■資料解説
日本軍の上陸開始から約11日後、明治37年(1904年)2月23日になって調印された「日韓議定書」の内容の写しです。議定書は全7条から構成され、うち「第三条」「第四条」では次のように規定されています(1~2画像目)。この第四条によって韓国内での軍事行動を行う権限を得た日本軍は、朝鮮半島を北上して満州(現中国東北地区)を目指します。
「第三条 大日本帝国政府は大韓帝国の独立及領土保全の確実を保証すること。」(原文カナ、句読点は引用者が適宜補足)
(現代語訳:第3条 大日本帝国政府は、大韓帝国の独立及領土保全が確実であるよう保証しなければならない。)
「第四条 第三国の侵害により若くは内乱のため大韓帝国の皇室の安寧或は領土の保全に危険ある場合は大日本帝国政府は速に臨機必要の措置を執る可し。而して大韓帝国政府は右大日本帝国政府の行動を容易ならしむるため十分便宜を与ふること。
大日本帝国政府は前項の目的を達するため軍略上必要な地点を臨機収用することを得ること。」(原文カナ、句読点は引用者が適宜補足)
(現代語訳:第4条 第三国の妨害により、もしくは内乱のために大韓帝国の皇室の安全あるいは領土の保全が脅かされる場合は、大日本帝国政府はすみやかに時期に応じて必要な措置をとることができる。そこで大韓帝国政府は、この大日本帝国政府の行動を助けるのに十分な便宜を与えねばならない。
大日本帝国政府は、上記の目的を達成するため、軍事上必要な地点を時期に応じて接収することができる。)
しかし日露戦争が終わっても(1905年10月講和批准)、日本は軍隊を朝鮮半島に留め置きます。明治38年(1905年)11月には韓国との間に「第二次日韓協約(日韓保護条約)」を結び、明治39年(1906年)には「韓国総監府」を韓国国内に設けます。やがて大韓帝国が日本に併合されるのは、韓国の「独立及領土保全の確実を保証する」はずだった日韓議定書の締結から6年後のことです(1910年)。
|
左のアイコンをクリックすると関連資料が開きます。 |
|
ここからグローバルナビゲーションです