタル・アーカイブになっており、利用価値を内外の研究者・利用者から高く評価していただいていることを確認することができました。 ひとえに国立公文書館、外務省外交史料館、防衛省防衛研究所 から毎年、大量の資料を提供していただいたことによります。 今日、アジ歴は貴重な資料群の間のクロス・アーカイバル・リサーチを容易にし、歴史理解のための「国際的公共財」となっているのです。
利用者の皆様からは、アジ歴データベースがカバーする時期と機関を拡充できないかとの強いご要望をいただいてきました。 設立目的に照らしてもそうなると考え、努力して参りました。 一部ですが、対象期間はすでに1945年8月以降に及んでいますし、「公文書管理法」が実効性を発揮すれば、アジ歴データベースから利用できる資料の範囲も拡大していくと期待しています。 アジ歴としては、既存のデータを有効にご利用いただくためにも、検索精度を高めるさまざまな工夫を行い、異なるデータベースとリンクするという新しい試みにも着手いたしました。
デジタル・アーカイブの先端を歩んできたアジ歴が、これからもアジア歴史資料の統轄的な情報源として、歴史研究、歴史理解、国際相互理解に寄与を続けられることを願っております。
【編集後記】
波多野新センター長のもと、職員一同、アジ歴がより多くの方に利用して頂けるよう、努力して参ります。
次号は7月上旬にお届けする予定です。
※皆様からのご意見・ご要望をお待ちしております。
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