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地域 |
中国
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都市名 |
上海
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解説 |
支那方面艦隊は1937年10月20日、中国方面における権益維持・日本人居留民の保護を行っていた第三艦隊と新編の第四艦隊をもって編成され、同艦隊司令部が中国方面海軍作戦を統一指揮した。翌1938年2月、華南方面作戦担当の第五艦隊新編。1939年11月、支那方面艦隊麾下部隊の全面改編が行われ、第三艦隊(華中)→第一遣支艦隊、第四艦隊(華北)→第三遣支艦隊、第五艦隊(華南)→第二遣支艦隊、その他附属部隊(上海方面根拠地隊、第二連合航空隊、上海特別陸戦隊等)に再編、上海方面・青島方面・広東方面・厦門方面・漢口方面特別根拠地隊を設置。泰仏印方面威力顕示作戦、南部仏印進駐作戦、南支沿岸封鎖作戦、奥地攻撃航空作戦等を実施。太平洋戦争開戦時の香港攻略作戦実施後は兵員・艦艇・飛行機を太平洋の主戦場に送り出すため兵力縮小。広東方面特別根拠地隊が香港方面特別根拠地隊に、厦門方面特別根拠地隊が厦門警備隊に改編され、第三・第一遣支艦隊が廃止されて青島方面・揚子江方面特別根拠地隊となり、第二遣支艦隊の海上主兵力であった第十五戦隊が解隊されて支那方面艦隊隷下の軍艦・艦艇は第二南遣艦隊・第三南遣艦隊・連合艦隊の指揮下に編入された。1944年までに対米(英)戦面に転用可能な艦艇は抽出され、縮小された兵力で中国大陸打通作戦に協力、海上交通保護にあたり、米軍の進攻に備えた。
9月2日、日本政府および大本営代表が降伏文書に調印。連合国最高司令官一般命令第一号により中国戦区の陸海軍は蒋介石総統に、香港所在部隊はイギリス軍に降伏するよう指示された。9月9日、中国軍総司令官何應欽に対し、支那派遣軍総司令官岡村寧次大将が中国・北部仏印・台湾の日本軍を代表して降伏文書に調印、海軍からも支那方面艦隊司令長官福田良三中将が列席。翌日10日より支那方面艦隊司令部は中国戦区日本海軍総連絡部と改称して中国方面艦隊の終戦処理を行うこととなり、各地の海軍部隊司令部も同日付で「(地名)日本海軍連絡部」と改称、総司令部の指揮を受け当該地域の海軍部隊の終戦処理に関する事務を管掌することとなった。9月13日に中国海軍総司令部が上海に到着して接収を開始。北支(青島・北京・天津)、南京、漢口、九江、安慶、舟山島地区、厦門、広東の所在海軍は逐次中国海軍に、海南島は中国陸軍に、香港・九龍地区は英国軍に接収され、航空隊関係は中国空軍に接収された。武装解除後、日本軍は各地区陸軍接収主管の指定する地区に集中。1945年10月以降塘沽・青島に還送船配船あり、北支方面は12月末に大部分還送完了。12月以降は上海方面に重点的に配船され、上海周辺の軍民は1946年4月中旬までに大部分の還送完了、その後は揚子江上流より上海に集結した者を逐次還送。厦門は2月上旬、海南島は4月上旬に海軍部隊の大部分の還送完了。香港・海軍部隊の還送も進み、5月中旬漢口および舟山島より上海に集結帰還した者をもって総連絡部以外全員の将兵の還送を完了した。7月4日、中国戦区総連絡部解消、内地へ帰還。
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参考資料 |
『戦史叢書 中国方面海軍作戦<2> 昭和13年4月以降』4~7、127~130、320、335~359、380~381、398~399、405、409~468~471頁。
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