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( 昭和15年(1940年)1月10日 )
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南京の春温 |
浦東の楊先生 |
タッキリ渓に黄金のかちどき |
混雑緩和に団体乗車 |
娘心は青空へ |
海外通信 |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)1月17日 )
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豆提督は寒かないよ |
江南に春近し |
戦友はまだ戦ってゐる |
陸軍始観兵式 |
ヘルシンキ爆撃に晒さる |
海外通信 |
勝鬨可動橋 |
非常時ウインタースポーツ |
大きいものが小さくなって 小さいものが大きくなったら |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)1月24日 )
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米内内閣成立す |
竣工近き東郷神社 |
霞ヶ浦の初飛行 第十一聨合海軍航空隊分列式 |
くろがねの御奉公 横須賀海兵団入港の日 |
第三十八号から第百号まで 発行部数増加指数 |
時の話題 |
創刊から第百号まで 写真記事内容百分比 |
江南の梅 |
児童科学室 ぶらじる丸のお誕生 |
海外通信 |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)1月31日 )
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米内内閣の陣容 |
浅間丸ドイツ船客拉致事件 |
廬州を守る |
時局の動き 事変処理と支那新中央政府の成立 |
お嬢さん奉仕隊の報告書 |
焦土にうち寄す銃後の心 静岡の大火は早くも復興へ |
東京市民ハイキング |
炭焼奉仕 |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)2月7日 )
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青島に植えた和平の苗 |
淮南線警乗記 |
節酒はまづ義理のお酒や無理酒から |
はるばるマヂノ線へ征く英国兵 |
海の友情 |
ビルの丸焼き |
寒くはないよ、この元気 |
第二回思想戦展覧会 |
( 昭和15年(1940年)2月14日 )
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江南の春雪を踏んで |
航空局の乗員養成 |
混雑を二倍に揉み合ふ我れ勝ち組 |
広東日語学校の運動会 |
西湖の水で育くむ |
東京失明傷痍軍人寮 |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)2月21日 )
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紀元二千六百年のこのよき日 |
砲煙の中に生まれた仔馬 |
白魔と闘ふ人々 |
伊号第六十三潜水艦引き揚げらる |
雪原を愛国の地に染めて |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)2月28日 )
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秩父宮殿下雪の神宮大会に台臨 |
南の友邦 アルゼンチン |
お母様方!あなたのお子様は一年生になれますか |
上海のパレスチナ |
雪の科学 |
海外通信 |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)3月6日 )
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魯東作戦終る |
戦線三千五百キロ |
自給自足のお台所部隊 |
金なき大阪市をめざして |
春の開宴 |
杭州放送局 |
海外通信 |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)3月13日 )
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南京に春萌える日 |
浅間丸独人船客九名 英艦横浜に廻送す |
自給自足の被服部隊 |
氷の防塞 オランダ国防軍 |
満州の元宵節 |
広東の雛祭 |
南に射す陽暖く |
絲を吐く蟲総動員 |
満蒙行きの花嫁一年生 |
( 昭和15年(1940年)3月20日 )
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新しい国旗は迎へる東亜の春 |
新東亜建設譜 |
閑院総裁宮殿下、令旨を賜ふ 第三十五回陸軍記念日祝典 |
学生の意気高らか 帝都防衛 暁の市街戦 |
湯の里に時局色雪だるまコンクール |
顕微鏡下に水ぬるむ |
銃後の護りは堅し 都下一万女学生の宣誓 |
( 昭和15年(1940年)3月27日 )
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汪氏歓迎に忙しい南京 |
擁護汪先生 上海 |
大陸に走る和平街道 |
タイ国の看護婦、東京留学 |
武勲に輝く 海の荒鷲 |
海を描く美校生 |
欧州写真宣伝戦 |
一坪の空地にも野菜を植ゑませう |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)4月3日 )
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紀元二千六百年に迎へ奉る神武天皇祭 |
御東征の蹟を訪ねて 神武天皇聖蹟 |
南京に春再び来るの日 |
反共和平築く人々 新国民政府を築く人々 新国民政府の陣容 |
新支那の海の護り 水巡学校 |
なつかし九段の父 |
海辺に拾ふ春の貝 |
海外通信 |
天然痘は国の恥 皆で退治しませう |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)4月10日 )
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週報附録 新支那現勢図 |
支那新中央政府一覧 |
新国民政府成立す |
還都の日 歓喜の夜 |
議員さんの荒鷲姿 横須賀 立川 |
先生の飛行機作りもお国のため |
お馬と共に育つ山の子 |
青天に白日の身へ 南京の俘虜釈放 |
サイタサイタサクラガサイタ |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)4月17日 )
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皇太子殿下ご入学遊ばさる |
南洋定期航空路に就く新巨艇 |
戦火北欧に波及 |
波騒ぐ北海 ドイツ水雷艦隊 |
広東の慶祝 |
阿部大将の壮行国民大会 |
大豆稈からパルプ |
ゆがんだ心を日の丸に 千葉県船橋技術工員訓練所 |
ウミネコは春に育つ |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)4月24日 )
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阿部大使晴れの壮途につく |
新支那は春の翼にのって |
北海の死闘 イギリス・ドイツ |
警備艇「江平」 |
新東亜二百二十億の貯蓄から |
伝統を輸出に活かす関の鍛冶 |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)5月1日 )
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蘭印素描 |
五月十三日ヨリ同月廿五日マデ支那事変報国債券一枚五円十円売出し |
北支だより |
英霊九段に神鎮まる |
興亜のあかちゃんはまるまると |
銃後は明るく健康に |
海外通信 |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)5月8日 )
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還都慶祝典礼 南京 |
日独学徒大会 山梨河口湖畔 |
二宮さんも代用品 |
荒地に咲いたチューリップ 東京荒川放水路の足立花園 |
なほも皇軍は進む |
お晩でございます わし等も寄せて頂きます 東京府下浅川町の荒井部落常会 |
さあサお入り赤ちゃん風呂 |
海外通信 独ソ石油ルート |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)5月15日 )
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戦機熟す漢水の野 |
大陸の動脈に走る日支の力 |
精神分裂病家系の一例 |
海外通信 |
母と子は五月晴れ |
集印帖も国策で行き先き貯金 |
今日この頃の主婦の日記帖 |
お魚も厚生運動 |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)5月22日 )
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鎮座祭近き東郷神社 |
侍従武官南の海に御差遣 |
太平洋の黒潮に |
浙江の水路遍し軍艦旗 |
海軍兵学校 |
海外通信 欧州大戦本格化す |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)5月29日 )
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新国民政府答礼使節入京 |
水中に闘ふ |
海軍潜水学校 |
マッチも砂糖ももう安心 六大都市に切符制 |
包(パオ)のお家から来た蒙古の女学生 |
うちの赤ちゃん日本一 |
思想戦を闘ふ爆撃機 ドイツ宣伝映画から |
愛路列車が来たぞ! |
うすぎぬの訪問着 花を訪ふ蟲のかずゝ |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)6月5日 )
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日本海大勝のこの佳き日 |
戦線早くも炎熱百度 |
近視はかうして防ぎませう |
杭州にも初夏が訪れた |
大陸建設に日支協力の科学陣 |
海外通信 危機迫るイギリス |
僕たちの見た海南島 |
霊山に鎮まる豊太閤 |
( 昭和15年(1940年)6月12日 )
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積乱雲を衝いて重慶へ |
満洲から石油が出た |
爆発した欧州の戦場 独軍マヂノ線突破 |
薯米御飯はいかが 茨城県下妻高等女学校の節米運動 |
新中国海軍に更生新鋭艦 |
日支の若き血は躍る 北京 |
岩手山麓に嘶く若駒 |
土俵の意気で御奉公 |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)6月19日 )
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重慶の咽喉“宜昌”陥落 |
イタリア遂に参戦 独軍破竹の進撃 |
興亜貯蓄双六 |
東亜競技大会 謳歌す東亜の青春 |
外貨獲得に可憐な花びら |
北満の秘境を探る |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)6月26日 )
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満洲国皇帝陛下御来訪 |
躍進する新京 |
満洲の守りはわれらの肩に 満洲国軍育つ |
仏印援蒋ルートを衝く |
飼料も自給自足 サイロを作りませう |
働く歓びをリズムに乗せて |
米はわしらがひきうけた 新潟県下の共同田植 |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)7月3日 )
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建設の戦ひは進む |
あれから三年 かつての戦場に立つ |
南京へ来て三年の男 |
三年目に上海に来た男 |
慰問袋を送りませう |
わたしたちは襷がけ |
大陸も繭景気 復興した中支蚕糸業 |
欧州大戦と支那事変 |
アルヘンチーナ号を迎へて |
( 昭和15年(1940年)7月10日 )
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満洲国皇帝陛下来訪 |
海外通信 ドイツに勝利の凱歌 |
「一日戦死」の結晶 武勲讃ふ忠霊塔 |
チマを脱いで 忠清南道農村女子講習所 |
お米の供出 |
健やかなあすの母 職業婦人の夏の鍛錬 |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)7月17日 )
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遺児を抱いて教壇に起つ |
東北から南の田植を手伝ひに |
夏の科学 極地の氷 |
学校の箆麻作り |
野に祈り畑に誓ふ 支那事変三周年の日 |
強く育てよみくにの為に |
満洲に渡る娘達 |
海外通信 |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)7月24日 )
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仏印監視員 随行第一報 |
仏印着陸第一歩 内山林之助手記 |
ハノイ風物詩 |
国民体操をラヂオを乗せて |
新体制への首途 |
この夏この腕この心 |
心を練る女生徒 |
渚のお魚調べ 夏の科学 |
おそばの海苔巻 だんごの握り |
( 昭和15年(1940年)7月31日 )
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海軍部隊鎮海に奇襲上陸 |
第二次近衛内閣成立す |
仏印監視員随行第二報 老開の鉄路は外された |
諒山の輸送路は断たれた |
赤誠は翼となって 北支在留半島同胞の献納機 |
正しい歩行に近づく健康 |
東京のデパートに留学した小姐さん |
傷痍の身にもこのたくみ |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)8月7日 )
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砲を背負つて乗鞍を越す 松本聯隊のアルプス強行軍 |
難中の難事 敵前上陸 |
すは焼夷弾 円タク変じて応急ポンプ |
食ふか食はれるか水中の生存競争 |
湖上の制覇 |
裸か蟲を実験台に |
断ち切られた南方の援蒋ルート 英支国境に日章旗 |
今は淋し雲南ビルマルート |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)8月10日 )
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南方の共栄圏 蘭領印度 |
スマトラ |
ボルネオ |
邦人の開拓者 |
海外通信 パリのドイツ兵 |
第三回日本草刈選手権大会 |
町内挙つてお薯の御飯 |
西も東も八・一の日から |
葦原の浪速潟も時局色 |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)8月21日 )
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海軍機相次ぐ重慶空襲 |
南の潮風和やかに 舟山列島物語 塩の産出 |
御存知ですか、稲の花 |
紀元二千六百年奉祝式典式場起工式 |
海のますらを沫をあげて 第十一回明治神宮国民体育大会 |
第三回日本草刈選手権大会 |
新ヨーロッパの表情 敗戦後のパリ・ブラッセル |
海外通信 |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)8月28日 )
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重工業朝鮮は躍進の一途へ 日韓併合三十年 |
北鮮の国境はゆるぎなく |
朝鮮の志願兵はますゝ健やかに |
少年少女の交通整理団 |
大学生の海鷲入門 琵琶湖の予備航空団 |
カンガルーと羊の大陸オーストラリア |
大の男が馬に乗れなきや |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)9月4日 )
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政府米の供出に恩賜の郷倉を開く 福島県 |
一本の縄と健康美 |
赤ちゃんのお食事工夫講習会 |
新民会会長推戴式 |
蘭印へ使する小林商工大臣 |
ぜいたく夫婦よさようなら |
表忠塔を築く勤労隊 |
北支の石炭 |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)9月11日 )
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日支現地交渉終る |
甦へる心 |
兵隊さんに兎を育てて捧げませう |
霊場五台山の賑ひ |
紀元二千六百年奉祝 浦安の舞 |
結婚新体制 都市での例 |
使つて育てよ代用品 九月十日から代用品愛用強調運動 |
一県総出の奉公日 千葉県 |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)9月18日 )
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北白川宮永久王殿下 御戦死遊ばさる |
偲び奉る北白川宮永久王殿下 |
国防国家の建設へ 国勢調査も一役 十月一日 |
申告書の行方 |
事変四年目の厳寒に兎の皮総動員 |
満洲建国の礎は固し |
結婚新体制 農村での例 結婚改善村岡山県栗広村 |
時局の子供たち 茨城県 富山県 |
海外通信 必死に守るイギリス |
( 昭和15年(1940年)9月25日 )
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四百余州を鵬翼に包んで 陸軍新鋭軽爆機 |
重慶連続爆撃行 |
飛ばぬ翼の人々 |
海鷲の手術室 |
空の蜜蜂 |
航空日本第一頁の人 徳川中将 |
日本の翼は限りなく |
航空日 九月二十八日 空だ男のゆくところ |
秋空に爆撃の妙技 海軍献納機の命名式 |
( 昭和15年(1940年)10月2日 )
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既に仏印に日本人の墓あり |
ロンドン爆撃 |
日本の都市が空爆されたら |
隣組製防空壕 東京中野 |
お茶がら捨てるな 軍馬のために |
電信が開通して七十年電話がひけて五十年 |
作業服の富岡先生 勤労者演劇運動 |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)10月9日 )
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外交の新しきかど出 |
欺瞞と矛盾の世界旧秩序 |
ドイツの足跡 |
イタリアの足音 |
新体制 一億民に役がつき |
銃後奉公強化運動 十月七日〜十一日 光の庭 |
大陸の学生報告隊 北支 |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)10月16日 )
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天皇陛下、東京帝国大学に行幸 |
学生生活もこのやうに |
紀元二千六百年奉祝美術展 |
仏印進駐のアドバルン 広東に上る |
英本土爆撃行 ドイツ荒鷲の記 |
常会は新体制の土台石 大分県 |
コドモとオモチャ |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)10月23日 )
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紀元二千六百年奉祝 特別観艦式 |
秋仏印の進駐譜 |
防空指令第十七号 ドイツ |
七・七モンペ隊 大阪市 |
大政翼賛の臣道実践に尽く |
新日本発足のどよめき 十月十三日の日本の姿 |
興亜の訓練 興亜少年少女隊の結成 |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)10月30日 )
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紀元二千六百年記念観兵式 |
何が故に墓穴を掘る 敵性香港・シンガポール |
慶祝紀元二千六百年 満洲国新京市 |
ベルリンを埋めた三つの旗 日独伊三国条約成立の日 |
隣組コドモ常会 |
照明の常識 ルックスとは? |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)11月6日 )
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代々木の森に神鎮まりまして二十年 |
紀元二千六百年の佳き日は近し |
互ひに助ける垣根越し 隣組の常会開きませう |
興亜の厚生大会 大阪市 |
紀元二千六百年を寿ぐ 第十一回 明治神宮国民体育大会 |
華北政務委員長 王揖唐さん |
訪独医学使節団は何をドイツに見たか |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)11月13日 )
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寿ぎまつる昭和楽 紀元二千六百年 |
爆煙に没す 援蒋ビルマルート |
日本の佳年を慶祝に ヒトラー・ユーゲント指導者来日 |
三選のルーズヴェルト大統領 |
第十一回 明治神宮国民体育大会 真摯敢闘の八日間 |
白髪もこの意気 宮城県白石町 町民体育大会 |
ふえもふえたり オットセイ保護条約廃棄 |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)11月20日 )
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悠久の歴史に輝かん 曠古の盛典赤誠の奔流 |
小さなお百姓はバスに乗って |
移動芝居 |
南洋神社鎮座祭 南洋群島パラオ・コロール島 |
豊穣の実りにさゝぐ 十一月二十三日新穀感謝祭 |
ひと粒の米 |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)11月27日 )
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正倉院の御物拝観 |
土にふるふ休日工員鉄腕隊 |
海外通信 ベルリンの戦時冬支度 |
産業報国会講習会 |
飛行機で作る地図 |
祝ひの日 紀元二千六百年奉祝全国日和り |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)11月30日 )
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橿原の地に建国の礎 定め給うて こゝに 悠久二千六百年の寿を迎へ奉る |
紀元節祭 昭和十五年二月十一日 |
各種の記念事業はすゝめられた 橿原神宮境域拡張並びに畝傍山東北陵参道の拡張工事 |
天皇陛下 関西行幸 昭和十五年六月 |
満州国皇帝陛下 御来訪 昭和十五年六月 |
特別観艦式 昭和十五年十月 |
記念観兵式 昭和十五年十月 |
式殿造営成る |
紀元二千六百年式典 昭和十五年十一月十日 |
祝い奉る赤誠は津々のはてまで |
若人はこの喜びを腕に脚に |
第十一回明治神宮国民体育大会 |
東亜競技大会 東京大会 |
奉祝美術展 昭和十五年秋 |
芸能の華 美しく |
全日本軍用保護馬継走大騎乗 |
銃後奉祝祈誓大会 |
神武天皇聖蹟 |
( 昭和15年(1940年)12月4日 )
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橿原畝傍の神域完工 |
日独伊の新しい弟ハンガリー |
法隆寺壁画のお化粧 |
東京高等商船学校 六十五周年記念祭 |
西園寺公望公薨去 十一月二十四日 |
年末年始の贈答品が津波のやうに国策輸送を呑まうとしてゐます |
土の道場 農業増産報国推進隊 |
曠野に収穫の秋 満洲国 |
( 昭和15年(1940年)12月11日 )
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行幸を仰ぎ 帝国議会開設五十年記念式典を挙行 十一月二十九日 |
皇后陛下 東京女子高等師範学校に行啓 十二月三日 |
日華基本条約を締結 |
今は空し坐漁荘に老公をしのぶ |
故西園寺公を送る 十二月五日日比谷葬場で国葬執行 |
常夏の楽土 海南島の今日の晴姿 報道解禁さる |
独伊の傷兵に贈る 横浜 |
読者のカメラ |
( 昭和15年(1940年)12月18日 )
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戦闘はつゞいてゐる 山西・譲西掃蕩戦 |
国境に雪がきた 北鮮警備の暮 |
ルーマニアとスロヴァキア 日独伊枢軸に続いて加盟した人々 |
土に結ぶ 満洲開拓女塾合同結婚式 |
五線譜に寄す四つの奉祝楽曲 紀元二千六百年奉祝楽曲発表演奏会 |
パリの師走 |
太らせ仔豚 隣組 |
二千六百一年を迎へる心の御用意は |
読者のカメラ |
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