・ 文中の太字に下線がある語句は日露戦争用語集にリンクしています。 歴史を理解する上で統計データは欠かすことができません。そこでこのコーナーでは、日露戦争に関わる統計資料などをあげ、資料に関連した表やグラフを補足しました。 公文書に示されたデータを1つ1つ検証することは、日露戦争のころの日本の姿を新しい視点から見直すよい機会になるでしょう。
下の画像をクリックしていただくと、日露戦争と統計にまつわる各資料を閲覧できます。 |
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資料中に、対外政策に関する経済的な収支を比較した箇所があります(4〜5画像目)。この点に関して、報告書は「新領土が日本に與えた経済的利益は何か」と切り出し、「五十八億円の費用を支出した者は一般納税者であり二十一萬の戦傷死者を出したのは忠実なる我が国民であり、この莫大な犠牲に依って二十億円の利潤を得たのは植民地貿易及び投資に関係する少数の商工業者であった」(原文カナ)と指摘しています。 その説明をまとめると、以下の図表になります。 |
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資料中の21画像目の「海軍拡張費」によると、明治期後半における日本海軍の支出(製艦費+兵器費+陸上その他設備費+維持費+補充積立費)は以下の通りになります。 | ||||||||
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資料は、「奉天会戦の本戦は約二週間なりしも将来の戦役は三十七、八年戦役より層一層激烈にして会戦長時日に亘る」(原文カナ)という前提にたって、将来の戦いは3週間はかかると仮定し、その戦いではどれだけの量の弾薬が必要となるかを算出しています(20〜23画像目)。その内容は、以下の表の通りです。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
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資料中の16ページ目の説明によると、当時の日本の公債の状況は以下の表の通りです。
公債の償還については、明治41年(1908年)当時の大蔵大臣だった桂太郎が、「財政計画ノ大体方針ノ件」(レファレンスコード:A03023074800)の中で、「今に及て断然出入りを整頓し以て速に財政の基礎を確立するにあらすんは国家の進運方に不測の阻疑を蒙らんとす。」(原文カナ)と言及しています。 |
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