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2.日清戦争と東アジア国際社会の変容 |
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【上段左から】
軍令部長 元帥子爵 伊東祐亨
参謀総長 元帥侯爵 山縣有朋
【下段左から】
軍令次長 海軍中将 伊集院五郎
海軍次官 海軍中将 齋藤實
陸軍次官 陸軍少将 石本新六
参謀次長 陸軍少将 長岡外史 |
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▲日露戦争当時の将軍たちの肖像写真(防衛省防衛研究所所蔵) |
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当時李朝の支配下にあった朝鮮は、清朝中国に服属していました。その朝鮮で、明治27年(1894年)、農民の大規模な反乱が起きます(甲午農民戦争)。この反乱を鎮圧するために、李朝政府は清に派兵を要請し、それに対抗して日本も出兵します。反乱は鎮圧されましたが、これをきっかけとして日本と清の間に日清戦争が起こります。日清戦争は清の朝鮮に対する支配権をめぐる戦争でした。同じ年にイギリスと条約改正を達成したことが日本に戦争遂行を促しました。日本陸軍は朝鮮各地で清軍を破り、海軍も黄海海戦で清の北洋艦隊を破り、満州(現在の中国東北地方)の遼東半島を占領して、勝利します。
明治28年(1895年)4月に日本と清の間に日清講和条約(下関条約)が結ばれます。これによって、(1)清国は朝鮮の独立を認めること、(2)遼東半島・台湾・澎湖諸島を日本に譲ること、(3)賠償金2億両(約3億円)を日本に支払うことなどが約されました。しかし、満州への支配力を強め、朝鮮をも影響下に置こうとしていたロシアは、講和成立直後に、フランス、ドイツを誘って、遼東半島の返還を日本に迫りました(三国干渉)。日本政府は三国の連合には対抗できないと、勧告を受け入れます。日本の政府と国民はロシアへの敵意を強め、軍事的な対抗策を余儀なくされます。
日本に敗北した清は、日本に対抗するためにロシアに接近し、明治29年(1896年)、「露清密約」を結びます。これによってロシアは満州での鉄道敷設権を手に入れ、シベリアより満州を通ってウラジオストックに至る中東鉄道(東清鉄道とも呼ばれます)の建設を開始、極東支配の基礎を固めようとします。 |
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