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■資料解説
開戦直後の明治37年(1904年)3月29日、すでに渡米していた金子堅太郎が、高平小五郎駐米公使の「紹介」によりルーズヴェルト大統領と会談した記録です。
明治37年(1904年)7月小村寿太郎外相が桂太郎首相に対して提出した講和条件に関する未定稿の意見書です。ロシアに対する要求条件の筆頭に軍費賠償支払いが挙げられています。
明治38年(1905年)3月に小村寿太郎外相が桂太郎首相に対して提出した講和条件に関する未定稿の意見書です。同意見書にもロシアに対する要求条件として軍費賠償支払いが掲げられていますが、前年7月の「意見書」内容に比べ、その「重要度」の低下がうかがい知れます。
明治38年(1905年)4月8日の閣議で決定し、その二日後明治天皇の裁決をえた「日露戦役中ニ於ケル作戦並外交歩調一致ニ関スル件」の全内容を含む外務省記録です。
明治38年(1905年)4月21日の閣議で決定し、同日明治天皇の裁決をえた「日露講和条件予定ノ件」の全内容を含む外務省記録です。
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