日露戦争特別展2 開戦から日本海海戦まで激闘500日の記録
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明治38年(1905年)4月21日 講和条約大網決定

明治38年(1905年)6月1日 講和斡旋

明治38年(1905年)6月9日 講和勧告

 
期間
明治38年(1905年)4月21日、6月1日、6月9日
場所 東京、ペテルブルク(ロシア)
概要 明治38年(1905年)4月21日に、日本ではロシアとの間に結ぶ講和条約の大綱が決定されました。アメリカ合衆国大統領ルーズヴェルトは、日本側の依頼を受けて6月1日に講和の斡旋に乗り出し、同9日に、日露両国に対して講和勧告を行いました。
 
 
 
 

関連資料

休戦議定書調印
B08090028800 関連資料1 金子堅太郎とルーズヴェルト大統領の会談記録
B04120029000 関連資料2 1904年7月「日露講和条件ニ関スル小村外務大臣意見」
B04120029100 関連資料3 1905年3月「日露講和条件ニ関スル小村外務大臣意見」
B04120029200 関連資料4 「作戦並外交歩調一致ニ関スル件」
B04120029300 関連資料5 「講和条件予定ノ件」

関連資料(詳細)

関連資料1
レファレンスコード : B08090028800
件名 : 1. 金子堅太郎

■資料解説

 

 開戦直後の明治37年(1904年)3月29日、すでに渡米していた金子堅太郎が、高平小五郎駐米公使の「紹介」によりルーズヴェルト大統領と会談した記録です。

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関連資料2
レファレンスコード : B04120029000
件名 : 125. 日露講和条件ニ関スル小村外務大臣意見(明治三十七年七月首相ヘ提出)(未定稿)

■資料解説

 

 明治37年(1904年)7月小村寿太郎外相が桂太郎首相に対して提出した講和条件に関する未定稿の意見書です。ロシアに対する要求条件の筆頭に軍費賠償支払いが挙げられています。

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関連資料3
レファレンスコード : B04120029100
件名 : 126. 日露講和条件ニ関スル小村外務大臣意見(明治三十八年三月首相ヘ提出)(未定稿)

■資料解説

 

 明治38年(1905年)3月に小村寿太郎外相が桂太郎首相に対して提出した講和条件に関する未定稿の意見書です。同意見書にもロシアに対する要求条件として軍費賠償支払いが掲げられていますが、前年7月の「意見書」内容に比べ、その「重要度」の低下がうかがい知れます。

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関連資料4
レファレンスコード : B04120029200
件名 : 127. 日露戦後中ニ於ケル作戦並ニ外交歩調一致ニ関スル件(明治三十八年四月八日閣議決定)

■資料解説

 

 明治38年(1905年)4月8日の閣議で決定し、その二日後明治天皇の裁決をえた「日露戦役中ニ於ケル作戦並外交歩調一致ニ関スル件」の全内容を含む外務省記録です。

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関連資料5
レファレンスコード : B04120029300
件名 : 128. 日露講和条件予定ノ件(明治三十八年四月二十一日閣議決定)

■資料解説

 

 明治38年(1905年)4月21日の閣議で決定し、同日明治天皇の裁決をえた「日露講和条件予定ノ件」の全内容を含む外務省記録です。

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参考文献   大江志乃夫『世界史としての日露戦争』、立風書房、2001年
外務省編『小村外交史』、新聞月鑑社、1953年
外務省編『日本外交年表並主要文書 (上)』、原書房、1965年
外務省編『日本外交文書』(第37巻第38巻別冊日露戦争Ⅴ)、日本国際連合協会、1960年
古屋哲夫『日露戦争』、中央公論社、1966年
山田朗『世界史の中の日露戦争』、吉川弘文館、2009年
血の日曜日事件に戻ります ポーツマス会議開始に進みます
 
 
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