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地域 | 朝鮮 |
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都市名 | 京城 |
解説 | 殖産局は1910年10月の最初の官制から置かれた。当初は農商工部の一局として、農務課山林課、水産課を置いた。1912年4月の改編で商工局が廃止され、農林局が設置されたことにともない、水産課、商工課、鉱務課を掌るようになった。1915年5月の改編で局制が廃止され、殖産局の名前は一度消えるが、1919年8月の大改組で復活し、農務課、山林課、水産課、商工課、鉱務課を管掌した(のち山林課は独立)。翌1920年には、内地の米不足に対応するため、朝鮮総督府が朝鮮米増産計画(産米増殖計画)を実施したことにより、土地改良課が新設された。産米増殖運動は水利や農地の整備、土壌改良をともなったため、この運動の進展にしたがって水利課、開墾課が置かれた(のち土地改良部へ吸収)。1932年7月に農林局が新設されたことにより農林部門が移管、殖産局には商工課、鉱務課、水産課が置かれた(鉱務課は翌年に鉱山課と改称)。日中戦争以降は戦時体制が確立されるにつれて産金課や臨時物資調整課、物価調整課が設置された。いっぽう1940年代以降は工業化と資源開発の進展もあり、1942年11月に行われた行政簡素化改組では、商工課、物価課、鉱山課、鉄鋼課、産金課、燃料課、電気課(1課・2課)の8課体制となった。1943年12月の改編で鉱工局に改称された。 |
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参考資料 | ①「朝鮮総督府事務分掌規程」朝鮮総督府訓令第2号、1910年10月1日(『朝鮮総督府官報』1910年10月1日)②「朝鮮総督府事務分掌規程中改正」朝鮮総督府訓令第26号、1912年3月30日(『官報』1912年3月30日)③「朝鮮総督府事務分掌規程中改正」朝鮮総督府訓令第30号、1919年8月20日(『朝鮮総督府官報』号外1919年8月20日)④「朝鮮総督府事務分掌規程中改正」朝鮮総督府訓令第57号、1920年11月18日(『朝鮮総督府官報』1920年11月18日)⑤「朝鮮総督府事務分掌規程中改正」朝鮮総督府訓令第22号、1926年6月14日(『朝鮮総督府官報』号外1926年6月14日)⑥「朝鮮総督府事務分掌規程中改正」朝鮮総督府訓令第46号、1932年7月27日(『朝鮮総督府官報』1932年7月27日)⑦「朝鮮総督府事務分掌規程中改正」朝鮮総督府訓令第54号、1942年11月1日(朝鮮総督府官報』号外1942年11月1日)⑧「朝鮮総督府事務分掌規程中改正」朝鮮総督府訓令第88号、1943年12月1日(『朝鮮総督府官報』号外1943年12月1日)⑨広瀬貞三「朝鮮の重工業」(『東洋文化研究』第12号、2010年3月、学習院大学東洋文化研究所)⑩辻弘範「朝鮮総督府時代の農政」(『東洋文化研究』第7号、2005年3月、学習院大学東洋文化研究所)⑪『日韓交流の歴史―先史から現代まで』歴史教育研究会(日本)・歴史教科書研究会(韓国)、明石書店、2007年 |