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地域 | 台湾 |
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都市名 | 台北 |
解説 | 台湾総督官房は、1895(明治28)年5月、台湾総督府仮条例により設置された。官房には衛生事務総長、秘書課、記録課、用度課が置かれた。同年8月、台湾総督府条例(陸達第70号)には官房の規程がなく、官房が管掌していた事務は新設の民政局局長部が管掌した。1896(明治29)年3月の台湾総督府条例(勅令第88号)により再び官房が設置された。定員は副官2・専任秘書官2と定められた。副官は陸海軍佐尉官のうち各1をもってあて、秘書官は奏任であった。官房の職掌は機密事務および文書の取扱とされた。1897(明治30)年10月、台湾総督府官制が定められた際、官房内に秘書課と文書課を置いた。1898(明治31)年6月、官制改正により民政長官が置かれ、これに伴い文書課を民政部に移した。1901(明治34)年6月、文書課を官房に戻した。1908(明治41)年7月、官房に統計課を置いた。1909(明治42)年10月、官房に外事課を置いた。1918(大正7)年6月、統計課を調査課に改組した。1919(大正8)年6月、それまで明文規定のなかった参事官室を正式に設置した。また、秘書課とは別に秘書官副官室を設置した。同年8月、総督武官制の廃止と台湾軍の設置に伴う官制改正により、副官に関する条文が削除された。また、これに伴い秘書官副官室を秘書官室と改めた。1923年11月、官房に監察官室を置いた。1924(大正13)年12月、官制改正により秘書官の定員が1に削減された。同月、参事官室を審議室に改組するとともに、秘書官室と監察官室を廃止し、官房に法務課・会計課を置いた。1929(昭和4)年5月、官房に営繕課を置いた。1935年9月、官房に外事課を置いた。1936年10月、秘書課を秘書官室と人事課に改組した。1938年8月、外事課を外務部に改組した。1939年7月、調査課を企画部に改組した。1940年3月、外務部・法務課を官房から独立させた。1941年1月、企画部を官房から独立させた。1942年1月、官房に情報課を置いた。1942年11月、審議室を総務局に移すとともに、会計課を廃止した。1943年12月、審議室を官房に戻し、官房内の部署の序列で文書課の次に置いた。また、官房に地方観察課と統計課を置いた。1943年12月、官房内の部署の序列において審議室を筆頭とするとともに、統計課を廃止した。終戦後の1945年10月26日付で、総督府の統治機能が停止したのに伴い、官房も機能を停止した。 |
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参考資料 | 伊藤博文編『秘書類纂』第18巻(秘書類纂刊行会、1936年)450-454頁。A01200796100「民政局分課規程」(『台湾総督府例規類抄』、台湾総督府、1896年)50-53頁A03020232800A03020310400「臺灣總督府行政事務規程」(1897年10月28日台湾総督府訓令第136号)『台湾総督府報』第186号、1897年10月28日。A03020340500「臺灣總督府官房及民政部分課規程」(1898年6月30日台湾総督府訓令第149号)『台湾総督府報』第317号、1898年6月30日。「臺灣總督府官房竝民政部警察本署及各局分課規程」(1901年11月11日台湾総督府訓令第354号)『台湾総督府報』第1054号、1901年11月11日。「臺灣總督府官房竝民政部警察本署及各局分課規程中改正」(1908年7月12日台湾総督府訓令第106号)『台湾総督府報』第2474号、1908年7月12日。「臺灣總督府官房竝民政部各局及蕃務本署分課規程」(1909年10月25日台湾総督府訓令第154号)『台湾総督府報』第2819号、1909年10月25日。「臺灣總督府官房竝民政部各局署部分課規程中改正」(1918年6月6日台湾総督府訓令第96号)『台湾総督府報』第号外、1918年6月6日。A03021213300「臺灣總督府官房竝民政部事務分掌規程」(1919年6月29日、台湾総督府訓令第100号)『台湾総督府報』号外、1919年6月29日。「臺灣總督府官房竝民政部事務分掌規程改正」(1919年8月21日、台湾総督府訓令第165号)『台湾総督府報』号外、1919年8月21日。「臺灣總督府官房竝各局部事務分掌規程中改正」(1923年11月6日台湾総督府訓令119号)『台湾総督府報』1923年11月6日。A03021532000「臺灣總督府官房竝各局事務分掌規程」(1924年12月25日、台湾総督府訓令102号)『台湾総督府報』号外、1924年12月25日。「臺灣總督府官房竝各局事務分掌規程中改正」 1929年5月12日台湾総督府訓令第35号)『台湾総督府報』第665号、1929年5月12日。「大正十三年訓令第百二號中改正」(1935年9月2日台湾総督府訓令第55号)『台湾総督府報』号外、1935年9月2日。「臺灣總督府官房竝各局事務分掌規程中改正」(1936年10月7日台湾総督府訓令第49号)『台湾総督府報』第2804号、1936年10月7日。「臺灣總督府官房竝各局事務分掌規程中改正」(1938年8月25日台湾総督府訓令第66号)『台湾総督府報』第3369号、1938年8月25日。「臺灣總督府官房竝各局事務分掌規程中改正」(1939年7月1日台湾総督府訓令第51号)『台湾総督府報』第3621号、1939年7月1日。「臺灣總督府官房竝各局事務分掌規程中改正」(1940年3月7日台湾総督府訓令第41号)『台湾総督府報』1940年3月7日。「臺灣總督府事務分掌規程中改正」(1941年1月11日台湾総督府訓令第4号)『台湾総督府報』1941年1月11日。「臺灣總督府事務分掌規程中改正」(1942年1月23日台湾総督府訓令第7号)『台湾総督府報』第4398号、1942年1月23日。「臺灣總督府事務分掌規程改正」(1942年11月1日、台湾総督府訓令第109号)『台湾総督府報』号外1、1942年11月1日。「臺灣總督府事務分掌規程改正」(1943年12月1日、台湾総督府訓令第207号)『台湾総督府官報』第499号、1943年12月1日。「臺灣總督府事務分掌規程中改正」(1945年7月27日、台湾総督府訓令第86号)『台湾総督府官報』第998号、1945年7月27日。 |