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地域 |
台湾
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都市名 |
関廟(台南東南方)
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解説 |
1940年7月に満洲国東寧に移駐し、第3軍隷下で警備。1944年11月に台湾派遣が決定し、12月、牡丹江省東寧県城子溝にて編成を完結。1945年1月、第10方面軍の隷下部隊となり、鮮満国境(図們)、釜山、門司を経て、2月に基隆上陸。さらに、フィリピン島へ向けて輸送不能となった第19師団の一部を編入した。同2月、第40軍の隷下となり、台南及び高雄州の防衛を担当。第40軍が南九州に移転し隷下を脱した後、一時、南部集団長(第71師団長)の指揮下となったが、5月、再び第10方面軍の隷下に戻った。終戦後、8月に防衛召集の者や本島内で入隊・応召した者を召集解除。9月、長期にわたる生活保障のため、独立混成第76旅団、独立混成第103旅団や防衛区内の陸海軍諸部隊を指揮下に入れ、10月、独立混成第103旅団を指揮下に入れた。台南市・高雄市の都市復興作業に従事しながら待機し、復員時は高雄に集結。数次に分かれ、浦賀・名古屋・鹿児島・大竹・宇品に上陸した。また乗船待期間も、中国側の要求に応じ、毎日約2,000人が高雄市都市復旧作業に従事した。終戦時の師団長は、人見秀三中将。
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上位の階層 | |
参考資料 |
C11110358900
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