明太子と日本人
白いご飯のお供として日本人に親しまれている明太子。 そんな明太子のように日常的で身近な食べ物に関わる資料から、東アジアの近現代史を問い返してみることもできるはずです。
スケトウダラの卵巣を漬け込んだ明太子のルーツは朝鮮半島にあります。 朝鮮ではスケトウダラを明太(ミョンテ)といいます。 漁期は冬であり、傷みやすいためすぐに開いて内臓を取り出し、寒風にあてて凍らせながら乾燥します。 干したものを北魚(プゴ)、特に高級なものを黄太(ファンテ)といい、一般的な食材であるとともに祭祀にも用いられます。
1876年に日朝修好条規が結ばれたのちに朝鮮に渡った日本人漁業関係者は、水産資源としてのスケトウダラの価値にいち早く着目しています。 【画像1-1】及び【画像1-2】は、明治33年(1900年)になされた、朝鮮半島東岸の元山に置かれた日本領事館によるスケトウダラ漁についての報告です(レファレンスコード:B11091838300)。
スケトウダラの卵巣を唐辛子とともに塩漬けしたものが明卵漬(ミョンナンジョ)です。 朝鮮では17世紀頃から食べるようになったと考えられています。 日本人が異国の地で出会った明卵漬は、自分たちの味覚にあうものでした。 明治33年(1900年)に朝鮮漁業協会が実施した水産業の調査では、スケトウダラ漁に関する報告の中で「真子(卵)ハ塩蔵シテ遠ク四方ニ販売セラル味美ナリト雖不廉ナリ」と述べられています(レファレンスコード:B11091851500、52画像目)。
朝鮮の人々の家庭で消費されてきた明卵漬は、明治40年(1907年)頃から、主に釜山から下関を通じて日本人向けに輸出されるようになります。 朝鮮総督府による貿易統計の輸移出品目に「明太魚卵」という名称で現れるのは大正3年(1914年)からです(レファレンスコード:A06032044100、13画像目)。 今日の「明太子」という名称が定着するのもこの頃でした。
朝鮮総督府が大正6年(1917年)に発行した『朝鮮貿易要覧』によれば、「明太魚卵」は元々はもっぱら朝鮮の人々の食用でしたが、移住してきた日本人が嗜好するようになり、大正時代はじめの数年のうちに日本の関西地方や中国の大連に販路を拡張するようになったそうです。 また、従来はスケトウダラ漁業者の副業として生産され、製法も粗雑で、保存状態が悪くなったりすることもありましたが、それにもかかわらず需要が増大し、業者も覚醒して同業組合を組織し、品質の統一改善に努めるようになったと書かれています(レファレンスコード:A06032043800)(【画像2-1】【画像2-2】参照)。
年を追うごとに日本向けの需要が拡大したことに応じて、釜山を中心にして製造販売業者が増えていきました。 このようにすでに大正時代には、日本人は下関を通じて輸入された明太子を食べていたのです。 明太子は日本だけではなく、中国にも輸出されていました。 大正8年(1919年)の奉天総領事館の報告からは、中国の奉天に居住する日本人の一般家庭向けの食材として明太子が朝鮮から輸入されていたことが確認できます(レファレンスコード:B11091966800、11~16画像目)。
昭和20年(1945年)8月の終戦により、朝鮮で生活を営んでいた日本人は引揚げます。 持ち帰ることができたのは、わずかな手荷物と海外生活の記憶だけでした。 下関や福岡に引揚げてきた人々が、朝鮮で親しんでいた明太子を懐かしんで作り始めました。 下関では、釜山から引揚げた山根孝三が、昭和21~22年(1946~47年)頃に、北海道産のたらこを仕入れて唐辛子をまぶした明太子を製造・販売しました。 その後、山根は下関の明太子業者を支援します。 川原俊夫も明太子をつくった引揚者の一人です。 川原は日本統治下の釜山で生まれ育ち、移住した満洲で召集されて陸軍に入隊し、終戦により復員しました。 そして満洲から子供とともに引揚げてきた妻といっしょに博多の中洲市場に食料品店を開きます。 川原は唐辛子を主とする調味液に漬けた明太子の研究開発を進め、昭和32年(1957年)に売り始めました。 やがて同業他社がふえていって明太子は福岡名物として全国に知られるようになります。 このエピソードは「めんたいぴりり」(テレビ西日本、2013年)というテレビドラマにもなりました。
朝鮮半島にルーツをもつ明太子が日本人に嗜好されるようになった背景には、明治以降に日本人が朝鮮半島へわたり、終戦により帰還していった東アジアの近代史が横たわっているのです。 アジア歴史資料センターが公開している資料は、政治史や外交史・軍事史といった研究分野で活用されています。 けれども、社会的影響が大きな出来事や、著名な政治家や軍人・実業家の動向だけが歴史を描く題材ではありません。 名もなき人たちが時には翻弄されながら生きた姿もまた歴史の一コマです。 日常的で身近なものをキーワードにして、公文書の中に見え隠れする庶民の生活文化を検索してみると、いままで気づかなかった歴史の光景が広がってくるかもしれません。
【参考文献】
今西一・中谷三男『明太子開発史―そのルーツを探る』、成山堂書店、2008年
川原健『明太子をつくった男―ふくや創業者・川原俊夫の人生と経営』、海鳥社、2013年
島村恭則編『引揚者の戦後』、新曜社、2013年
竹国友康『ハモの旅、メンタイの夢―日韓さかな交流史』、岩波書店、2013年
国立公文書館
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内閣
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内閣総理大臣官房総務課資料
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内閣官房総務課の資料のうち、主に昭和20年までのものを整理編纂したもので、主なものとして、関東大震災(大正12年)、国体明徴(昭和10年)、東北振興(昭和10年)、2.26事件(昭和11年)、科学審議会(昭和13年)、議会制度審議会(昭和13年)、北中支那開発(昭和13年)、国家総動員(昭和13年)、行政簡素化(昭和17年)、終戦(昭和20年)、憲法改正関係書類などがあります。
なお、明治・大正の資料も若干含まれています。
内閣官房総務課の歴代総務課長及び同課佐野理事官が在任中に作成又は取得した資料です。
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国立公文書館
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内閣
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太政類典
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太政類典・第1編・慶応3年~明治4年
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太政官日記、太政官日誌、公文録等から典例条規(先例、法令等)を採録浄書し、制度門から治罪門までの19部門に分類し、これを年代順に編纂したもので、編纂の際の草稿も含まれています。
「第1編・慶応3年~明治4年」は、このうちの幕末の慶應3年から明治4年にかけてのものであり、明治維新期のさまざまな制度に関するものが多数含まれています。
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防衛省防衛研究所
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陸軍一般史料
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中央
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作戦指導
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その他
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参謀本部創設以来の歴史を綴った「参謀本部歴史草案」、日露戦争後に韓国駐劄軍司令官や関東都督、樺太守備隊司令官等に与えられた作戦計画訓令、太平洋戦争期における海軍との協同に関する史料等があります。
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防衛省防衛研究所
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陸軍一般史料
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中央
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軍事行政
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その他
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内地官衙部隊及び外地部隊の名簿、山下奉文陸軍中将(航空総監兼航空本部長)によるドイツ派遣航空視察結果の「御進講」、昭和期に陸軍省が作成したパンフレット、将官のみ閲覧が許された「将官談話月報」といった雑誌等が含まれています。
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国立公文書館
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内閣
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公文類聚
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明治
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明治15年から明治18年までのもの(第6編~第9編)は、「太政類典」(第1編~第5編)を引き継いだ編集物で、典例条規を採録浄書したものです。
明治19年以降のもの(第10編~第79編)は公文書の原本を編集したもので、主として法律及び規則の原議書が収録されています。
このうちの明治期のものについて、資料を追加しました。
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外務省外交史料館
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外務省記録
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6門 人事
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1類 官制及官職
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1項 帝国一般官制
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2項 外務省官制、内規及在外公館
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3項 外国官制及外国公館
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「6門 人事」には、明治・大正期の外務省における人事に関する文書が分類されており、このうち特に官制やこれに関する文書によって構成される「1類 官制及官職」の前半部分を公開しました。
「1項 帝国一般官制」には、南洋庁や関東都督府などの官制に関する文書が分類されています。
「2項 外務省官制、内規及在外公館」には、外務省内の官制や職務規則等に関する文書が分類されており、在外公館や在外警察官、外務省留学生等に関する規則や規程に関するものが含まれています。
「3項 外国官制及外国公館」には、諸外国の外務省の官制に関する文書や日本に駐在する外交団の諸規則、各国に駐在する外交団のリストなどが含まれています。
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外務省外交史料館
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外務省記録
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M門 官制、官職
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2類 官職
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3項 会議
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4項 試験、養成、留学
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5項 外国大公使、領事官及館員、商業代表
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6項 外交官及領事官特権
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7項 外交団、領事団
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「M門 官制、官職」には、昭和戦前期の外務省における人事に関する文書が分類されており、このうち特に官制や職務に関する文書によって構成される「2類 官職」の後半部分を公開しました。
「3項 会議」には、在外公館で開催された領事会議や公館長会議開催に関する文書が分類されています。
「4項 試験、養成、留学」には、各国の外交官試験制度に関する報告や、語学や各種技術分野における外務省職員の養成課程に関するものが含まれています。
「5項 外国大公使、領事官及館員、商業代表」には、諸外国の在外公館における人事異動に関する文書が分類されており、駐日外交団に関するものも含まれています。
「6項 外交官及領事官特権」には、外交特権や領事特権に関する文書が分類されており、日本における諸外国の外交官及び諸外国における各国の外交官の特権の取り扱いに関するものや、日本や諸外国の在外公館で用いられる物品等に適用される簡易通関等に関するものが含まれています。
「7項 外交団、領事団」には、各国に駐在する外交団や領事団に関する文書が分類され、諸外国に駐在する各国の外交官の名簿や、日本に駐在する諸外国の外交団から提出された名簿等が含まれています。
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企画展示「大海を渡れ! 留学いま・むかし」開催 <東京都立中央図書館 藤野夏菜子>
本企画展示を平成27年9月10日から10月25日に渡り開催いたしました。 留学の歴史や、現在の留学事情について、当館の所蔵資料を中心に、国立公文書館アジア歴史資料センター(以下「アジア歴史資料センター」という。)をはじめ様々な機関のご協力の下、ご紹介いたしました。
本展示は、「遣隋使・遣唐使の時代」(古代)、「天正遣欧使節の時代」(近世)、「開国の時代」(近代)、「私たちの時代」(現代)の4コーナーで構成し、時代ごとのトピックや留学生の活躍を、本やDVD、年表、画像パネル、WEBサイトで紹介いたしました。
展示室遠景
近代のコーナー
(右端が「公文書に見る岩倉使節団」閲覧用パソコン)
近代のコーナーでは、幕末の藩留学や明治維新後の官費留学を取り上げ、その一つとして、津田梅子をはじめ多くの留学生を伴って欧米に渡った、岩倉使節団をピックアップいたしました。 概説パネルや航海図、『米欧回覧実記』や津田梅子の伝記等を展示いたしました。 アジア歴史資料センターからは、インターネット特別展「公文書に見る岩倉使節団 智識ヲ世界ニ求メ」をご提供いただきました。 アジア歴史資料センターのWEBサイトでは、「インターネット特別展」として、WEB上での展示を行っていらっしゃいます。 今回お借りした「公文書に見る岩倉使節団」は、岩倉使節団の航海年表に沿って、多くの関連文書を見ることができ、人物紹介や用語解説も充実したインターネット展示です。
今回は、電子媒体を含む多様な情報を積極的に活用するという方針のもとに、近代のコーナー内にパソコンを設置し、「公文書に見る岩倉使節団」のコンテンツを自由に閲覧していただけるようにいたしました。 また、「公文書に見る岩倉使節団」の年表をもとに岩倉使節団年表を作成させていただき、航海図と共に展示いたしました。
期間内には、岩倉使節団を調査していらっしゃる都民のグループの方も見学に来てくださり、盛況のうちに終了いたしました。 書籍が並ぶ中にパソコンがあることで関心をもたれ、「公文書に見る岩倉使節団」をじっくりご覧になる方もいらっしゃいました。 岩倉使節団に興味を持たれた方々に、情報を掘り下げていただくことができました。 インターネット展示を活用させていただいたことで、本展示の内容を別の角度から補完することができたと思います。
・国 外
5月15日~18日
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湖南文理学院主催学術シンポジウム(常徳)でのプレゼンテーション
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5月26日~29日
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国立外交院外交安保研究所(ソウル)及び啓明大学校国際学大学(大邱)での波多野センター長講演(「サンフランシスコ講和体制と日韓関係」)及び職員によるプレゼンテーション
/日中韓三国協力事務局(ソウル)での意見交換
/外交部(外務省)外交史料館(ソウル)での意見交換・施設見学
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6月21日~26日
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AAS-in-Asia(アジア研究学会 アジア大会)(台北)でのブース出展
/国家図書館での意見交換・所蔵資料調査・施設見学
/国家発展委員会档案管理局での意見交換・所蔵資料調査・施設見学
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7月6日~9日
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中国勝利70周年国際会議(台北)でのセンター長講演(「中国の戦場における『勝利』と『敗北』の記憶」)
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9月15日~26日
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EAJRS(日本資料専門家欧州協会)年次総会(ライデン)でのプレゼンテーション、ワークショップ開催、ブース出展
/オランダ戦争資料研究所(NIOD)(アムステルダム)での意見交換
/オランダ国立公文書館(デン・ハーグ)での意見交換
/コーツ財団主催『戦史叢書』第3巻英語版出版記念講演会(ライデン)での意見交換
/ブロンベーク博物館(アーネム)での意見交換・施設見学
/大英図書館(ロンドン)での意見交換・所蔵資料調査
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・国 内
7月29日~30日
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全国歴史教育研究協議会第56回大会(東京大学本郷キャンパス)でのブース出展
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8月27日~28日
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第76回私立大学図書館協会総会・研究大会(明治学院大学横浜キャンパス)でのブース出展
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10月13日~16日
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EASTICA(国際公文書館会議東アジア地域支部)第12回総会(ホテルオークラ福岡)でのセンター長講演
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11月9日~12日
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第17回図書館総合展(パシフィコ横浜)でのブース出展
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11月17日~20日
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第63回全国博物館大会(呉阪急ホテル)でのプレゼンテーション及びブース出展
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5月27日
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台湾国家発展委員会档案管理局 邱菊梅氏ほか1名 (於国立公文書館)
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7月23日
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イラン外交史料館副館長 Morteza Damanpak Jami氏ほか4名 (於国立公文書館)
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11月27日
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中国国家図書館館長補佐 汪東波氏ほか他4名 (於国立公文書館)
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1月15日
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大英図書館日本部司書 大塚靖代氏
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期 間
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イベント名
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備 考
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リンク
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1月9日~3月5日
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平成27年度 第4回企画展 「生まれた。育てた。―母子保健のあゆみ―」
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日本では、明治から今日まで、出産の安全と乳幼児の保健は大きく改善されました。
本展示では、近代日本の母と子、出産と育児などに関する当館所蔵資料を中心に展示し、母子の生命と健康に関する施策の歴史を振り返ります。
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2月6日~3月21日
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三重県総合博物館第10回企画展 「国立公文書館共催 明治の日本と三重~近代日本の幕開けと鹿鳴館時代~」
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国立公文書館では、所蔵資料をより多くの方々にご覧いただくため、平成24年度より、各地の公文書館等で展示会を開催しています。
平成27年度は、三重県総合博物館第10回企画展として、当館所蔵の公文書(重要文化財「公文録」を含む。)のほか、三重県総合博物館所蔵の三重県庁で作成された歴史的な公文書などにより、明治の日本と三重のあゆみをたどる展示会を開催します。
会場は三重県総合博物館です。
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期 間
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イベント名
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備 考
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リンク
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2015年10月13日
~2016年3月31日 |
特別展示「日本とブラジルの120年」
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日本とブラジルは1895(明治28)年11月5日、「日伯修好通商航海条約」の調印により外交関係を樹立しました。
本年は120周年にあたります。
外交史料館が主催する今回の特別展示では、明治期の日本人移民の送出経緯、大正・昭和期にかけての移民社会の発展などを示す外交史料を通して、両国の交流の歴史を紹介します。
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【編集後記】
アジ歴ニューズレター第19号をお読みいただきありがとうございました。
今回の「今日の資料」では、身近な食品である明太子をテーマに資料のご紹介をしました。
次号以降も引き続き利用者の皆様に役立つ情報をお届けしていきたいと考えております。
どうか今後ともご愛読頂けますようよろしくお願いいたします。
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