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外務省アメリカ局(がいむしょう あめりかきょく)
外務省の部局の1つで、「亜米利加局」と表記されていました。昭和9年(1934年)6月に設置され、南北アメリカ大陸にある国々に関する外交事務を担当しました。昭和17年(1942年)11月に廃止されました。 |
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関東軍(かんとうぐん)
大正8年(1919年)に関東州(現在の遼寧省遼東半島南部)で編成された日本陸軍の部隊です。昭和6年(1931年)9月に奉天(現在の瀋陽)の柳条湖付近で南満州鉄道を爆破し、これを中国軍によるものとして攻撃を始め、満州を占領しました(満州事変)。昭和16年(1941年)6月にドイツがソ連に侵攻すると、「関特演」といわれるソ連への攻撃準備を行ないますが、同年8月に参謀本部はソ連との戦争を断念しました。 |
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企画院(きかくいん)
企画院は、昭和12年(1937年)10月に内閣直属の政策立案機関として創設されました。日中戦争勃発後、総力戦体制の整備が行なわれるさなか、戦時動員に関する諸計画の立案を行ないました。昭和18年(1943年)11月に廃止され、その任務は軍需省に引き継がれました。 |
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御前会議(ごぜんかいぎ)
天皇の臨席のうえで各大臣や軍の首脳たちが出席して国家の重大な問題を討議した会議です。他国との外交交渉や宣戦布告などについての方針が決められました。 |
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参謀本部・軍令部 (さんぼうほんぶ・ぐんれいぶ)
参謀本部と軍令部は、軍令を担当する機関です。軍令とは、軍隊の運用、特に戦争における軍隊に対する作戦の指導を指します。参謀本部は陸軍の軍令を、軍令部は海軍の軍令をそれぞれ扱いました。昭和20年(1945年)10月に廃止されました。 |
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枢密院(すうみついん)
枢密院は、明治21年(1888年)に大日本帝国憲法草案の審議のために設けられた機関です。同憲法では、国務に関する天皇の最高諮詢機関とされています。枢密院は、議長1人、副議長1人、顧問官24人で組織されていました。枢密院本会議は、天皇が出席して開かれ、各大臣と成年の親王も出席しました。また、この機関は、外交上の問題についても発言権を持っていました。 |
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大本営(だいほんえい)
天皇が指揮をとる、戦争時の最高統帥機関です。日中戦争全面化を受けて、昭和12年(1937年)11月、宮中に設置されました。大本営は、陸軍部(参謀本部)と海軍部(軍令部)の二つの部局で構成されていました。 |
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大本営政府連絡会議(だいほんえいせいふれんらくかいぎ)
昭和12年(1937年)11月に大本営が設置された際、大本営と内閣との申し合わせによって設けられた、両者の協議のための会議です。昭和15年(1940年)11月、「大本営政府連絡懇談会」に改名されましたが、昭和16年(1941年)の第三次近衛内閣の成立後は大本営政府連絡会議の名称に戻りました。 |
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陸軍省・海軍省(りくぐんしょう・かいぐんしょう)
陸軍省・海軍省は、軍政を担当する政府機関です。軍政とは、軍隊の維持管理(例えば軍隊の構成や給与など)にかかわる行政措置です。陸軍省は陸軍の軍政を、海軍省は海軍の軍政をそれぞれ扱いました。昭和20年(1945年)11月、ともに廃止されました。 |
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連合艦隊(れんごうかんたい)
日本海軍の組織の一つです。本来は、戦時において2つ以上の艦隊(複数の艦船により構成される部隊)をあわせて編制された臨時の集団であり、例えば日清戦争や日露戦争の終結に際しては解散されています。これが大演習の際にも一時的に編成されるようになり、やがては毎年編成されるように改められました(大正11年(1922年)12月)。昭和8年(1933年)5月に、戦時のみならず平時においても常に設置されることが決定されてのち、連合艦隊は次第に大きな組織になっていきました。 |