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地域 |
台湾
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都市名 |
台北
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解説 |
1944年3月、台湾軍は大本営直轄の作戦軍となり、台湾の防衛に加え、第32軍の兵站援助を担当。9月、第10方面軍が創設されると、司令官の安藤利吉大将以下、台湾軍の将兵がそのまま移り、台湾の諸部隊と沖縄の第32軍を統轄した。さらに安藤は、12月から台湾総督を兼ねた。1945年1月、台湾南部を防衛する第40軍が嘉義に創設されたが、その後司令部は本土防衛のため南九州に移転。第40軍隷下の諸部隊は方面軍隷下に復した。第32軍が壮絶な沖縄戦を展開した一方で、台湾に地上戦は起きず、航空部隊による応酬が専らであった。終戦後、沖縄は米軍管下、台湾は中国管下に入ったため、南西諸島の諸部隊を大本営直轄とし、第10方面軍は支那派遣軍総司令官の指揮下へ、そして独立混成第61旅団は第14方面軍の指揮下へと移された。民間人の引揚は9月から開始。部隊将兵は農耕や戦災復興に従事しながら現地自活を続けて待機。その間、10月25日に降伏調印式が行われ、11月1日より接収が開始された。12月24日、復員(中国台湾省警備総司令部命令)が下令され、諸部隊は高雄・基隆に順次集結。日本人将兵の復員は、12月の564名を皮切りに、1月に17,517名、2月に46,590名、3月に51,440名、4月に11,553名が実施された。なお、方面軍隷下の台湾人将兵は56,932人を数えた。
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参考資料 |
該当地区の『戦史叢書』なし。要文献調査。アジ歴史料の『台湾方面軍作戦記録 昭21年8月』および『第10方面軍関係戦史資料』が役立つ。また、『終戦時に於ける内外地第1線軍隊の概観』の記述が、復員前後に関する、見ることのできる唯一の公式戦史といえる。船舶引揚修理関係書類台湾地区日本海軍官兵善後連絡部。
台湾人兵士数はC11110411300
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