勲章ものがたり ~戦前の勲章さまざま~
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勲章の意味
国家や公共に対する功績や業績をたたえるために、国が個人や団体に対して与えるもののことを「栄典」と言います。その代表的なものが勲章です。毎年春と秋の2回、勲章を受けることになった人々が新聞などで発表されているのを見たことがあるのではないでしょうか。
現在の勲章の制度は、昭和22年(1947年)に日本国憲法によって定められましたが、それ以前の制度は内容が異なっていました。特に、日本国憲法第14条3項に「栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴わない」と記され、金品の支給や勲章の世襲―親から子へと引き継ぐこと―を一切行わないことが決められているのに対して、戦前の制度では、勲章を受けた人は終身年金―生涯支給され続ける年金―を受け取ることができるようになっていました。つまり、勲章を受けることは単に名誉であっただけでなく、経済的な意味での利点もあったわけです。
このように、今とは位置付けの異なる戦前の勲章について、特に視覚的にわかりやすいものを中心に、アジ歴の資料でたどってみましょう。
「勲章ものがたり」
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『写真週報』―昭和13年(1938年)2月16日(創刊号)から昭和20年(1945年)7月11日(374・375合併号)まで内閣情報部(のち内閣情報局)により刊行されていた週刊のグラフ雑誌です―の16号(昭和13年6月1日号)には、「勲章ものがたり」と題された特集が掲載されています。
その最初の見開き (1) の上段では、外国の勲章についての紹介があり、続いて下段の中ごろから、日本の勲章の解説が始まります。これによれば、明治8年(1875年)に旭日章(きょくじつしょう)が、同9年には菊花大綬章(きっかだいじゅしょう)が制定され、明治21年には、これに大勲位菊花章頸飾(だいくんいきっかしょうけいしょく)、勲一等旭日桐花大綬章(くんいっとうきょくじつとうかだいじゅしょう)、瑞宝章(ずいほうしょう)、宝冠章(ほうかんしょう)が、翌22年(1889年)に金鵄勲章(きんしくんしょう)が加えられ、日本の勲章制度は確立したということです。また、昭和12年(1937年)にはさらに文化勲章(ぶんかくんしょう)が創設されています。こうした紹介のあと、「一つ一つ丹念につくり上げられたわが国の勲章は、単に、手工業的美術品としても、その精巧と崇厳さに於いて世界に誇るべきもので…」という一文があります。そして、この続きの (2) では、職人さん達が勲章をひとつひとつ手で製作している様子が詳しく紹介されています。
勲章さまざま
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(3) は特集の最後の見開きで、当時の日本の様々な勲章の写真が並んでいます。中央に、大勲位菊花章頚飾、文化勲章が縦に並び、これを挟んで左右に勲一等旭日桐花大綬章、大勲位菊花大綬章が配置されています。これらを中心に、見開きの右上には金鵄勲章の功一級から功七級、右下には瑞宝章の勲一等から勲八等、左上には宝冠章の勲一等から勲八等、左下には勲一等旭日大綬章(くんいっとう・きょくじつだいじゅしょう)、勲二等旭日重光章(くんにとう・きょくじつじゅうこうしょう)、勲三等旭日中綬章(くんさんとう・きょくじつちゅうじゅしょう)、勲四等旭日小綬章(くんよんとう・きょくじつしょうじゅしょう)、勲五等双光旭日章(くんごとう・そうこうきょくじつしょう)、勲六等単光旭日章(くんろくとう・たんこうきょくじつしょう)、勲七等青色桐葉章(くんななとう・せいしょくとうようしょう)、勲八等白色桐葉章(くんはっとう・はくしょくとうようしょう)が並んでいます。
戦前の勲章制度
さて、「勲章ものがたり」の記事に書かれていたように、すべての勲章は、明治期に制度として取り組まれたものです。当時の勲章の種類・等級については、国家や公共に対して優れた働きをした人々に対しては、
- 旭日章(8等級)
- 勲一等旭日大綬章~勲八等白色桐葉章
- 瑞宝章(8等級)
- 勲一等~勲八等
- 桐花章(1種類)
- 桐花大綬章
- 大勲位菊花章(2種類)
- 大勲位菊花章頚飾
- 大勲位菊花大綬章
- 宝冠章(8等級)
- 勲一等~勲八等
- 文化勲章(1等級)
- 金鵄勲章(7等級)
- 功一級~功七級
勲章のデザイン
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(4)は、「明治十年十二月第九十七号達制定 大勲位菊花大綬章大勲位菊花章図式」という文書の一部で、『写真週報』の記事にも写真があげられていた大勲位菊花大綬章と大勲位菊花章の形式についての規定が書かれています。この表にある「章」とは、勲章の主となる金属部分のこと、「鈕」とは、「章」と「綬」との間にある飾りのボタンのこと、「環」とは、「綬」と「章」とをつなぐ輪のこと、「綬」とは、「章」を下げる紐(リボン)のことです。
大勲位菊花大綬章については、「章」は「金日章二寸五分」。つまり、日章(日の丸)をかたどったもので直径が約7.6センチメートル。下に細かく書かれている内容を見ると、日の丸部分が赤色、ここから放射状に広がる光線が白色、菊の花が黄色、菊の葉が緑色となっています。「鈕」は「金菊花」。つまり菊をかたどったもの。これは色が黄色となっています。「環」が「金円形」つまり円をかたどったもの、「綬」が「幅三寸八分 紅紫織」つまり幅が約11.5センチメートルの紅色と紫色の2色(紫・紅・紫という配色)の織物となっています。以上のような言葉による説明に続いて、この文書には図説が加えられています。(5) は表面、(6) は裏面です。こうした図によって、言葉で示されていたものが実際にどのようなデザインになるのかがよくわかります。
この他にも、金鵄勲章の功一級から功七級までのデザインについては、(7)、(8)、(9)、(10)、(11) の「御署名原本・明治二十三年・勅令第十一号・金鵄勲章ノ等級製式及佩用式」の一部で、文化勲章のデザインについては、(12)、(13) の「御署名原本・昭和十二年・勅令第九号・文化勲章令」の一部で、それぞれ見ることができます。