最後に、日露戦争終結後に実施された、連合艦隊の凱旋観艦式の図面を見てみましょう。【資料23】は、明治38年(1905年)10月23日に横浜沖で行われた、連合艦隊の凱旋観艦式についての一連の資料の一部です。36~44画像目は、この式に参加した全艦船の配置を示した図面で、無数の軍艦が横浜沖に整然と並ぶ様子が詳細に描かれています。なお、戦争中に連合艦隊旗艦を務めた戦艦「三笠」は、9月11日未明に起きた火災・爆発事故により佐世保港内で着底(船体が沈み船底が海底に着くこと)しており(この経緯については、日露戦争トピック Vol.1「戦艦三笠の半生」をご覧下さい)、この式には参加していません。
戦艦「敷島」が代わりに旗艦を務めています。これに続き、戦艦「富士」、戦艦「朝日」、装甲巡洋艦「出雲」、装甲巡洋艦「常磐」、と第一艦隊に所属した艦船の名前が記されています。
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