『写真週報』とは、内閣情報部(のち内閣情報局)により刊行された週刊のグラフ雑誌です。昭和13年(1938年)2月16日付の創刊号から、終刊となる昭和20年(1945年)7月11日付の374・375合併号までに全部で370冊発行されました(本センターではこのうち国立公文書館に所蔵されている創刊号から昭和19年(1944年)12月20日付の352号までの『写真週報』全351冊を画像資料として閲覧することができます)。
『写真週報』の販売価格は1部10銭で、全国の官報販売所、書店、駅売店等で購入を申し込むことができました(ちなみに、昭和15年(1940年)当時、そば1杯の値段が15銭です)。発行部数は、昭和16年(1941年)3月時点では約20万部を数え、当時グラフ誌で最も部数の多かった『アサヒグラフ』でも「数万部に過ぎない」とされる中で、「写真週報が断然東洋一なのは当然である」といわれていました(「情報局ノ組織ト機能 昭和16年5月」 レファレンスコード:A06031104700 34画像目)。その後も部数を伸ばし、昭和17年(1942年)4月時点では、30万余部が発行されていました(『写真週報』214号)。
昭和16年(1941年)7月におこなわれた読者調査によれば、読者の男女別比は男性約62%、女性約38%、同じく年齢別比は25歳までが65.6%、26歳から60歳までが30.3%、61歳以上が2.1%で、読者の多くは男性・青少年であったことが分ります。さらに上述の調査によれば、1冊の平均読者数は10.6人とされており、先の発行部数とあわせて考えると、『写真週報』はおよそ200万〜300万人の読者を得ていたことになります。(この読者調査は、『写真週報』193号に掲載されています)。
以上のように刊行当時非常に多くの人々によって読まれていたと考えられる『写真週報』は、創刊号に掲載された「創刊の言葉」によれば、「週報が国策のパンフレットなら写真週報は国策のグラフ」との性格を有していました。
なお、ここであげられている『週報』とは、内閣情報委員会(のち内閣情報部、内閣情報局)により、国政一般や各種法令の内容を国民および各官公庁に周知させるため官報の付属として編集された週刊の冊子です。当センターでは、昭和11年(1936年)10月14日付の第1号から昭和20年4月25日付の第443号までの432冊を画像資料として閲覧することができます。資料検索画面において『週報』を一覧される場合には、「階層検索」にて、「国立公文書館」→「その他」→「内閣情報局関係出版物」→「内閣情報局関係出版物」とたどり、ここで表示される簿冊一覧の中から、5番目の『週報』(レファレンスコード:A06031016200)をクリックして下さい。これにより、当センターで公開している『週報』が一覧表示されます。
この『週報』と区別される『写真週報』の独自の性格について、内閣情報局が作成していた保管取扱注意の資料では、より具体的に次のように述べられています。「週報が官報に次ぐ政府の発表機関的要素を多分に有するのに引き換へ、写真週報は多分に国民啓発的要素を持ち、且つ直接大衆に食ひ入らうとするものである点は、大きな相違点である。写真といふ大衆に親しみやすく、また感情を引きつけやすい宣伝媒体を武器に、文字と相まつて国策をわかりやすく理解させ、時局意識を植えつけることに主眼を置いている」(「情報局ノ組織ト機能 昭和16年5月」 レファレンスコード:A06031104700 34画像目)
現在私たちが『写真週報』に接する際には、この雑誌が以上のように当時の政府の広報宣伝政策の一環として刊行されていたことを理解しておくことが必要でしょう。この点についてもう少し理解を深めるために、以下のページでは、『写真週報』の発行などの広報宣伝政策を担った政府機関の変遷について、アジア歴史資料センターが提供している公文書をもとに紹介していきます。
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