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万国博覧会に見る日本 ~明治・昭和の≪COOL JAPAN≫~

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万国博覧会と日本

  • (1) 澳国博覧会場本館日本列品所入口内部之図

    (1) 澳国博覧会場本館日本列品所入口内部之図

万国博覧会に最初に日本が登場したのは、1867年(慶応3年)のパリ万博です。しかし、この時は、幕府、薩摩藩、佐賀藩がそれぞれ独自に出品を行っただけで、まだ「日本」という国を紹介するとは言えないかたちでした。この後明治維新が進み、初めて明治政府、つまり日本の政府として正式に万国博覧会に参加したのが、この次の1873年(明治6年)のウィーン万博でした。 (1) は、この時の日本からの出品物の様子です。

こうして、万国博覧会という舞台で、それまでほとんど知られていなかった日本の文化が紹介されるようになると、世界中で注目が集まるようになっていきました。そして、日本としても、自分の国が急速に発展していること、そしてそれと同時に、伝統的な文化も大切にしていることを世界の人々にアピールしようと、積極的に万国博覧会に取り組むようになっていきました。

では、日本人は自分達の国をどのように世界の人々に紹介したのでしょうか。世界の人々はどのような「JAPAN」を目にしたのでしょうか。アジ歴の資料で見てみましょう。

セントルイス万博~日本庭園と金閣

1904年(明治37年)、アメリカのセントルイスで、ルイジアナ州の買収100周年を記念する万国博覧会が開かれました。この万博に参加した日本は、会場に日本庭園を造りました。アジ歴では、前年の1903年(明治36年)の準備段階で、「臨時万国博覧会事務局」が陸軍に送った資料から、この日本庭園の様子を知ることができます。

  • (2) 聖路易万国博覧会ニ於ケル日本庭園俯瞰図

    (2) 聖路易万国博覧会ニ於ケル日本庭園俯瞰図

(2) は庭園の俯瞰図です。これを見ると、池や川が作られ、石灯籠や岩、松などの樹木が配置された、かなりの広さをもつ本格的な日本庭園であったことがわかります。この中に日本家屋がいくつか建てられていますが、中でも目を引くのが、庭園の中央近くにある金閣ではないでしょうか。日本文化と言えば、日本庭園。そして、日本の建築物の代表としては、やはり何よりも金閣を紹介したかったのでしょう。わざわざアメリカの万博会場に、この壮麗な建物を再現して見せているところに、強いアピールの姿勢が感じられます。

現在でも、数多くの外国からの観光客が金閣を見に訪れており、海外でもこの建物が大変よく知られていることがわかりますが、ひょっとすると、この頃から、金閣という建物が日本のイメージとして世界に広まっていったのかも知れません。

アントワープ万博~「日本館」大人気

  • (3) アントワープ殖民及海洋万国博覧会会場の見取り図

    (3) アントワープ殖民及海洋万国博覧会会場の見取り図

  • (4) 「日本館」の外観

    (4) 「日本館」の外観

1930年(昭和5年)、ベルギーのアントワープ(アンヴェルスとも言います)で、ベルギー独立100周年を記念する「アントワープ殖民及海洋万国博覧会」が開かれました。この会場では、日本は「日本館」というパビリオンを出展しましたが、これが大変な人気を呼びました。この「日本館」の様子はアジ歴の資料で詳しく見ることができます。

アントワープの領事と本国の外務大臣との間では、万博が開かれている間、「日本館」についての情報のやりとりがかなり頻繁に行われています。この記録には、日程や出品物の確認をはじめとして、実際に会場で配られたパンフレットや、現地新聞の報道記事の切り抜きが添えられており、「日本館」の詳しい様子がうかがえます。

まず、 (3) の博覧会会場の見取り図で、「日本館」の位置を確認することができます。 (4)は「日本館」の外観です。日本家屋風のもので、なかなか大きなものだったようです。そして、(5)(6) はその内部の様子です。日本の美術品や民芸品、工芸品などが数多く展示されているのがわかります。

  • (5) 「日本館」の内部の様子

    (5) 「日本館」の内部の様子

  • (6) 「日本館」の内部の様子

    (6) 「日本館」の内部の様子

イベント「日本デー」の大成功

  • (7) 白耳義国独立百年記念アントワープ海洋及殖民万国博覧会 日本デー詳報

    (7) 白耳義国独立百年記念アントワープ海洋及殖民万国博覧会 日本デー詳報

しかし、多くの人々を何よりも引き付けたのは、「日本デー」と名付けた、今で言うところのイベントの開催でした。『白耳義国独立百年記念アントワープ海洋及殖民万国博覧会「日本デー」詳報』という文書 (7) は、このイベントの様子と、現地での評判がどのようなものであったのかを詳しく伝えてくれます。(レファレンスコード:B08061707800 分割3 14画像目~21画像目)

「日本デー」では、映画の上映会や、お茶の会、晩餐会が開催されました。また、訪れた人々には、扇子、団扇、手ぬぐいなどの景品が配られました。すると、現地の新聞や雑誌が一斉にこのイベントについてのレポートを掲載し、これを目にした人々が連日にわたって「日本館」に詰め掛けるようになり、大盛況になったというのです。もともと、日本の文化はヨーロッパでも高い人気がありました。しかし、この「日本館」では、展示を行うだけでなく、イベントを開催してそこで数々のサービスを行うことによって、マスメディアの注目を集め、人々の興味を引いたわけです。言ってみれば、自分の国の文化を積極的にアピールする姿勢が大成功を呼んだ、ということでしょう。