■資料解説
奉天会戦の後、「陸軍省官房 統計掛」が「陸軍軍人軍属死亡統計」を収録した資料です(明治38年11月2日印刷)。この資料によると「昨年開戦以来本年十月三十一日まて当掛(かかり)に於て受領したる死亡報告」をまとめた結果として(2画像目)、
陸軍軍人軍属ノ死亡総数ハ 七万七千五百七十六人 (77,576人)
と数字が示され、その死亡原因、階級の内訳が報告されています。資料は、死亡者の階級としては「下士、兵卒」が95.24%(73,883人)、兵種では「歩兵」が81.6%(62,377人)を占めている事を伝えています(%は「百分比例」を参照)。
ところで東洋には古来「一将功成りて、万骨野に枯る」(一人の将軍が功名をあげる陰では、一万人の部下が死んで白骨になったまま放置されている)ということわざがありますが、『機密日露戦史』は日本満州軍司令部に勤めた松川敏胤(作戦参謀)の一句として次の文を伝えています。「奉天会戦の成果は偉大にして捕虜三万五千、軍旗三旒(その一は予もまたこれを鹵獲せり)大砲五十門を算すといえども、これ一に戦線に起てる将卒の砲煙弾雨下に奮戦したる賜にして、総司令部幕僚は連日三度の温食を口にし砲弾火に浴せず。然るに一将功成り万卒枯るの言もあり。われら総司令部の幕僚たるものは、幸に凱旋するの期あるも功名顔を為すべきに非ず」(『機密日露戦史』1966年、548頁。なお引用文は一部を現代表現に改めた)。
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