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地域 | 朝鮮 |
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都市名 | 京城 |
解説 | 朝鮮総督府は1920年から内地の米不足解消を目的として、朝鮮米増産政策(産米増殖計画)をすすめ、農地整備として土地や品種の改良、水利施設の確保をはじめたが、水利課の設置もその一環である。1926年6月に新設された水利課が掌った業務は「水利組合設置の認可、水利組合に於いて行う土地改良事業の助成」に関する事項である(のち水利組合の事業計画についても管掌した)。1927年5月には産米増殖計画を担う3課(水利課、開墾課、土地改良課)は新設の土地改良部に集約されたが、1932年7月に農林局が設置、土地改良部が廃止されたことで水利課は農林局に移管された。昭和恐慌で内地農村が打撃をうけたことから安価な朝鮮米の移入が規制され、産米増殖計画は1934年に中止、水利課は1938年8月の改編で廃止された。 |
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参考資料 | ①「朝鮮総督府事務分掌規程中改正」朝鮮総督府訓令第22号、1926年6月14日(『朝鮮総督府官報』号外1926年6月14日)②「朝鮮総督府事務分掌規程中改正」朝鮮総督府訓令第16号、1927年5月26日(『朝鮮総督府官報』号外1927年5月26日)③「朝鮮総督府事務分掌規程中改正」朝鮮総督府訓令第46号、1932年7月27日(『朝鮮総督府官報』1932年7月27日)④「朝鮮総督府事務分掌規程中改正」朝鮮総督府訓令第48号、1938年8月8日(『朝鮮総督府官報』1938年8月8日)⑤辻弘範「朝鮮総督府時代の農政」(『東洋文化研究』第7号、2005年3月、学習院大学東洋文化研究所)⑥『日韓交流の歴史―先史から現代まで』歴史教育研究会(日本)・歴史教科書研究会(韓国)、明石書店、2007年 |