■資料解説
当時ロシアの首都であったペテルブルクから、公使館や居留民が引き揚げる時に役所の間でやりとりされた文書などがまとめられた資料です。件名の「聖坡特斯堡」は「セントペテルスブルグ(ペテルブルク)」の漢字表記です。
この資料の中には、引き揚げ関連の文書だけではなく、ロシアへの国交断絶通告に関する文書も含まれています。4~5画像目は、外務大臣小村寿太郎が駐露公使栗野慎一郎に対して、ロシア政府に国交断絶を通告する公文を提出するよう命じた電報文です。この4~5画像目の資料については、「日露戦争特別展」でも紹介しています。「日露戦争写真館」の「外務省外交史料館」の中で、この電報のカラー画像と資料の原文、現代語訳をみることができます。
ラムスドルフ伯へ通告すべきとされた公文の内容は、7~8画像目にあります。また33画像目には、公使館を引き揚げた栗野慎一郎らの一行がベルリンに到着したことを東京に伝える電報があります。
15、21、36~37画像目などには、ロシア領内に残る日本居留民に対する保護をアメリカに依頼するよう命じた訓令と、それへの応答があります。
なお、日露国交断絶に関連する主要な外交文書は、『日本外交文書 第37巻第38巻別冊日露戦争I』の第1章第1節「国交断絶」に活字化されて収録されています。
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