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解説 |
第二遣支艦隊は、1939年11月の支那派遣軍総司令部の創設に伴う支那方面艦隊の改編によって、華南担当の第五艦隊をもって創設された。創設時の編成は海上主兵力の第十五戦隊(鳥海、第五駆逐隊、第二一駆逐隊)、第三連合航空隊、海南島根拠地隊、広東方面・厦門方面特別根拠地隊、第十二掃海隊、千代田、嵯峨、第七・八号掃海艇。1941年秋までに泰仏印方面威力顕示作戦、南部仏印進駐作戦、華南沿岸封鎖作戦を実施、海南島根拠地隊は海南島警備府に昇格して支那方面艦隊直轄となった。太平洋戦争開戦時は香港攻略作戦部隊の主力となり、広東方面特別根拠地隊を香港特別根拠地隊とする。その後太平洋方面に兵力を供出するようになり、1942年4月15日に海上主兵力の第十五戦隊解隊、旗艦五十鈴が第二南遣艦隊に編入。1943年2月、広州湾進駐。1943年の編成は嵯峨、橋立、鵯、鵲だが、1943年4月に鵯が第四艦隊に、6月に鵲が第二南遣艦隊に編入された。1944年、陸軍の「ト」号作戦に協力して西江の水路啓開にあたり、浙東作戦(節号作戦)では福州占領・厦門増強作戦のため、陸軍部隊の海上輸送に協力した。1944年末から米軍の進攻に備えるも、沖縄戦開始とともに米軍の華南進攻の可能性は低まった。終戦時の司令長官は藤田類太郎中将。1945年9月9日、支那方面艦隊降伏。厦門地区は中国海軍少将劉徳浦により10月3日接収完了、厦門大学地区に集結、1946年2月8日引揚完了。香港地区はイギリス管理下に九龍の俘虜収容所に収容され、1946年11月12日に引揚完了。広東地区は中国海軍少将劉永浩により接収完了、1946年5月5日に引揚完了。
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参考資料 |
『戦史叢書 中国方面海軍作戦<2> 昭和13年4月以降』128~129、320、357~358、381~382、383、389、407、409、414~417、449、463、469~475頁。『日本海軍編制事典』芙蓉書房事典、2003年、489頁。
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