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( 昭和16年(1941年)1月1日 )
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| 艦上に迎へる二千六百一年 |
| 無限軌道は若土を踏んで |
| 堪へて忍んで産むのだ兵器 |
| ゴムの木は海南島に芽をふいた |
| 大陸に建設第五年 徳石鉄道開通 |
| 今夜は慰問袋を作りませう |
| 第一回臨時中央協力会議 |
| 翼賛の怒涛 翼賛の汗 挙村一致の愛知県神戸村 |
| 美と能率と 働くドイツ婦人服 |
| 子宝の春 誉れの家を訪ねて |
| 南方戦線忙中閑あり |
| 戦地の兵隊さんから |
| 隣組の迎春常会 東京世田谷 |
( 昭和16年(1941年)1月8日 )
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| 皇太子殿下には御九歳の新春を御迎へあそばさる |
| 南も北も日の丸の姿に 南洋委任統治領 |
| 南も北も日の丸の姿に 台湾 |
| 国民服の春楽し |
| 建国第八年の春 満洲国 |
| 誓へ実践 建国の春 |
| 翼賛の身心を鍛ふ 大政翼賛会指導者訓練講習会 |
| 唄を忘れた子供たち |
| 対英海上封鎖は強化されてゆく ドイツ |
| 読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)1月15日 )
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| 天翔ける初翼 |
| 日独伊三国のお嬢さんを迎へたお正月 |
| 梵鐘一家の還俗式 |
| 転業へ身を捨て国とゆく心 |
| 強い団結と強健な身体とそして正しい生活と ドイツ歓喜力行団 |
| 読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)1月22日 )
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| われに不動の決意あり 横須賀海兵団入団の日 |
| 空だぼくらの行くところ 東京日比谷 |
| 大島浩中将を再びドイツに送る |
| 海外通信 再建フランスは青年によって |
| 子宝報国 東西三つ児合戦 |
| 満洲馬の改良防疫 寛城子馬疫研究処 |
| 読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)1月29日 )
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| 女警士を御覧に入れます |
| 故国を離れて幾山河 |
| 果なき曠野に血と汗と |
| 戦ひすんで |
| 警備も楽し |
| 故郷の便り |
| 自分からのアルバムから |
( 昭和16年(1941年)2月5日 )
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| 野村駐米大使 鹿島立つ |
| 何が為に軍拡を急ぐ!最近の米国海軍 |
| 支那事変貯蓄債券 報国債券 大蔵省・日本勧業銀行 |
| 野村駐米大使 鹿島立つ |
| 何が為に軍拡を急ぐ!最近の米国海軍 |
| 村から村へ 移動劇団 |
| スパイの謀略を防げ 大阪・神戸 |
| 読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)2月12日 )
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| 日米の調停で泰・仏印の停戦協定成る |
| 掃蕩戦は春に先立って 珠江三角地帯 |
| 湖も凍てつく沿岸封鎖 |
| ベルリンを喜ばした 日本少年少女の贈物 |
| 東亜・東亜の子供よ 僕たちは 東京日比谷 |
| 雪国の子供常会 長野県 |
| 集める心 束ねる力 |
| 工業小組合制度 |
| ペンを鍬に持ちかへて 角帽のお百姓 東京荒川 |
| 大桁山製炭道場 大日本青少年団 |
( 昭和16年(1941年)2月19日 )
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| 三年目開かれた扉 〓駐日中国大使着任す(〓はころもへんに者) |
| 泰・仏印調停会議進む 東京 首相官舎 |
| 石炭へいま増産の動員令 |
| 青島の今日このごろ |
| 紀元節の朝 宮城前広場 |
| 紀元二千六百年奉祝 第十一回明治神宮国民体育大会 |
| 挙ってまづ家庭内から新体制 大阪市 |
| 海外通信 |
| 読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)2月26日 )
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| 満洲国が生まれて明年は十周年になる |
| 満洲国 陸軍 |
| 満洲国 江上軍 |
| 建国の若人 |
| 満洲協和の今日このごろ |
| 満洲の土の富源 |
| 鋼を生む 満洲国鞍山 |
| 南十字星を截る 大日本定期航空路パラオ→デリー |
| 読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)3月5日 )
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| 太平洋の空を騒がすもの 英、米、濠の軍用機 |
| シンガポールを中心として イギリス軍用機 |
| 太平洋基地を中心として アメリカ軍用機 |
| 濠州にも軍用機工場が出来てゐる |
| 春近し オランダの昨今 |
| 浅春に弔銃哀し 故大角海軍大将以下を送る |
| 僕等のグライダー 大阪平野高等小学校生徒 |
| 満洲国の国民学校 新京市 |
| 建国の娘たち 満洲国 |
( 昭和16年(1941年)3月12日 )
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| 国民学校一年生 |
| この春の児童たち お古の洋服つくろってわたしのご本と回覧板 |
| 国民学校の新らしい教科書 |
| 青年は日本背負って進軍だ |
| 子供の翼賛紙芝居 |
| 北の子供たち 樺太日の丸隣保組 |
| 北海の春近く ドイツ海軍 |
| 読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)3月19日 )
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| 東亜の共栄に結ぶ果実 タイ仏印調停の署名を終る |
| 富士の裾野も掘りかへせ 静岡県小島村 |
| 空閑地も見逃すな 東京・江戸川 |
| 泥田も美田に 高知県 |
| イタリアの拓土開発 |
| 欧州と語らん 松岡外務大臣出発す |
| かつての競馬場もおいも畑に |
| 栄養を家々に配りませう 東京巣鴨 |
| 満洲の大地も呼応して 周家営埼玉開拓団 |
( 昭和16年(1941年)3月26日 )
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| 西尾大将 帝都に凱旋 |
| 聖戦五年 金枝玉葉の御身を以つて軍務に御精励遊ばさる |
| お米屋さんの切換へ 切符制ちうでも来い 名古屋市 |
| 「歩く」文部大臣 |
| 奇襲漫画慰問隊 東京府清瀬村 |
| 和平を写す 中支巡回映写班 |
| 戦ふファシスト |
| 読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)4月2日 )
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| 特輯 笑和運動 |
| 春風堂に満つ |
| 怒鳴り組今ぢや仲良し隣組 |
| 愛想よい車掌にタイヤはずむなり |
| 陽も笑ふ 野良に一家の御飯どき |
| これいかゞ笑顔で渡す代用品 使ひませう自給自足の代用品 |
| 家中の笑ひ綴つて慰問文 |
| お役人ぶらぬ窓口新体制 整然となごむ空気にはかがゆき |
| 能率はいつも笑顔と二人連れ |
| うち解けて手向ける香のうらうらと タイ・仏印関係陣没者追悼法要 |
| 動く図書館 千葉県 |
| 棒が一本あれば |
| あすは吾等の舞台の日 産業戦士報国大会 |
| 読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)4月9日 )
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| 皇太子殿下記念艦三笠にお成りあらせらる |
| 靖国の遺児 あすは九段に |
| 靖国の遺児 お父さん 僕お側に来てゐます |
| 還都一年の慶び 南京・北京 |
| まづ先生の勉強から 国民学校工作科講習 |
| 国民学校開く |
| 無駄なし交換会 大阪市 |
| 一列の 一降り 二乗り 三発車 |
| 海外通信 |
( 昭和16年(1941年)4月16日 )
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| 桜花と競ふ 蹄の豪華絵巻 興亜馬事大会 東京・代々木 |
| アフガニスタン経済使節団来訪 |
| アフガニスタンとはどんな国か |
| 喝!デカンシヨよ、さらば・・・ |
| 将兵を犒ふ 同じ思ひに 東京イタリア大使館 |
| バルカンは引火せり |
| 読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)4月23日 )
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| 出せ街の鉱脈を 事務所でお店で家庭でも |
| 諸外国は既に街の鉱山を掘り返へしてゐます |
| 鉄鋼の増産と鉄屑の回収 |
| ソ聯とドイツはかく松岡外相を迎へた |
| モスクワに降り立つた 三月二十三日 |
| ベルリン アンハルター驛到着 三月二十六日 |
| ベルリン市中 日の丸に湧く |
| 読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)4月30日 )
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| 総力戦まづ健康だ |
| 生れてからでは遅い 東京府立西多摩保健所 |
| どれだけ食ふべきか |
| 国立結核療養所 静岡県天龍荘 |
| 結核早期診断に レントゲン自動車 |
| 松岡外務大臣帰る |
| 日本は亜細亜の兄さんらしく大国民の襟度を持ちませう 礼節は心をひき締め身を正します |
| 島田司令長官と汪主席 |
| 北支の守り 中国暫編第一軍 |
| 読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)5月7日 )
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| 英雄永へに 靖国神社春の臨時大祭 |
| 援蒋路に止めの一撃 浙江福建に新作戦 |
| 地中海の制覇目指して イタリア海軍 |
| 地中海の制覇目指して イタリア空軍 |
| 若芽を追ふ羊の群 北支・蒙疆 |
| 世界の日本を説く 歓迎会の松岡外務大臣 |
| 憧れの日本に学ぶ 共栄圏の若人たち |
| お巡りさんも先生も紙芝居の名調子 大阪府西能勢村 |
| 読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)5月14日 )
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| 神戸スパイ事件 彼はどんな暗躍をしたか |
| 皐月の空の鯉のやうに 国民学校は健やかに |
| 錬成を視る 橋田文部大臣 |
| 墨染の衣からげて 尼さんの託児所 富山県 |
| 英の送油管は切断された!!!イラクとは |
| 読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)5月21日 )
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| 東亜の興廃にかけて 軍令部総長 永野修身大将 |
| 黒潮を呑む我が艦隊 |
| 天空を截るわが海軍航空隊 |
| 厳たり上海陸戦隊 |
| 日・仏印・タイが握り合ふ三つの手 |
| 国技の輸出 伊藤情報局総裁外交団招待会 |
| 農村機甲部隊 兵庫県・岡山県 |
| 次代の台湾建設隊 |
| ドイツに紹介された帝国海軍 |
| 国技の輸出 伊藤情報局総裁外交団招待会 |
( 昭和16年(1941年)5月28日 )
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| 皇后陛下 関西行啓 神宮山陵にご参拝遊ばさる |
| 中原に日章旗燦たり |
| 北支自衛団の協力 |
| 鉄路を護る 華中鉄道淮南線 |
| ハノイの夏の夜 |
| 京濱港開かる 五月二十日 |
| 動物園のお医者さま |
| 独伊相呼応して ギリシヤ攻略戦 |
| 読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)5月28日 )
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| 天皇陛下青年学校生徒を御親閲遊ばさる |
| 僕は海の子潮の児 静岡県焼津青年学校 |
| 私も工場に婦徳を磨く 東京亀戸淑徳女子青年学校 |
| 泥濘に戦果を追ふ 浙東作戦海軍輸送部隊 |
| お相撲さんの軍事教練 |
| 戦友集レ工場街道突撃ツ!! |
| 海外通信 ドイツ海軍 |
| 読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)6月11日 )
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| 翼持つ喜び 航空局中央乗員養成所 千葉県松戸 |
| 燃ゆる敵機 海鷲甘粛省天水飛行場奇襲 |
| 中国海軍の第一期生 |
| 拓け高原 山梨県山中湖畔 |
| 日本に住む華僑の大会 長崎市三菱会館 |
| 水上隣組 東京隅田川 |
| 海南島は真夏の微風 |
| 海外通信 オランダ フランス |
| 読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)6月18日 )
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| 木曽の御杣始祭 |
| 錬る早稲田 東京府久留米練成道場 |
| ペンと馬鈴薯 |
| 学生の機械化 |
| 築け貯蓄の鉄壁陣 |
| 光栄国兵 満洲国の入営 |
| ドイツから来た経済使節 |
| タガをはずした兵隊さん 臨時東京第一陸軍病院運動会 |
| 読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)6月25日 )
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| 汪国民政府主席来訪 皇室の賓客をもって遇せらる |
| 行けよ鉱山男の職場 坑道戦士になるまで |
| 第一回中央協力会議開かる 六月十六日 |
| 動く喜び溢れる力 |
| 台湾統治四十七年 |
| 光栄国兵 満洲国の入営 |
| 南への科学 台北市熱帯医学研究所 |
| 読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)7月2日 )
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| 遮断線上の密輸 澳門沖 |
| 兵隊さんの農園 漢口 |
| 捕虜の再教育 北支 |
| テロ犯人逮捕 漢口 |
| 広東の政治訓練所 |
| 新生中国は溌剌と 北京 |
| 貯蓄奨励ポスター懸賞募集当選図案発表 |
( 昭和16年(1941年)7月9日 )
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| 満州事変十周年 |
| この備へ この構へ!! |
| 青紙召集令 福岡県下男女青年団の軍役奉仕 |
| 火をふく北支の資源 |
| 何日君再来 厦門の華僑帰る |
| 建設列車先行 |
| 満四年 |
| 読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)7月16日 )
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| 海の記念日 七月二十日 |
| 海の乙女たち 横須賀海洋少女団訓練 |
| 海のお関所 京濱港東京区 |
| 磯の岩にも増産手術 |
| 産業報国はまづ身体から |
| 事変四周年 七月七日 |
| 機雷掃除の置土産 |
| 老若女子も熟練工 ドイツの飛行機工場 |
| 農繁期に女学生の託児所 |
| 読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)7月23日 )
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| 支那事変四周年の一文字山 北京郊外 |
| 海軍黄浦江警備隊 上海 |
| 海底の炭鉱 九州高島鉱業所 |
| 屑から飛行機戦車 岡山県 |
| 健全娯楽を常会に 岡山県 |
| 健全娯楽を常会に 面芝居の復活 |
| 自然を視つめて 国民学校の新らしい理数教育 |
| 耳と養護教育 大阪市立思斉学校 正聴教室 |
| 衣類服飾品航空図案入選発表 |
( 昭和16年(1941年)7月30日 )
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| 第三次近衛内閣成立 |
| 蘭印への日本の助け舟 浅間丸ドイツ避難民を救出す |
| 抱かれたドイツ避難民 |
| 広東の防疫陣 |
| 台湾の特別志願兵制度実施祝賀式 |
| 砂にまみれた小僧さん |
| 潮の香に育てよ 名古屋市海洋少年団 |
| 国民学校と自動車 |
| タイ国は近代化しつつある |
| 読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)8月6日 )
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| 仏印にわが陸海軍部隊増派 |
| 南部仏印と米 |
| 岳麓に盟邦の青少年と 山梨県山中湖畔 |
| 百キロ廿八時間 |
| 尼さん再出発 浄土宗総本山知恩院 |
| この夏の学校 |
| 国民学校児童 東京市氷川国民学校 |
| 女学校生徒 福島県立白河高等女学校 |
| 大学学生 大阪帝国大学医学部 |
| 読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)8月13日 )
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| 日仏印共同防衛とABCD包囲網 |
| 仏印増派第一報 |
| 仏印上陸手記 |
| 八一三のあの日からもう四年 上海陸戦隊 |
| 二万人のラジオ体操 東京九段 |
| 隣組水泳総動記 |
| 長雨と稲 |
| 銃後のカメラ(読者のカメラより改訂) |
( 昭和16年(1941年)8月20日 )
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| 満洲事変十周年 大陸国策を現地に看よ |
| 南仏印派遣 小林部隊 |
| 夏草枯れる最前線 中支 |
| 夏に鍛へる幼年学校 熊本 |
| 貝を増産 海のトラクター |
| 国民学校と車掌さん 名古屋市 |
| 御神火の島へ 移動演劇隊 伊豆大島 |
| 隣組防犯総動記 |
| 一万二千尺の気象台 富士山頂観測所 |
| 銃後のカメラ |
( 昭和16年(1941年)8月27日 )
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| 重慶連続爆撃一千機 海軍機 |
| 火薬を知つておきませう |
| 塩も兵器 朝鮮西海岸 珠安の天日製塩 |
| 湖上の豆水兵 滋賀県琵琶湖 |
| 国民学校とトンボ |
| 隣組防疫総動記 |
| 日本の土 岩手県 青森県 |
| 銃後のカメラ |
( 昭和16年(1941年)9月3日 )
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| 都市の空襲 |
| 防空壕を作るなら |
| 都市空襲時の食糧は確保されてゐる |
| 国民学校と防空 |
| 吾等の都市は吾等の手で |
| 英米の爆撃機 |
| 銃後のカメラ |
( 昭和16年(1941年)9月10日 )
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| 満洲事変満十年の後 |
| 国民学校と海 |
| 自然の光によつて 福井市司法保護飛鳥農園 |
| 日本の土2 北海道 |
| 南支那 海を圧す |
| 援蒋物資の移管 仏印ハイフォン |
| O.T部隊 ドイツの復興建設隊 |
| 銃後のカメラ |
( 昭和16年(1941年)9月17日 )
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| 満洲事変十周年 父祖濺血の聖地・満洲 |
| 9月20日航空日 |
| 重慶の空に贈物 |
| ドイツの模型グライダー その作り方その飛ばせ方 |
| 三つのグライダー プライマリー セコンダリー ソアラー |
| 国民学校と航空機 名古屋市大曽根国民学校 |
| お母さん飛行機を好きになつて下さい |
| 銃後のカメラ |
( 昭和16年(1941年)9月24日 )
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| 北方にこの資源 樺太 |
| 樺太 無尽蔵な木材 |
| 北の資源を育てる娘たち |
| ツンドラからこんなものが |
| 石炭も露天掘り |
| 赤城山麓に草刈奉仕 |
| 新らしき息吹き 南仏印シヨロン |
| 海の移動調査室 観測船 |
| 新中国は泰山の安きに 孔子祭も賑しく |
| 銃後のカメラ |
( 昭和16年(1941年)10月1日 )
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| 銃後奉公強化運動 十月三日−七日 |
| 満洲事変十周年記念 並びに満洲国承認祝賀晩餐会 九月十八日 東京帝国ホテル |
| 傷痍の勇士に花嫁を |
| いまは楽しい勇士の家 |
| オイ集レ!今日は勇士の家の稲刈だ 山形県立鶴岡中学校 |
| 遺児を立派に育てませう 山梨県 |
| 航空日に献納の五十一機 東京飛行場 |
| お宅にもキット不要な金物がありますよ! |
| 廃品更生の王様 |
| 兎は大切な軍需品 |
| 銃後のカメラ |
( 昭和16年(1941年)10月8日 )
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| 湖南戦は秋たけなは |
| 一人の無業者もなし 国家の望む職業へ |
| お花のお稽古も余暇を国家へ |
| 仏印から軍艦の修理に大阪へ |
| 日独伊三国同盟締結一周年祝賀午餐会 東京外務大臣宿舎 |
| レーニングラード戦 ラドガ湖附近 |
| アメリカの昨今 |
| 防空訓練のお手本 東京上野 |
| 銃後のカメラ |
( 昭和16年(1941年)10月15日 )
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| 西南アジア騒然なり トルコ |
| 西南アジア図 西南アジアの情勢 |
| 西南アジアの情勢 イラン |
| 西南アジアの情勢 イラク |
| 西南アジアの情勢 パレスチナ |
| 五万人への機甲訓練 東京市青年団 |
| 第二次防空訓練 |
| 国策紙芝居の先生製造 大阪市 |
| 銃後をあづかる女性訓練 大分 |
| 銃後のカメラ |
( 昭和16年(1941年)10月22日 )
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| 独ソ激戦第一報 |
| モスクワ街道まつしぐら |
| 弾道の下血と硝煙 モスクワ正面 |
| 灰塵に帰す ソ連精鋭の飛行機と戦車 モスクワ正面 |
| 戎につつむ悲哀 戎にうける歓呼 |
| 日独伊三国同盟成立一周年記念日 北京 |
| 第四回支那事変軍馬祭 十月廿四日 |
| 第四回文部省美術展覧会 東京 |
| 大ドイツ美術展覧会 ミュンヘン |
| 商工省主催 国民生活用品展から |
| 銃後のカメラ |
( 昭和16年(1941年)10月29日 )
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| 天皇陛下靖国神社行幸 英霊に御親拝遊ばさる |
| 東条内閣進発す |
| 角帽部隊の聯合演習 千葉県習志野 |
| 専門学校生徒の看護婦演習 |
| 闇退治の日の丸看板 山口県 |
| 適材適所検出機 |
| パリのその後 |
| 銃後のカメラ |
( 昭和16年(1941年)11月5日 )
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| 三笠宮崇仁親王殿下めでたく御成婚遊ばさる |
| 海の雛鷲 いくらでも |
| 学徒銃剣道訓練大会 陸軍戸山学校運動場 |
| 戦ふ人々 河南鄭州攻略戦 |
| 白日のもとへ 北支西苑俘虜収容所 |
| 海外通信 オランダの昨今 |
| 職域協力 山口県防府市 |
( 昭和16年(1941年)11月12日 )
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| 日満共同防衛 わが関東軍 |
| 日満共同防衛 満洲国軍 |
| 世界第二の水豊ダム完工 |
| 満洲国の兵器陣 |
| 第十二回 明治神宮国民体育大会 |
| 次代の精鋭を隣組で育てませう 大阪市 |
| 水陸両用自動車 ドイツ |
| 銃後のカメラ |
( 昭和16年(1941年)11月19日 )
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| 新穀感謝の秋 南朝鮮総督の収穫奉仕 |
| 農繁地へサンタクロース |
| 隣組で共同炊事 大阪市 |
| 鉱山の金鵄勲章 全国優良鉱山技術者労務者表彰式 東京 |
| ブラジル国軍のドイツ製兵器 |
| ろうどうほうしとさつま薯 |
| 銃後のカメラ |
| 鄭州から |
( 昭和16年(1941年)11月26日 )
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| 日満華締盟成立一周年 |
| 徐新中国大使を訪ふ |
| 新生中国の郷土は清く健やかに |
| 満洲の大地に骨を埋めよ 満洲国開拓農場法公布 |
| 世界注視の中に臨時議会開かる |
| 遣米第一船帰る |
| 仏印からゴムマリが飛んできました |
| 朝鮮の豊年祭 |
| 銃後のカメラ |
( 昭和16年(1941年)12月3日 )
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| 健全に日本の血を廻しませう |
| 二割七分の御奉公 |
| 国債は一日に数十万枚出来てゐる |
| 母国の懐に帰る 日枝丸 高千穂丸 |
| タイから来てゐる学生さん |
| 不自由な身体をすくすくと 光明学校 東京世田谷 |
| 前線銃後共歓放送 |
| 銃後のカメラ |
( 昭和16年(1941年)12月10日 )
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| 日頃の練磨が物いふ日 臨時徴兵検査施行さる 十二月一日 |
| 逞しい軍教の靴音 東京帝国大学 |
| 青春をペダルに踏んで 京都高苑女学校 |
| 雲の暁に青年動員 長野県 |
| 国民登録整備 |
| 戦闘帽の山法師 叡山学寮 |
| 電波で送られてきた世界 |
| 山西討滅行(兵隊さんのカメラ) |
| 病没捕虜にも記念碑(兵隊さんのカメラ) |
| 新生中国の集団結婚典礼(兵隊さんのカメラ) |
| 銃後のカメラ |
( 昭和16年(1941年)12月17日 )
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| 一億、今ぞ敵は米英だ! |
| 山本聯合艦隊司令長官艨艟を率ゐて起つ |
| 火砲は西太平洋上に開かれたり |
| 米勢力は上海から駆逐せられたり |
| 遂に至る米英撃滅の秋 征け 驕らず 臆せず 沈着に |
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( 昭和16年(1941年)12月24日 )
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| 日独伊三国更に協定強化 |
| 暁天を引裂くハワイ真珠湾攻撃12月8日 |
| まづ上海を血祭に |
| 潰え去つた在支敵性 |
| 新戦場辞典ハワイ |
| 新戦場辞典フィリピン |
| 新戦場辞典英領マレー |
| マレーの海底に没入したプリンス・オブ・ウェールス号 |
| 一億挙つて思ひを祖国に |
| 米英撃滅国民大会 新京 |
| 新戦場も近く 台湾軍台北部隊の大演習 |
( 昭和16年(1941年)12月31日 )
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| 比類なき戦果 マレー沖海戦 |
| 喊声熱帯の密林をゆるがす マレー戦線 |
| 香港爆撃 陸の荒鷲 |
| 新戦場辞典香港 |
| 新戦場辞典英領ボルネオ |
| 新戦場地誌 虐げられてきたマレーの住民 |
| 新戦場地誌 虐げられてきたビルマ人 |
| この感激を増産へ 北海道夕張炭鉱 |
| お馬の鍛錬は私達が引受けた 秋田県 |
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