アジ歴ニューズレター第30号

2019年12月19日 発行

特別企画インタビュー

特別企画インタビュー
アジ歴ニューズレター第30号特別企画インタビュー
アニメーション映画『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』
片渕須直監督に聞く
「歴史を知らないと、個人は描けない」
片渕監督

 アジア歴史資料センターで公開している資料は、歴史研究だけではなく、映像作品やテレビ番組の制作における時代考証など、様々な分野で活用されています。そこで、アジ歴ニューズレター第30号の特別企画として、映画監督であり、航空史研究者でもある片渕須直氏に、自身の作品や研究と、アジ歴資料とのかかわりについてお話をうかがいました。

プロフィール
片渕須直(かたぶち・すなお)

 1960年大阪府枚方市生れ。日本大学芸術学部映画学科卒。アニメーション映画監督。監督デビュー作は『名犬ラッシー』(「世界名作劇場」)。その他の主な監督作品に『BLACK LAGOON』、劇場公開作品に『アリーテ姫』『マイマイ新子と千年の魔法』『この世界の片隅に』。『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』が2019年12月20日公開予定。航空ジャーナリスト協会会員。


 ―片渕監督は最初、航空史研究のためにアジ歴を利用されていたとのことですが、アジ歴を利用するようになった時期と、きっかけを教えていただけますか?

 2001年のアジ歴開設当初から使っています。色々なものの「色」に興味があって、当時、「零戦」の機体の色を調べていたのですが、何色だったのか分からなくて。それに、何種類かあったらしいという噂があったんです。三菱製と中島製で違うとか、航空母艦と陸上滑走路で使われているのでも違うとか、色々な事が言われていたんです。だから僕は、「零戦」の製造番号を全部調べて、それと実際に残っている機体の残骸を照らし合わせて、三菱製の何号機の色がこうで、中島製の何号機がこうだったとか、照らし合わせようと考えたんです。そのために、まずは製造番号を調べなければならなかった。そこで、航空史研究者の友人が防衛研究所の戦史研究センター史料室に通って資料を調べていたので、僕の方はアジ歴で調べるようになりました。アジ歴資料の中に、『引渡目録』というのがあって、「零戦」の製造番号が書いてあったんです。
 例えば、呉市にある大和ミュージアムに、「零戦」が1機展示されていますよね。そのパネルに「六二型だと判明しました」と書いてあるんですけれど、実はそれを判明させたのは僕なんです。『引渡目録』に並んでいるすべての製造番号を拾ってリスト化していき、その機体の番号と照合していたところ、六二型なのは間違いないと分かったんです。そこで、あの機体は六二型ですよ、という話をしていたのが向こうに伝わったようです。最近は大和ミュージアムの方々ともお知り合いになったので、それを判明させたのは僕ですからねって、言っているんですけどね(笑)。そんな感じで、本当は飛行機の塗料のことを調べたかったわけです。


 ―どのような方法で資料を検索していますか?

 自宅や仕事場でパソコンを使って、基本的にはキーワードで検索をしています。あるいは、資料の階層から入って検索する手もありますよね。階層検索は、どこの階層にどんな資料が入っているのか、一遍理解しなくてはならないので、コツがいります。ただ、中に何が入っているかを理解してしまえば、「あ、ここに入っているはず」と見当がついてくる。


 ―片渕監督が主に使われている防衛研究所の資料だと、カード目録をもとに階層を作っていますから、そうした予備知識があった方が分かりやすいかもしれませんね。キーワード検索の使い勝手はいかがですか?

 キーワード検索については、アジ歴で検索をすると、資料の冒頭300字にあるワードを拾うじゃないですか。だから後ろの方まで拾えないのかなと思っています。ただ、全部のワードを拾わないからこそ、キーワード検索でひっかかったら、周りの資料まで丸ごと読むという癖はつきました。キーワード検索をして結果が出ると、その一件だけに注目してしまいがちですが、それが一体どういう資料の中に入っているのか、その前後にある資料とどういう関係にあるのか、というところまで読み取ることができるようになりました。その一件だけではなくて、全体像として把握する癖がついて、それはそれでありがたかったような気がします。もちろん、もっと自由な検索が可能になれば、ありがたくはあるんですけどね。
 だから、検索のキーワードをどう設定するか、それが重要だと思います。例えば「塗料」なのか「塗り具」なのか、「塗粧」なのか「塗装」なのか。色々な表記があったので、一つずつ検索していきました。


※アジ歴の目録情報は、原文にある表記をそのまま採録しているため、同義語や表記ゆれなどが膨大にあります。そのためアジ歴では、それらのデータを整理し、検索システムの中で「辞書・表記ゆれを指定して検索」ができるよう整備を進めています。


 ―さて、戦時下の呉を舞台にしたアニメーション映画『この世界の片隅に』(漫画原作:こうの史代)が3年前に公開されました。2019年12月20日には、新作『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』が公開されます。この2つの映画の制作に、アジ歴資料はどのように使われたのでしょうか?

 航空史研究の方でアジ歴を使うようになって、資料がどこにあって、どう調べればいいのかが分かるようになりました。そしてこの方法を応用すれば、この映画を作れると思いました。例えば、アジ歴資料の『戦時日誌』を使えば、何年何月に呉の港や街がどんな天気だったのかが分かるんです。当時の市民生活を実感あるものとして描くためには、大事なことでした。一般の人々の頭の上にあった空の様子が、海軍の資料から読み取れるわけです。

 呉海軍警備隊(以下、「呉警」)や呉鎮守府(以下、「呉鎮」)、呉潜水戦隊、それぞれの『戦時日誌』を照らし合わせました。そうすると、拾っている時間帯がそれぞれ違うんです。場所もちょっと違う、天気の変わり方も違う、同じ港でも向こう側とこっち側でこんなに違うとか。そうやって照らし合わせていくと、1日の天気の流れや気温の変化が分かるんです。それで、映画の主人公のすずさんが生活している毎日も、これくらいの天気だったんだな、昭和19年と20年では、同じ月でもこれくらい気温の差があったんだなとかが、分かるようになる。
 例えば、気温が15度を超えないと、モンシロチョウは飛ばないんです。15度を超えるとツクシも出てくる。昭和20年3月19日、呉で最初に空襲があった日に、僕たちは最初モンシロチョウとツクシを描いていたんです。でも、昭和20年の『戦時日誌』(【画像1】参照)を見ると、その日はそんなに気温が上がってなくて、モンシロチョウは飛ばせられないことになった。だから、2015年に作った『この世界の片隅に』のパイロットフィルムには、同じ場面でモンシロチョウとツクシを描いていたんですけど、別のものに替えたんです。そうしたことまで、『戦時日誌』から割り出せるのがすごく面白い。
 他にも、呉の工廠に勤めていた中学生の日記を読んでみたら、お花がいつ咲いていたとかが分かるわけです。そういう資料と、『戦時日誌』に書いてある気温などと照らし合わせて、四季や天気を読み取ったりしました。桜の開花時期だとか、いつから散り始めたのだとか。また、昭和20年2月は全国的に雪が多くて、それなのに駆逐艦「雪風」では洗濯をやっている(【画像2】参照。洗濯をした昭和20年2月13日は、複数の記録を照らし合わせると、正午でも気温が3.7度しかなかった)。寒いのに洗濯をやっていて、しかも前甲板、艦首に干すんですよね。どういう風景だったんだろう、バリバリに凍ったりしないのかなとか。そういうことを読み取るのは面白かったです。それと、呉軍港のことを調べるときは、『呉鎮守府例規』 なども使いましたね。

【画像1】件名「昭和20年3月1日~昭和20年3月31日 第132号海防艦戦時日誌戦闘詳報」(Ref.C08030594900、6画像目)
【画像2】件名「昭和19年11月1日~昭和20年5月31日 第17駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(7)」(Ref.C08030147600、52画像目)

 とくに大変だったのが、港への船の出入りです。『この世界の片隅に』の原作のエピソードには、昭和19年の4月に戦艦「大和」が入港する場面があるんですね。そのとき、入出港の記録が全部あるだろうと思ったんです。でも、全然存在していなくて。原作者のこうの史代さんは、入船山記念館の当時の研究員の方に聞いたのだとか。そんなふうにまとまったものがない話だったんです。でも、どの日にどの軍艦がどの場所にいたのか、「大和」やその他の軍艦が港に浮かんでいる様子を描かなくてはいけないから、入出港の記録を、関係する全艦船の分、全部調べる必要があった。そこでも、『戦時日誌』などをかなり活用しました。
 あとは、昭和20年6月22日、空襲が、すずさんらに襲い掛かります。このとき、空襲中から消防車が出動準備を始めていて、警報解除と同時に消防車が飛び出します。これが実は、『戦闘詳報』 (Ref. C08030475600、16画像目)に書いてあるんです。すごく生々しくて、きちんと読み方が分かると、ドキュメンタリーを読んでいる感じで見ることができるんです。
 また、アジ歴にはない資料も使いました。米軍の記録の他、軍艦の乗組員が残した大量の手記です。手記については、友人にコレクターがいたものですから。例えば、昭和20年8月15日、終戦の日の夜に、呉の後ろの方にある灰ヶ峰で、灯火管制が行われていたのが、最初の明かりがぽつんと灯ったというのを、駆逐艦「椎」の乗組員の方が手記に書いている。もう一つは、呉鎮のどなたかが、やはり最初に灰ヶ峰に灯って、ぽつぽつぽつと増えていったと書いているんです。そういう資料も照らし合わせてみました。灰ヶ峰の中腹というと、すずさんが住む家の方だよな、と思ったんです。すずさんの家はこうのさんのおばあ様の家がモデルだったので、こうのさんに聞いたら、「それ、うちの方ですね」って。それなら映画にも、終戦の日に灯火管制から灯りが復活してくるエピソードを加えてもいいですよね、って話になりました。


 ―新作『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』では、『この世界の片隅に』に新しいエピソードが追加されています。新作の中で、アジ歴資料が活用された具体的なシーンがありましたら、ぜひ教えてください。

 新作では、夜間戦闘機「月光」が飛んでいるシーンが追加されます。それは呉警の『戦時日誌』(Ref. C08030474800、8画像目)で分かったことですが、昭和19年10月7、9、11 日に、岩国三三二航空隊の夜間戦闘機を飛ばして、照射実験を行う、と書いてあったので、それをそのまま画面にしてしまいました。マリアナを失陥して、本土空襲への危機感が高まっていた時期のことですが、これもまた一般市民たちの頭の上で行われている。
 あと、呉の隣にある広の第十一海軍航空廠(以下、「十一空廠」)では、すずさんがお嫁にいった先のお義父さん、円太郎さんという人が、その発動機部で働いているんです。そもそも十一空廠の一般配置は、アジ歴資料を使いました(【画像3】参照)。『引渡目録』の中にありました。そこには、どこに防空壕があったなどということが、みんな書いてあったので、向こうに行けば壕があるから、空襲のときはみんなそっちに向けて逃げてればいいんだなとか、そういうのを調べていきました。

【画像3】件名「第11航空廠 4/4(1)」(Ref.C08011019700、20~23画像目)

 お義父さんがいる発動機部では、エンジン「誉(ほまれ)」の試運転をやっていたという設定にしたので、試運転中の「誉」も描きました。試運転をしてデトネーションをおこす「誉」を描いているんです。最初は、青い火を排気管から出したのが、ぱーっと赤い火に変わって、黒煙に変わって、ぶすぶすぶすってなってしまうシーンを描いているところなんです。十一空廠の一般配置には、発動機部の防音運転試験場の位置が載っていたので、すごく助かりました。他の写真と照らし合わせることで、防音運転試験場のすぐ前には、二式大艇の輸送機型の「晴空」がとまっていたとか、そういうこともわかりました。「晴空」の尾翼の番号まで分かってきて。色んな資料を組み合わせることはすごく大事で、アジ歴の資料はそうした場合の基礎資料として活用させていただきました。
 ところで、本当に面白かったのが、戦艦「大和」が入港するときに掲揚する旗のことです(【画像4】参照)。呉軍港には入港旗というのがあるんです。国際信号旗のA旗の、青いところが赤になっている旗なんです。最近、模型会社の方から、入港するときの信号旗を、アニメーションで描いたのと同じ物を模型でつけてくださるという話をいただきました。「この旗は何ですか、これは国際信号旗にないですよね」と先方に聞かれたので、「アジ歴見てください」って言ったりもしましたね。

【画像4】件名「第7類運輸_通信_気象第2款通信」(『昭和12年6月1日改版 呉鎮守府例規 巻1』所収)、(Ref.C12070610600、1画像目)
【画像4】件名「第7類運輸_通信_気象第2款通信」(『昭和12年6月1日改版 呉鎮守府例規 巻1』所収)、(Ref.C12070610600、2画像目)
 ―最後に、片渕監督のアニメーション制作において、アジ歴で公開しているような歴史資料は、どのような存在ですか?

 自分たちがやっていることって、歴史そのものにアクセスするのがものすごく大事だなって思うんです。その中にいる人間を描くときに、アニメーション作りの立場からすると、歴史をきちんと見てないと描けない。とくに『この世界の片隅に』という、こうの史代さんの漫画の原作は、やはり歴史をすごく調べて描かれているんですけど、あえて、調べたことの全ては漫画の表面に出さない方針が採られている。そこから先は自分で読み取り、調べて、物語の辺りにあった出来事はどういうものだったのかを調べないと、見えてこないものがたくさんあるんですね。そうした受け手側の能動性が望まれている物語なんです。そこでは、映画を作る自分たちも、まず一読者でした。この物語では、歴史への視点はとても大事です。歴史を調べれば調べるほど、そこの中にいる人間がその一点だけの存在ではなくなって、周りの出来事と深く関係しているわけですね。すずさんがお嫁に行った家庭は、ワシントンやロンドンの軍縮条約と直接関係しながら存在しています。海軍工廠の工員だったのを一回クビになって、また再雇用されてとか、家族の歴史と、もっと大きな歴史が直接かかわりあっていたりするんです。そういう意味で、歴史を知っていて初めて描ける個人というものがあるのだな、というふうに思っています。すずさんという主人公から始まって、さらに物語の外側に、実際の当時の世界にまで視点を広げてゆくこともできます。『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』の「いくつもの」は、当時存在していた世界中の全員のことなのかもしれません。


2019年11月25日 東京テアトルビル会議室

聞き手:中野 良(アジア歴史資料センター研究員)
大川史織(アジア歴史資料センター調査員)
編集:松浦晶子(アジア歴史資料センター研究員)