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( 昭和16年(1941年)1月1日 )
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艦上に迎へる二千六百一年 |
無限軌道は若土を踏んで |
堪へて忍んで産むのだ兵器 |
ゴムの木は海南島に芽をふいた |
大陸に建設第五年 徳石鉄道開通 |
今夜は慰問袋を作りませう |
第一回臨時中央協力会議 |
翼賛の怒涛 翼賛の汗 挙村一致の愛知県神戸村 |
美と能率と 働くドイツ婦人服 |
子宝の春 誉れの家を訪ねて |
南方戦線忙中閑あり |
戦地の兵隊さんから |
隣組の迎春常会 東京世田谷 |
( 昭和16年(1941年)1月8日 )
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皇太子殿下には御九歳の新春を御迎へあそばさる |
南も北も日の丸の姿に 南洋委任統治領 |
南も北も日の丸の姿に 台湾 |
国民服の春楽し |
建国第八年の春 満洲国 |
誓へ実践 建国の春 |
翼賛の身心を鍛ふ 大政翼賛会指導者訓練講習会 |
唄を忘れた子供たち |
対英海上封鎖は強化されてゆく ドイツ |
読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)1月15日 )
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天翔ける初翼 |
日独伊三国のお嬢さんを迎へたお正月 |
梵鐘一家の還俗式 |
転業へ身を捨て国とゆく心 |
強い団結と強健な身体とそして正しい生活と ドイツ歓喜力行団 |
読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)1月22日 )
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われに不動の決意あり 横須賀海兵団入団の日 |
空だぼくらの行くところ 東京日比谷 |
大島浩中将を再びドイツに送る |
海外通信 再建フランスは青年によって |
子宝報国 東西三つ児合戦 |
満洲馬の改良防疫 寛城子馬疫研究処 |
読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)1月29日 )
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女警士を御覧に入れます |
故国を離れて幾山河 |
果なき曠野に血と汗と |
戦ひすんで |
警備も楽し |
故郷の便り |
自分からのアルバムから |
( 昭和16年(1941年)2月5日 )
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野村駐米大使 鹿島立つ |
何が為に軍拡を急ぐ!最近の米国海軍 |
支那事変貯蓄債券 報国債券 大蔵省・日本勧業銀行 |
野村駐米大使 鹿島立つ |
何が為に軍拡を急ぐ!最近の米国海軍 |
村から村へ 移動劇団 |
スパイの謀略を防げ 大阪・神戸 |
読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)2月12日 )
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日米の調停で泰・仏印の停戦協定成る |
掃蕩戦は春に先立って 珠江三角地帯 |
湖も凍てつく沿岸封鎖 |
ベルリンを喜ばした 日本少年少女の贈物 |
東亜・東亜の子供よ 僕たちは 東京日比谷 |
雪国の子供常会 長野県 |
集める心 束ねる力 |
工業小組合制度 |
ペンを鍬に持ちかへて 角帽のお百姓 東京荒川 |
大桁山製炭道場 大日本青少年団 |
( 昭和16年(1941年)2月19日 )
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三年目開かれた扉 〓駐日中国大使着任す(〓はころもへんに者) |
泰・仏印調停会議進む 東京 首相官舎 |
石炭へいま増産の動員令 |
青島の今日このごろ |
紀元節の朝 宮城前広場 |
紀元二千六百年奉祝 第十一回明治神宮国民体育大会 |
挙ってまづ家庭内から新体制 大阪市 |
海外通信 |
読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)2月26日 )
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満洲国が生まれて明年は十周年になる |
満洲国 陸軍 |
満洲国 江上軍 |
建国の若人 |
満洲協和の今日このごろ |
満洲の土の富源 |
鋼を生む 満洲国鞍山 |
南十字星を截る 大日本定期航空路パラオ→デリー |
読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)3月5日 )
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太平洋の空を騒がすもの 英、米、濠の軍用機 |
シンガポールを中心として イギリス軍用機 |
太平洋基地を中心として アメリカ軍用機 |
濠州にも軍用機工場が出来てゐる |
春近し オランダの昨今 |
浅春に弔銃哀し 故大角海軍大将以下を送る |
僕等のグライダー 大阪平野高等小学校生徒 |
満洲国の国民学校 新京市 |
建国の娘たち 満洲国 |
( 昭和16年(1941年)3月12日 )
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国民学校一年生 |
この春の児童たち お古の洋服つくろってわたしのご本と回覧板 |
国民学校の新らしい教科書 |
青年は日本背負って進軍だ |
子供の翼賛紙芝居 |
北の子供たち 樺太日の丸隣保組 |
北海の春近く ドイツ海軍 |
読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)3月19日 )
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東亜の共栄に結ぶ果実 タイ仏印調停の署名を終る |
富士の裾野も掘りかへせ 静岡県小島村 |
空閑地も見逃すな 東京・江戸川 |
泥田も美田に 高知県 |
イタリアの拓土開発 |
欧州と語らん 松岡外務大臣出発す |
かつての競馬場もおいも畑に |
栄養を家々に配りませう 東京巣鴨 |
満洲の大地も呼応して 周家営埼玉開拓団 |
( 昭和16年(1941年)3月26日 )
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西尾大将 帝都に凱旋 |
聖戦五年 金枝玉葉の御身を以つて軍務に御精励遊ばさる |
お米屋さんの切換へ 切符制ちうでも来い 名古屋市 |
「歩く」文部大臣 |
奇襲漫画慰問隊 東京府清瀬村 |
和平を写す 中支巡回映写班 |
戦ふファシスト |
読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)4月2日 )
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特輯 笑和運動 |
春風堂に満つ |
怒鳴り組今ぢや仲良し隣組 |
愛想よい車掌にタイヤはずむなり |
陽も笑ふ 野良に一家の御飯どき |
これいかゞ笑顔で渡す代用品 使ひませう自給自足の代用品 |
家中の笑ひ綴つて慰問文 |
お役人ぶらぬ窓口新体制 整然となごむ空気にはかがゆき |
能率はいつも笑顔と二人連れ |
うち解けて手向ける香のうらうらと タイ・仏印関係陣没者追悼法要 |
動く図書館 千葉県 |
棒が一本あれば |
あすは吾等の舞台の日 産業戦士報国大会 |
読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)4月9日 )
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皇太子殿下記念艦三笠にお成りあらせらる |
靖国の遺児 あすは九段に |
靖国の遺児 お父さん 僕お側に来てゐます |
還都一年の慶び 南京・北京 |
まづ先生の勉強から 国民学校工作科講習 |
国民学校開く |
無駄なし交換会 大阪市 |
一列の 一降り 二乗り 三発車 |
海外通信 |
( 昭和16年(1941年)4月16日 )
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桜花と競ふ 蹄の豪華絵巻 興亜馬事大会 東京・代々木 |
アフガニスタン経済使節団来訪 |
アフガニスタンとはどんな国か |
喝!デカンシヨよ、さらば・・・ |
将兵を犒ふ 同じ思ひに 東京イタリア大使館 |
バルカンは引火せり |
読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)4月23日 )
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出せ街の鉱脈を 事務所でお店で家庭でも |
諸外国は既に街の鉱山を掘り返へしてゐます |
鉄鋼の増産と鉄屑の回収 |
ソ聯とドイツはかく松岡外相を迎へた |
モスクワに降り立つた 三月二十三日 |
ベルリン アンハルター驛到着 三月二十六日 |
ベルリン市中 日の丸に湧く |
読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)4月30日 )
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総力戦まづ健康だ |
生れてからでは遅い 東京府立西多摩保健所 |
どれだけ食ふべきか |
国立結核療養所 静岡県天龍荘 |
結核早期診断に レントゲン自動車 |
松岡外務大臣帰る |
日本は亜細亜の兄さんらしく大国民の襟度を持ちませう 礼節は心をひき締め身を正します |
島田司令長官と汪主席 |
北支の守り 中国暫編第一軍 |
読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)5月7日 )
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英雄永へに 靖国神社春の臨時大祭 |
援蒋路に止めの一撃 浙江福建に新作戦 |
地中海の制覇目指して イタリア海軍 |
地中海の制覇目指して イタリア空軍 |
若芽を追ふ羊の群 北支・蒙疆 |
世界の日本を説く 歓迎会の松岡外務大臣 |
憧れの日本に学ぶ 共栄圏の若人たち |
お巡りさんも先生も紙芝居の名調子 大阪府西能勢村 |
読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)5月14日 )
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神戸スパイ事件 彼はどんな暗躍をしたか |
皐月の空の鯉のやうに 国民学校は健やかに |
錬成を視る 橋田文部大臣 |
墨染の衣からげて 尼さんの託児所 富山県 |
英の送油管は切断された!!!イラクとは |
読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)5月21日 )
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東亜の興廃にかけて 軍令部総長 永野修身大将 |
黒潮を呑む我が艦隊 |
天空を截るわが海軍航空隊 |
厳たり上海陸戦隊 |
日・仏印・タイが握り合ふ三つの手 |
国技の輸出 伊藤情報局総裁外交団招待会 |
農村機甲部隊 兵庫県・岡山県 |
次代の台湾建設隊 |
ドイツに紹介された帝国海軍 |
国技の輸出 伊藤情報局総裁外交団招待会 |
( 昭和16年(1941年)5月28日 )
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皇后陛下 関西行啓 神宮山陵にご参拝遊ばさる |
中原に日章旗燦たり |
北支自衛団の協力 |
鉄路を護る 華中鉄道淮南線 |
ハノイの夏の夜 |
京濱港開かる 五月二十日 |
動物園のお医者さま |
独伊相呼応して ギリシヤ攻略戦 |
読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)5月28日 )
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天皇陛下青年学校生徒を御親閲遊ばさる |
僕は海の子潮の児 静岡県焼津青年学校 |
私も工場に婦徳を磨く 東京亀戸淑徳女子青年学校 |
泥濘に戦果を追ふ 浙東作戦海軍輸送部隊 |
お相撲さんの軍事教練 |
戦友集レ工場街道突撃ツ!! |
海外通信 ドイツ海軍 |
読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)6月11日 )
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翼持つ喜び 航空局中央乗員養成所 千葉県松戸 |
燃ゆる敵機 海鷲甘粛省天水飛行場奇襲 |
中国海軍の第一期生 |
拓け高原 山梨県山中湖畔 |
日本に住む華僑の大会 長崎市三菱会館 |
水上隣組 東京隅田川 |
海南島は真夏の微風 |
海外通信 オランダ フランス |
読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)6月18日 )
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木曽の御杣始祭 |
錬る早稲田 東京府久留米練成道場 |
ペンと馬鈴薯 |
学生の機械化 |
築け貯蓄の鉄壁陣 |
光栄国兵 満洲国の入営 |
ドイツから来た経済使節 |
タガをはずした兵隊さん 臨時東京第一陸軍病院運動会 |
読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)6月25日 )
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汪国民政府主席来訪 皇室の賓客をもって遇せらる |
行けよ鉱山男の職場 坑道戦士になるまで |
第一回中央協力会議開かる 六月十六日 |
動く喜び溢れる力 |
台湾統治四十七年 |
光栄国兵 満洲国の入営 |
南への科学 台北市熱帯医学研究所 |
読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)7月2日 )
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遮断線上の密輸 澳門沖 |
兵隊さんの農園 漢口 |
捕虜の再教育 北支 |
テロ犯人逮捕 漢口 |
広東の政治訓練所 |
新生中国は溌剌と 北京 |
貯蓄奨励ポスター懸賞募集当選図案発表 |
( 昭和16年(1941年)7月9日 )
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満州事変十周年 |
この備へ この構へ!! |
青紙召集令 福岡県下男女青年団の軍役奉仕 |
火をふく北支の資源 |
何日君再来 厦門の華僑帰る |
建設列車先行 |
満四年 |
読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)7月16日 )
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海の記念日 七月二十日 |
海の乙女たち 横須賀海洋少女団訓練 |
海のお関所 京濱港東京区 |
磯の岩にも増産手術 |
産業報国はまづ身体から |
事変四周年 七月七日 |
機雷掃除の置土産 |
老若女子も熟練工 ドイツの飛行機工場 |
農繁期に女学生の託児所 |
読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)7月23日 )
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支那事変四周年の一文字山 北京郊外 |
海軍黄浦江警備隊 上海 |
海底の炭鉱 九州高島鉱業所 |
屑から飛行機戦車 岡山県 |
健全娯楽を常会に 岡山県 |
健全娯楽を常会に 面芝居の復活 |
自然を視つめて 国民学校の新らしい理数教育 |
耳と養護教育 大阪市立思斉学校 正聴教室 |
衣類服飾品航空図案入選発表 |
( 昭和16年(1941年)7月30日 )
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第三次近衛内閣成立 |
蘭印への日本の助け舟 浅間丸ドイツ避難民を救出す |
抱かれたドイツ避難民 |
広東の防疫陣 |
台湾の特別志願兵制度実施祝賀式 |
砂にまみれた小僧さん |
潮の香に育てよ 名古屋市海洋少年団 |
国民学校と自動車 |
タイ国は近代化しつつある |
読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)8月6日 )
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仏印にわが陸海軍部隊増派 |
南部仏印と米 |
岳麓に盟邦の青少年と 山梨県山中湖畔 |
百キロ廿八時間 |
尼さん再出発 浄土宗総本山知恩院 |
この夏の学校 |
国民学校児童 東京市氷川国民学校 |
女学校生徒 福島県立白河高等女学校 |
大学学生 大阪帝国大学医学部 |
読者のカメラ |
( 昭和16年(1941年)8月13日 )
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日仏印共同防衛とABCD包囲網 |
仏印増派第一報 |
仏印上陸手記 |
八一三のあの日からもう四年 上海陸戦隊 |
二万人のラジオ体操 東京九段 |
隣組水泳総動記 |
長雨と稲 |
銃後のカメラ(読者のカメラより改訂) |
( 昭和16年(1941年)8月20日 )
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満洲事変十周年 大陸国策を現地に看よ |
南仏印派遣 小林部隊 |
夏草枯れる最前線 中支 |
夏に鍛へる幼年学校 熊本 |
貝を増産 海のトラクター |
国民学校と車掌さん 名古屋市 |
御神火の島へ 移動演劇隊 伊豆大島 |
隣組防犯総動記 |
一万二千尺の気象台 富士山頂観測所 |
銃後のカメラ |
( 昭和16年(1941年)8月27日 )
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重慶連続爆撃一千機 海軍機 |
火薬を知つておきませう |
塩も兵器 朝鮮西海岸 珠安の天日製塩 |
湖上の豆水兵 滋賀県琵琶湖 |
国民学校とトンボ |
隣組防疫総動記 |
日本の土 岩手県 青森県 |
銃後のカメラ |
( 昭和16年(1941年)9月3日 )
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都市の空襲 |
防空壕を作るなら |
都市空襲時の食糧は確保されてゐる |
国民学校と防空 |
吾等の都市は吾等の手で |
英米の爆撃機 |
銃後のカメラ |
( 昭和16年(1941年)9月10日 )
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満洲事変満十年の後 |
国民学校と海 |
自然の光によつて 福井市司法保護飛鳥農園 |
日本の土2 北海道 |
南支那 海を圧す |
援蒋物資の移管 仏印ハイフォン |
O.T部隊 ドイツの復興建設隊 |
銃後のカメラ |
( 昭和16年(1941年)9月17日 )
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満洲事変十周年 父祖濺血の聖地・満洲 |
9月20日航空日 |
重慶の空に贈物 |
ドイツの模型グライダー その作り方その飛ばせ方 |
三つのグライダー プライマリー セコンダリー ソアラー |
国民学校と航空機 名古屋市大曽根国民学校 |
お母さん飛行機を好きになつて下さい |
銃後のカメラ |
( 昭和16年(1941年)9月24日 )
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北方にこの資源 樺太 |
樺太 無尽蔵な木材 |
北の資源を育てる娘たち |
ツンドラからこんなものが |
石炭も露天掘り |
赤城山麓に草刈奉仕 |
新らしき息吹き 南仏印シヨロン |
海の移動調査室 観測船 |
新中国は泰山の安きに 孔子祭も賑しく |
銃後のカメラ |
( 昭和16年(1941年)10月1日 )
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銃後奉公強化運動 十月三日−七日 |
満洲事変十周年記念 並びに満洲国承認祝賀晩餐会 九月十八日 東京帝国ホテル |
傷痍の勇士に花嫁を |
いまは楽しい勇士の家 |
オイ集レ!今日は勇士の家の稲刈だ 山形県立鶴岡中学校 |
遺児を立派に育てませう 山梨県 |
航空日に献納の五十一機 東京飛行場 |
お宅にもキット不要な金物がありますよ! |
廃品更生の王様 |
兎は大切な軍需品 |
銃後のカメラ |
( 昭和16年(1941年)10月8日 )
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湖南戦は秋たけなは |
一人の無業者もなし 国家の望む職業へ |
お花のお稽古も余暇を国家へ |
仏印から軍艦の修理に大阪へ |
日独伊三国同盟締結一周年祝賀午餐会 東京外務大臣宿舎 |
レーニングラード戦 ラドガ湖附近 |
アメリカの昨今 |
防空訓練のお手本 東京上野 |
銃後のカメラ |
( 昭和16年(1941年)10月15日 )
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西南アジア騒然なり トルコ |
西南アジア図 西南アジアの情勢 |
西南アジアの情勢 イラン |
西南アジアの情勢 イラク |
西南アジアの情勢 パレスチナ |
五万人への機甲訓練 東京市青年団 |
第二次防空訓練 |
国策紙芝居の先生製造 大阪市 |
銃後をあづかる女性訓練 大分 |
銃後のカメラ |
( 昭和16年(1941年)10月22日 )
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独ソ激戦第一報 |
モスクワ街道まつしぐら |
弾道の下血と硝煙 モスクワ正面 |
灰塵に帰す ソ連精鋭の飛行機と戦車 モスクワ正面 |
戎につつむ悲哀 戎にうける歓呼 |
日独伊三国同盟成立一周年記念日 北京 |
第四回支那事変軍馬祭 十月廿四日 |
第四回文部省美術展覧会 東京 |
大ドイツ美術展覧会 ミュンヘン |
商工省主催 国民生活用品展から |
銃後のカメラ |
( 昭和16年(1941年)10月29日 )
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天皇陛下靖国神社行幸 英霊に御親拝遊ばさる |
東条内閣進発す |
角帽部隊の聯合演習 千葉県習志野 |
専門学校生徒の看護婦演習 |
闇退治の日の丸看板 山口県 |
適材適所検出機 |
パリのその後 |
銃後のカメラ |
( 昭和16年(1941年)11月5日 )
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三笠宮崇仁親王殿下めでたく御成婚遊ばさる |
海の雛鷲 いくらでも |
学徒銃剣道訓練大会 陸軍戸山学校運動場 |
戦ふ人々 河南鄭州攻略戦 |
白日のもとへ 北支西苑俘虜収容所 |
海外通信 オランダの昨今 |
職域協力 山口県防府市 |
( 昭和16年(1941年)11月12日 )
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日満共同防衛 わが関東軍 |
日満共同防衛 満洲国軍 |
世界第二の水豊ダム完工 |
満洲国の兵器陣 |
第十二回 明治神宮国民体育大会 |
次代の精鋭を隣組で育てませう 大阪市 |
水陸両用自動車 ドイツ |
銃後のカメラ |
( 昭和16年(1941年)11月19日 )
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新穀感謝の秋 南朝鮮総督の収穫奉仕 |
農繁地へサンタクロース |
隣組で共同炊事 大阪市 |
鉱山の金鵄勲章 全国優良鉱山技術者労務者表彰式 東京 |
ブラジル国軍のドイツ製兵器 |
ろうどうほうしとさつま薯 |
銃後のカメラ |
鄭州から |
( 昭和16年(1941年)11月26日 )
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日満華締盟成立一周年 |
徐新中国大使を訪ふ |
新生中国の郷土は清く健やかに |
満洲の大地に骨を埋めよ 満洲国開拓農場法公布 |
世界注視の中に臨時議会開かる |
遣米第一船帰る |
仏印からゴムマリが飛んできました |
朝鮮の豊年祭 |
銃後のカメラ |
( 昭和16年(1941年)12月3日 )
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健全に日本の血を廻しませう |
二割七分の御奉公 |
国債は一日に数十万枚出来てゐる |
母国の懐に帰る 日枝丸 高千穂丸 |
タイから来てゐる学生さん |
不自由な身体をすくすくと 光明学校 東京世田谷 |
前線銃後共歓放送 |
銃後のカメラ |
( 昭和16年(1941年)12月10日 )
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日頃の練磨が物いふ日 臨時徴兵検査施行さる 十二月一日 |
逞しい軍教の靴音 東京帝国大学 |
青春をペダルに踏んで 京都高苑女学校 |
雲の暁に青年動員 長野県 |
国民登録整備 |
戦闘帽の山法師 叡山学寮 |
電波で送られてきた世界 |
山西討滅行(兵隊さんのカメラ) |
病没捕虜にも記念碑(兵隊さんのカメラ) |
新生中国の集団結婚典礼(兵隊さんのカメラ) |
銃後のカメラ |
( 昭和16年(1941年)12月17日 )
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一億、今ぞ敵は米英だ! |
山本聯合艦隊司令長官艨艟を率ゐて起つ |
火砲は西太平洋上に開かれたり |
米勢力は上海から駆逐せられたり |
遂に至る米英撃滅の秋 征け 驕らず 臆せず 沈着に |
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( 昭和16年(1941年)12月24日 )
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日独伊三国更に協定強化 |
暁天を引裂くハワイ真珠湾攻撃12月8日 |
まづ上海を血祭に |
潰え去つた在支敵性 |
新戦場辞典ハワイ |
新戦場辞典フィリピン |
新戦場辞典英領マレー |
マレーの海底に没入したプリンス・オブ・ウェールス号 |
一億挙つて思ひを祖国に |
米英撃滅国民大会 新京 |
新戦場も近く 台湾軍台北部隊の大演習 |
( 昭和16年(1941年)12月31日 )
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比類なき戦果 マレー沖海戦 |
喊声熱帯の密林をゆるがす マレー戦線 |
香港爆撃 陸の荒鷲 |
新戦場辞典香港 |
新戦場辞典英領ボルネオ |
新戦場地誌 虐げられてきたマレーの住民 |
新戦場地誌 虐げられてきたビルマ人 |
この感激を増産へ 北海道夕張炭鉱 |
お馬の鍛錬は私達が引受けた 秋田県 |
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